◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第97回

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第六章──目撃 15
検察の証明予定事実を前に、志鶴がどうしても気になっていたのは?

 

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「へいお待ち!」

 森元逸美が志鶴のデスクにA4のクリアフォルダを置いた。一番上の書面に「証明予定事実記載書」というタイトルが読めた。

「ありがとうございます」志鶴は早速書面を手に取った。

 東京地裁宛てに検察が作成したものの謄写を、森元が東京地検で手続きをして入手した。作成日はちょうど一週間前の金曜日。被告人として増山の名と「殺人及び死体遺棄」が並記され、その下に「上記被告人に対する頭書被告事件について、検察官が証拠により証明しようとする事実は以下のとおりである。」の一文、日付に続いて「東京地方検察庁 検察官検事 蟇目繁治」とあった。

 証明予定事実には二件の殺人と死体遺棄について、「犯行に至る経緯」「犯行状況」「殺意の存在」「犯行後の状況」「その他の立証事項」が記されている。検察側の主張を物語形式でまとめたものだ。縦線で区切った右欄には、「主要な証拠」として、それぞれの証明予定事実に対応する証拠が「被告人の警察官調書(乙 1)」のように示されている。「乙」は「乙号証」──検察官請求証拠のうち被告人の供述調書や戸籍等のこと。それ以外の証拠は「甲号証」と呼ばれ、主要な証拠の欄にはそのどちらも挙がっていた。

 クリアフォルダには他に「証拠等関係カード」も入っていた。検察官が請求した証拠を、裁判所が各証拠ごとに一覧形式でまとめたものだ。

 その両方を突き合わせ、メモを取りながら一読する。

 検察の証明予定事実は、増山淳彦への起訴状を敷衍(ふえん)する内容だった。対応する証拠は、増山の供述調書の他、警察や検察での取調べ録画映像、実況見分調書、検視やDNAの鑑定書、増山が目撃されたソフトボール部の試合の記録映像、といった想定済みのものの他に、防犯カメラ映像、携帯キャリアの電波状況に関する報告書、目撃者の供述調書といった注意すべきものがあった。

 志鶴がスマホをつかんだタイミングで着信があった。都築からだ。

「ご覧になりましたか?」

『たった今。川村君もか』

「はい。類型証拠開示請求について打合せ、お願いします」

 田口とも調整した結果、弁護団での打合せは翌週の水曜日と決まった。

 もう一度手元の書類を読み返す。

 現時点で考えられる大きな争点は二つ。増山の供述とDNA鑑定だ。どちらも大筋での対抗策について、志鶴と都築の間では意見の一致を見ている。志鶴の弁護方針に対して否定的な田口はまた何か言ってくるかもしれないが、最終的に開示請求をするのは自分なのでさほど案じていない。

 防犯カメラ映像、携帯キャリアの電波状況、目撃者──これらについては証拠を見てみないことには何とも評価しようがない。

 志鶴としては、捜査段階からずっと引っかかっているDNAのことがどうしても気になった。これを突き崩せなければ、増山の無罪を勝ち取るのはまず不可能だ。

 死体遺棄現場に落ちていたという煙草の吸い殻から検出されたDNAが増山のものとほぼ一致する。警察は増山の逮捕後早い段階でその情報をメディアに流し、大々的に報道された。が、増山自身は死体遺棄現場付近には足を踏み入れていないと志鶴には一貫して語っている。その矛盾に志鶴は頭を悩まされ続けてきた。

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里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

◇自著を語る◇ 内田洋子『サルデーニャの蜜蜂』
思い出の味 ◈ 村山由佳