◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第97回

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第六章──目撃 15
検察の証明予定事実を前に、志鶴がどうしても気になっていたのは?

 考えられる可能性としては、捜査機関による捏造(ねつぞう)、あるいは証拠管理上の誤り、または鑑定の誤り、という線だが、鑑定の不備などで冤罪が発覚した東電OL殺人事件、足利(あしかが)事件などの重大な不祥事から警察が何も学んでいないと考えるのは、捜査機関への不信感が強い志鶴でも抵抗があった。捜査機関に倫理性を期待しているのではない。さすがにこれほど大きな事件で、DNA鑑定の精度も昔と比べてはるかに高くなった今の時代、これほどクリティカルな証拠についてミスを犯すとは考えづらいし、捏造に手を染めるのはあまりにリスクが大きすぎはしないか。

 だが──世間の耳目を集める大きな事件だからこそ、捜査機関には不正を働いてでも犯人を検挙しなければという強力なプレッシャーと動機も生じているはず。 

 こと吸い殻のDNAに関して、志鶴の思考は何度も堂々巡りに陥った。

 だが──今、いつものどん詰まりの向こうに、何か光がよぎった気がした。無限ループを脱せられそうなかすかな予感。うつむいて自分のスーツが目に入ったとき、後藤みくるの顔が浮かんだ。彼女がここへ来た日から二週間。志鶴はトキオについて調べていたが進展はなかった。検察側への証拠開示請求が突破口になることを期待して、LINEで連絡を取っているみくるにもそう伝えてあった。

 トキオ。サーファー。チョンマゲ頭。手首にタトゥー。大きな車──志鶴は大きく息を吸って立ち上がった。

 デスクの横のラックに、志鶴が現在抱えている案件の書面をまとめたA4ファイルがぎっちり詰まっている。増山のファイルを引き抜いて開いた。専用のリフィルに収めたブルーレイディスクを取り出すと、デスクトップパソコンのプレーヤーにセットして、イヤホンをつけ再生する。

 増山が逮捕されて以降、テレビの報道は森元逸美に可能な限り録画してもらっている。ハードディスクレコーダーからブルーレイに焼く作業も彼女がやってくれていた。スキップと早送りをくり返し、目当ての映像にたどり着いた。

『──本日、綿貫絵里香さんの死体遺棄の疑いで逮捕された増山淳彦容疑者が、遺体が発見される十日ほど前、絵里香さんが出場していたソフトボールの試合で目撃されていたことが、警視庁の発表でわかりました』

 増山が逮捕された三月十三日夕方のニュースだ。ところどころにぼかし処理が施された、綿貫絵里香が所属していたソフトボール部の関係者が映したとおぼしきビデオカメラ映像が流れる。

『この映像は、絵里香さんが通っていた中学校で行われた、ソフトボール部の対外試合を録画したものです』

 ぼかし処理は、日付や時刻を示すカウンターや、女子選手たちの顔やユニフォームなどに施されていた。しばらく観ていると、ホーム寄りのフェンスの外に立つ増山の姿が映し出された。校庭の向こうの二車線の道路のグラウンド側にスクーターを停(と)め、試合を観ながら煙草を喫(す)っている。志鶴はそこで映像を停めた。

(つづく)
 
里見 蘭(さとみ・らん)

1969年東京都生まれ。早稲田大学卒業。2004年、『獣のごとくひそやかに』で小説家デビュー。08年『彼女の知らない彼女』で日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞。主な著書は、『さよなら、ベイビー』『ミリオンセラーガール』『ギャラリスト』『大神兄弟探偵社』『古書カフェすみれ屋と本のソムリエ』『天才詐欺師・夏目恭輔の善行日和』など。

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