◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第94回

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第94回
第六章──目撃 12
犯人は増山じゃないと思う──。少女は一体何を話そうとしているのか?

「漂白」目次


 菓子を一つ食べ終えたみくるは、麦茶を飲んだ。

「どうだった、今の?」

「あ、美味(おい)しかった」

「よかった」

 グラスを置くとみくるは鼻をすすった。アレルギー持ちなのかもしれない。

「……あのさ。増山……って人じゃないと思う。多分だけど」

 どくん。心臓が跳ね上がった。

「増山さんじゃない……?」

「うん。犯人」

「犯人って……萌愛さんを殺した人ってこと?」

「そう」みくるは、話すときあまり人と目を合わせないタイプなのかもしれない。視線は志鶴の斜め前に焦点を合わせているように見えた。

「──訊いていいかな。何でそう思うのか」慎重に訊ねた。

 みくるの視線が下がった。会議室に沈黙が降りる。

「……あのさあ。秘密守るって言ったよね、こないだ?」

「言ったよ」

 みくるが志鶴を見た。中学三年生。あどけなさだけではない。大人の汚さを知っている目だ。

「絶対?」

 胸の高鳴りが収まらない。一体何を話そうとしているのだ。

「うん、絶対」

「誰にも?」

 逡巡(しゅんじゅん)する。弁護団、少なくとも都築とは共有すべき内容かもしれない。

「──誰にも言わない」腹をくくった。今は何より話を聞くことが先決だ。それ以上の色気を出すな。

 みくるが息を吸い、目を落とす。

「萌愛さ──」と言いかけて、「萌愛んちさ、お母さんと二人暮らしで……萌愛のお母さん、スーパーで働いてて、時給安くていつもお金ないって。あ、何か借金もあるって言ってた」

 浅見萌愛の母親は増山の公判に遺族として被害者参加するつもりだ。彼女の被害者参加弁護士を受任した永江誠から先日志鶴にその旨連絡があった。示談金を請求した永江を志鶴は突っぱねたが、みくるの話はその際の永江の話の内容と完全に一致する。

「萌愛、中学出たら働くつもりだったけど、中学生だとバイトできないじゃん? それで……お母さん助けるのに、ウリしたって」

「ウリって……男の人からお金をもらう?」

 みくるがうなずいた。また沈黙が降りる。

「去年の夏休み、萌愛からサシで相談したいって言われて。インスタブックでサポ希望してDM来た男と会ったら、ヤリ逃げされたって」

 ツイッターやインスタブックなどのSNSは警察も監視しているため、違法行為では隠語が使われることが多い。「サポ」というのは援助交際を意味する隠語の一つだ。DMは隠語でなくダイレクトメッセージ。SNSを使った援助交際では一般的なコンタクト方法だ。

「お金くれるって言ったから会ったのに、セックスしたらそいつ金払わなかったって。だけじゃなく……脅された。そいつ、セックスの動画撮ってて、言うこと聞かないとネットでばらまくって萌愛に」

 自分の呼吸が速まるのがわかった。気取られないようにする。みくるが、反応を確かめようとするように志鶴を見た。ちゃんと聞いているという意味でうなずいた。

「それで……?」

 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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翻訳者は語る 林 香織さん