◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第88回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第88回

第六章──目撃 06
萌愛の母親の代理人だという弁護士から、示談金の話を持ち込まれ……。

『何だ、わかってるじゃん。まさか裁判でも本気で否認するつもりはないよね? DNAっていう決定的な証拠があるんだから、死刑にしてくださいって言うようなもんだもんね。心神耗弱や心神喪失での認定落ちはなさそうだし、結論から言って情状弁護の一択しかない。そう読んでるんだよね僕は。情状酌量を狙うなら、被害者への示談金は不可欠。それでも普通、示談金をもらっても被害者側が法廷で加害者側に有利な証言をすることはまずない。だよね?』

 何が言いたいのかだんだん見当がついてきた。

『でも、もし法廷で加害者に有利な証言をしてくれる被害者遺族がいたら? こんな強力な援護射撃はない。だよねえ、川村先生』

 志鶴は答えなかった。

『わかる? 僕なら死んだ萌愛の母親に口利きして、普通なら敵性証人に回るのを、増山の味方につけることができる。彼女中卒でさ、シングルマザーでずっと生活苦だったって。弁護費用がないどころか、筋のよくない借金が膨れ上がってる。それ聞いて提案したわけ。僕が、増山の母親から示談金もらえるよう、川村先生に交渉してやるって。交渉の材料として、もし十分な額のお金もらえたら、増山に有利な証言をすることはできる? そうすれば相手もきっと誠意を見せてくれるだろうし、って──』

 志鶴は書面を読みながら聞き流していたが、永江は一方的に話し続けた。

『泣き出したよ、彼女。そりゃそうだ。何が悲しゅうて、かわいい一人娘を殺したけだものみたいな男のために証言しなけりゃならないんだ。そう思うのが普通だよ。でも僕は言ってやった。そうと約束すれば、向こうも僕に弁護費用を払っても十分お釣りがくるだけの金額を出す気になる。僕が必ずそうなるよう交渉してやるって。今さらいくら増山を糾弾しても、死んだ萌愛ちゃんは帰ってこない。示談金を払うとなれば、増山本人より増山の母親の方が苦しむはず。子供を奪われたあなたの苦しみを相手の母親にも少しでも味わわせてやるチャンスだよ──そうやって二時間も説得して、やっと彼女にうんと言わせてやった。わかる、川村先生? 娘を殺された母親が、殺した張本人の情状を法廷で訴える。これこそ乾坤一擲(けんこんいってき)、死刑判決の回避にはそれしかない。浅見奈那こそ増山の命綱、お釈迦(しゃか)様が地獄に垂らした蜘蛛(くも)の糸ってこと』

 興奮しているからか、受話器の向こうの声がどんどん大きくなってきた。志鶴は、増山とは別の案件のファイルを開きつつ訊(き)いた。

「いくらですか?」

『へ……?』

「示談金。いくら渡せば、彼女が情状証人になってくれるんですか?」

『話、わかるじゃん!』永江の声が弾んだ。『……二千万円。登記簿さらったんだけど、増山の家と土地、ローン終わって抵当はずれてるんだよね。上物がゼロ円でも、あの土地なら売ればそれ以上にはなる。それで一人息子の命救えるなら、安いもんでしょう』

 志鶴は黙ってファイルのページをくった。

『わかった。一千万。こっからは一歩も譲れない』

「先生の取り分は?」

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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