◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第96回

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第六章──目撃 14
志鶴は考える。弁護士の最大の目標──依頼人の無罪を勝ち取るために。

 みくるへの信義もあるが、それだけではない。

 検察は増山を被疑者として逮捕し、犯人として起訴した。起訴した捜査検事と公判で有罪主張する公判検事は同一ではないが、公訴提起した以上、検察権力として増山を有罪にしようと全力を注ぐ。ベスト・エビデンスという錦の御旗(みはた)を掲げて自分たちに都合のいい証拠だけを採用するのみならず、そう決まった時点から彼らが言うところの「消極証拠」を隠蔽することにも全精力を傾ける。

 みくるを説得でき証人として法廷で証言してもらえたとしよう。増山と利害関係のない彼女の証言は真実性が高いと裁判官や裁判員が心証を形成する可能性は低くないだろう。だがもしその証言が事実と認定されたとしても、増山の無罪には直結しない。

 現実の刑事裁判はドラマのようには進展しない。被告人の他に真犯人が存在する可能性が示されたくらいでは無罪判決を出さないのが日本の裁判官だ。検察と一体化していると評される裁判長なら、みくるの証言に一定の真実性を認定しつつ、彼女の証言内容は、増山が浅見萌愛を殺した事実と「矛盾しない」として有罪判決を書くに違いない。

 だが現実にはそれすらも楽観的に過ぎる見通しだ。

 みくるを証人として法廷で尋問できるよう請求するには、公判前整理手続で「その者が公判期日において供述すると思料する内容が明らかになるもの」を開示することが刑事訴訟法に明示され義務づけられている。彼女が志鶴に話した内容をすべてとは言わないまでも公判前に検察側に明かさなければならないのだ。

 すると検察はどう動くか。本来なら、みくるが提示した「トキオ」なる人物を見つけるべく補充捜査を開始すべきだが、増山を起訴した検察は何が何でも増山を犯人にするため、浅見萌愛の事件のみならず綿貫絵里香の事件についても、みくるの証言を裏づけるようなありとあらゆる証拠を潰しにかかるだろう。みくるの証言を反証する証人を仕立てあげるかもしれない。みくるが法廷で証言してもその内容の真実性が認められなくなるおそれが強い。

 反対に、みくるが言ったトキオなる人物の存在を検察に知られなければ、彼らがトキオに関係する証拠を積極的に潰す動機を与えずにすむ。うまくやれば、捜査機関がその権能とマンパワーで収集した膨大な証拠の中からトキオにつながる証拠を見つけ出すことができるかもしれない。何となれば、検察は萌愛のスマホの通信履歴などからトキオの存在を覚知したが、増山を犯人とするためには邪魔だとしてその証拠を故意に隠していることも考えられるのだ。

 結論。

 否認事件の通常の防御を徹底しつつ、捜査機関の収集証拠も最大限活用して浅見萌愛殺害の真犯人である可能性が高いトキオを見つけ出す。

 みくるとの約束も守る。

 狭く険しいが、それこそが増山の無罪を勝ち取り、殺された浅見萌愛の無念を晴らすというはるかな頂きに通じる、もっとも確かな道のはずだ。

(つづく)
 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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