第2回「上流階級 富久丸百貨店外商部 其の三」高殿 円

上流階級3

桝家は人生の今後を考えている。
静緒はといえば、仕事は好きだが、
人生については考えが足りていない。

「なんて?」

「だから、転職」

「うそでしょ」

「できる人間が、もっといい待遇を求めるのはあたりまえでしょ。会社が困るなら、もっと給料払って引き留めれば良い」

 彼の発言は、どこからどうつついても正論で防御されている。それは認めるが、静緒にとっては意外でしかない。

「もしかして、桝家、そうなの?」

「転職ですか?」

「探してるの?」

「探してないわけでもないですけど、オファーはありますよ」

 ふわ、と変な声が出た。

「ほんとにあるんだ。ヘッドハンティングって」

「あなただって、そもそもそれで富久丸に来たんでしょうが」

「そりゃーまあ、そうだけど」

 静緒はもう見慣れた感のある桝家の、本人はまったくそのつもりはないのにどこか愛くるしさを感じる顔を見た。

「そうか、まだ桝家は若いしなあ」

「今が転職しどきってのはありますけど、静緒さんだって遅くはないでしょ。ある意味、結果出してる今こそ、売り時ですよ」

 結果、というにはまだまだおこがましい限りである。ありがたいことに静緒が言い出しっぺの『御縁の会プロジェクト』は、もとは静緒の上げた企画ということで、今でも何度も会議に呼ばれ意見を聞かれる。

 多くの親御さんたちの悩みは、結婚相談所でよい結果を得られなかったか、子供の側がやる気を失っている、もしくは一歩を踏み出せない、踏み出す気がないことだ。

『一人っ子が多いこれからの世代では、親はますます子供のためになにかしらの「ご縁」を望むでしょう。けれど、ナチュラルさを重要視する世代に旧時代のシステムをそのまま押しつけても、最初は拒否反応が出るのはあたりまえです。時代に合わせて、お見合いもアップデートすべきです』

 何度か有識者を集めての会議が繰り返された結果、静緒が強調した『さりげなさ』を重要視したプランがまとめられた。母の日・敬老の日にあわせた旅行プランで、有名仲人や老舗結婚相談所と提携し、男女比率や住んでいる地域を考慮したグループ分けなどこまやかな「さりげない出会い」を目指して情報が持ち寄られる。もちろん、旅行の内容も、忙しい人を対象とした近海クルーズから、有名ドラマや映画のロケ地めぐりと、出会い目的以外でも楽しめるよう工夫された。中でも好評だったのは、心理カウンセラーを同行させたプランだった。

 一番はじめに、おっかなびっくり始まったミニツアーで成婚しそうなカップルが出たことで、本部が俄然活気づいた。昨年秋の異動前に、静緒を本格的にそちらの企画室に行かせてはどうかという意見もあったという。

 こういう噂はどこからかまわるもので、次に機会があればうちも親子で参加したいと、静緒もたくさん声をかけられる。中にはわざわざ電話をかけてきた、離婚して独り身になった男性客もいた。

 会社内で評価はされつつある。空回りもするが、前よりずっと仕事がしやすい。静緒はまだまだこれからだと思っていた。

「でもね、俺たち薄給じゃないですか」

「そこは否定しない」

「俺たちの年収なんて、スーツ一着仕立てたら全部飛びますよ。そうでしょ」

「……スーツにもいろいろあると思うけどね」

 つまり、桝家は仕事内容ではなく給料に不満があって、そろそろキャリアアップしようと考えているようだった。

「実際、どうです。一とかなら考えるでしょ?」

「一本? そりゃ……」

 今の仕事で年収一千万なんて考えたこともなかったけど、一度、冗談で古巣であるローベルジュの社長に話をされたこともある。独立するなら、それくらいないとと思わないこともない。

「四十前まで死ぬ気で働いて、あとは運用で生きていくのが一番平和ですよ。人間は老いていくばかりなんだから、会社組織にいたって下の世代のお荷物になるだけです。さっさとどいてあげて、辛い通勤と人間関係から解放されれば、経済も税収ももっとよくなると思いますけどね」 

「そんなものかねえ」

「葉鳥さんだって結局はリタイアを選んだじゃないですか」

 突然飛び出た葉鳥士朗(しろう)の名にバカラグラスを落としそうになった。

「びっくりした。葉鳥さんのこと、急に言い出すから」

「急にもなにも、そもそも葉鳥さんからでしょう。僕ら」

「上流階級 富久丸百貨店外商部 其の三」連載アーカイヴ


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高殿 円(たかどの・まどか)
神戸市生まれ。2000年に『マグダミリア三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞しデビュー。『トッカン―特別国税徴収官』『上流階級』はドラマ化され話題に。ほか『政略結婚』など著書多数。
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