◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第90回

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第六章──目撃 08
増山の無実に懐疑的な田口。対して志鶴は弁護側立証の準備を進めていた。

 

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 三日後。

 新橋にある都築の事務所に、増山淳彦の弁護団が顔をそろえた。志鶴、都築、公設事務所で志鶴の指導役を務める田口司(つかさ)の三人だ。

 志鶴はまず、まだ目を通していない田口に増山の起訴状を差し出した。田口は、メタルフレームの奥の鋭い目を走らせてから、顔を上げた。

「──綿貫絵里香の事件については、現場に落ちていた増山氏のDNAが採取された煙草(タバコ)の吸い殻という物証があった。浅見萌愛についても物証があって起訴したのでは?」

「であれば、綿貫絵里香の事件と同じように、取調べで増山さんに示して揺さぶりをかけたんじゃないでしょうか」志鶴は答えた。「あるいはマスコミにリークして外堀を固めたか。増山さんに聞いたところ、そのような事実はありませんでした。マスコミ報道も」

 田口は懐疑的な表情を崩さなかった。「隠し玉として持っている可能性もある」

「何のために?」

 田口は薄い唇の片方を上げ冷ややかな笑みを作った。

「もちろん、依頼人と一体化してその無実を疑おうともしない弁護人に打撃を与えるためだ。吸い殻はたんなる見せ球、浅見萌愛の事件ではもっとクリティカルな物証を握っていて、あえて出さなかったのかもしれない。起訴後のタイミングでそれを出されてもまだ増山氏を信じることができるか?」

 志鶴は言葉に詰まり、田口をにらみつけた。

「証拠については、まさにこれから開示という闘いを始めるべき時だ」都築が割って入る。「ここで議論していてもらちは明かないだろう」

「つまり、開示された証拠いかんでは、弁護方針の転換もありうると?」田口が訊ねた。

 あくまで増山の無実を主張し、検察と全面対決するつもりでいる志鶴や都築と違い、増山の無実を信じていない田口は、情状弁護が最善だという立場を変えていない。

「検討の余地はあるだろうね」都築は田口の言葉を否定しなかったが、譲歩する響きはなかった。

「では、証拠開示を含めた弁護側立証の話を」主任弁護人である志鶴は打ち合わせを進めた。

 本来、裁判において立証責任があるのは検察側だ。弁護側は彼らの主張に疑いがあることを示せばよく、無実を立証する責任はない。が、検察側の主張をただ否定するだけで裁判所に弁護側の主張を認めさせることはできない。主張を認めてもらうためには、弁護側も証拠に基づいて主張しなくてはならない。弁護側立証とはその意味だ。

「まず、現時点での弁護側収集証拠について確認します。自白が強要されたものであるとする増山さんの弁面調書と、遺体遺棄現場の現地調査結果はすでに証拠化してあり、いつでも証拠調べに出せる状態です。綿貫絵里香さんの事件についても、浅見萌愛さんの事件についても、現場周辺の防犯カメラ映像は結局入手できませんでした。警察が収集したことがわかった分について足立南署に開示を求めましたが断られたので、証拠保全の請求手続を打ってあります」

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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