◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第93回

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第六章──目撃 11
紛糾する公判前整理手続。秋葉原の事務所には志鶴に思わぬ来客が。

「おいおい、早速仲間割れかよ!」蟇目がパイプを取り大口で笑った。「こりゃあ面白くなってきやがった。こいつら優秀だから俺は狸(たぬき)の置き物決め込んでるつもりだったが、何だかやる気出てきちゃったなあ」

 青葉は「あらら~」と愉快げにまばたきした。世良もさすがに苦笑している。

 志鶴が田口の言葉を打ち消そうとしたとき、都築の視線に気づいた。都築は小さく首を横に振った。田口の予期せぬ発言に乗っかればこれ以上能城と押し問答をする必要はなくなる。志鶴もそう気づいた。あるいは──田口もそれを見越してあえて仲間割れを装ったのかもしれない。

「検察官」能城が蟇目に視線を向けた。「請求証拠の開示等はいつ頃になりますか」

「世良」蟇目が顎をしゃくった。

「証明予定事実記載書と請求証拠の開示ですね。一週間後には」世良が答えた。

「弁護人、いかがか」能城が田口に言った。

「結構です」田口が答えた。

「検察官、では五月十八日までに」能城がまた田口を見た。「検察官の任意開示に弁護人から応じない旨の発言もあったが、公訴事実について争わないなら類型証拠開示の請求は必要ないということでよろしいか」

「検察が全面開示しないなら類型証拠開示請求するに決まってる──!」都築がまた声を荒らげた。

 公判に先立ち、検察は公判で証明する予定の内容を記した証明予定事実記載書と、その事実を証明するための証拠を請求し、弁護側に開示する。その時点で弁護側は、開示された以外の証拠の開示を請求できる。この手続きを類型証拠開示請求という。捜査機関が収集した証拠は、証拠物・鑑定書・供述録取書など類型ごとにまとめられており、弁護側はこの類型に該当する証拠の開示を請求できると刑訴法に定められているのだ。

 能城は都築を無視して田口を見た。

「らしいですな」田口が言った。

「期限は?」能城が言った。

「少なくともひと月」都築が言った。

 能城が都築を冷ややかに見た。「裁判の迅速化という理念に照らして、類型証拠開示を請求するのにそれほど長い時間を必要とするのはいかがなものか」

「あんたは知らないかもしれんが、五月十八日に検察から開示を受けても、われわれはすぐ検討にかかれるわけじゃないんだよ。東京地検がわれわれ弁護士に開示する証拠の謄写業務を独占的に行っている東京地検謄写センターに、これだけ大きな事件だと十万二十万という高額な費用を払って謄写する。この手続きだけで一週間。われわれ弁護団もこの事件だけを抱えているわけじゃない。精査するには最低限それくらいの時間が必要だ」

「──右京(うきょう)さん」能城は都築を無視して、自分の右隣に座る化粧気のない女性に声をかけた。「次回の期日を決めてください」

「は、はい──」右陪席である彼女は、おそらくは三人の中で能城に次ぐキャリアの持ち主のはずだが、まるで新人のように緊張しているのが志鶴にもわかった。

「自分でやれよ」都築が能城に向かって言ったが、能城は当然のように無反応だった。

 結局、都築の主張が受け入れられた形で次回の打合せ期日が決まった。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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