第13回「上流階級 富久丸百貨店外商部 其の三」高殿 円
家を買い一緒に住む提案をするが、
母からはキャリアアップを勧められ……。
今日は雨なのでランニングにも行かず、家で英語のスカイプレッスンをしていたという桝家は、静緒がバッグの中から物件の資料を出すと、驚いた顔をした。
「ほんとに家買うんですか?」
「いい物件があればね」
「お母さん、病気なのに? あ、でも病気だからか」
「いつまでもここにはいられないでしょ」
「いたらいいのにー」
ソファの上で、飼い主に腹を見せる猫のように伸びる。
「あ、そうだ。僕がこのマンションで別の部屋借りるから、静緒さんはお母さんとここに住むっていうのはどうです?」
「そんなの、母がOK出すわけないじゃん」
「私立芦屋病院までタクシーで1メーターですよ。便利じゃないですか」
「そうなんだけど……、そうなんだけどさ……」
出戻りの一人娘、しかも親がシングルでろくに親戚もいない身としては、病気の母親を古いマンションに一人放っておくことに罪悪感がメーターをふっきってしまうのである。
「いまの家、駅直結マンションだから利便性はいいんだけど、築三十年で最初の住人もどんどん引っ越していってしまって、母も寂しそうだったんだよね。だからいっしょに住もうって言ったら喜んでくれると思ったのに……」
「のに?」
「むしろ、転職してほしそうだった」
「なぜ?」
「私がぺこぺこして、客に怒られてる姿を見たくないって」
「むしろ最近はまったくぺこぺこしてませんよね」
「そうなんだよ。でも、思い込みで外商の仕事ってそういうふうに見えてるみたい」
あああ~、と実際に頭を抱えてみた。抱えたところで事態がうまく転がるわけでもないのだが。
「まあね、実を言うとちょっとだけあてにしてました。実家売ってくれたら、ローンほとんどくまずに済むのにな、とか。でも母は母の人生があるし」
「娘にだって娘の人生があるんだから、好きに生きればいいじゃないですか」
「でも、それで母親がガンになったことすら知らなかったなんて、どうよ」
「それは、当人が言ってないんだから仕方ないです。気持ちはわかりますけどね。いいことだと思うんですよ、僕もあなたも、親孝行したいと思える親の下に生まれてラッキーだし、今まで親がそんな親でいてくれたのもラッキー」
空いている静緒のビールジョッキをさらっと拾って、注ぎに行く。最近の桝家の行動には人生がうまく運んでいる人間の余裕のようなものが感じられる。
「悪いことが起こったら、それが転機なんだと思うことですよ。どう思ったって事態は変わらない。なら、ポジティブに解釈するしかないでしょ」
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神戸市生まれ。2000年に『マグダミリア三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞しデビュー。『トッカン―特別国税徴収官』『上流階級』はドラマ化され話題に。ほか『政略結婚』など著書多数。