第3回「上流階級 富久丸百貨店外商部 其の三」高殿 円

上流階級3

静緒は土日でも連絡が入れば仕事をする。
お客さんの無理難題は次に活かせるし、
売上に繋がることも少なくないからだ。

「塾でも、K大付属豊中中は難しいから、ランクを落として付属茨木中はいかがですかっていうのよ。私はまあ、結局最終的にK大に入れるならいいか、と思っていたんだけど」

「なにか問題が?」

「お姑さんが、反対して……」

 曰く、K大茨木はもともとあまり偏差値の良くない学校を、K大が吸収合併してできた新しい付属校だったのだ。いくら佐村さんが昔とは違うんだと話しても、一度思い込んだイメージはなかなか払拭できないらしい。

「K大茨木に行くぐらいなら、C大中等部にしなさいって。でも、C大中等部は駅から遠くて通いづらいって、本人が乗り気でないの」

 いったい自分の息子がどこの学校ならば手が届いて、どこならば難しいのかすらわからず、説明会に行っては悩み、他のママ友から情報を仕入れては悩みしているのだ。

「いまはネット出願できます。最終的には慶太くんが決めるにしても、考える時間は十分ありますよ」

「でもね、模試の点数が伸びないの。個別の先生もつけているのに」

 個別の先生というのは、集団で受ける塾の授業以外に、進学塾内でマンツーマンの先生をつけて、さらに勉強するのである。田舎ゆえに選択肢がほとんどなく、高校まで公立でだらりと進学して、大学入試戦争にすら加わらなかった静緒には、聞いていてもほとんど異世界のできごとのように感じる。

(佐村さんは、ご自身が上位の公立校の出身だし、聞けばご兄弟もみんな公立から旧帝大。なにもしなくてもというのは失礼すぎるにせよ、もともと出来が良い人が、自分のお子さんがそうでない、そこまでではないのを実感するのは、難しいことなんだろうなあ)

 その佐村さんが、静緒に息子さんの進学の相談をする理由はとてもよくわかる。彼女が普段おつきあいしている方々のご子息は、もう一ランク、いやもっとはるか上位校を目指しているのだ。いくら自分が、たかだか小学校六年生時点での学力なんてまだまだと思っていても、上位ランクを狙っている人々の話には加われないし、周囲は佐村さんに気を遣うだろう。

 実際、お友達に誘われて入った進学塾でも、慶太くんだけクラスを落とされて、本人も辛そうだと聞いている。

「ああ、もうとにかく早く受験、終わって欲しい!」

 ひとしきり愚痴と不安を吐き出したあと、佐村さんは、最新の入試日程のプリントを静緒に渡して、入試のある一週間はできるだけいっしょにいて欲しい、そのためならいま愛用しているロロ・ピアーナでコートもセーターもジャケットも、ビキューナシリーズをすべて買い揃えてもいいと約束してくれたのだった。

 ロロ・ピアーナで普段着をすべて買い換えるということは、マンションが買えるくらいは必ず使う、ということだ。サラリーマンである静緒は、そっと自分の手帳の一月末に予定を書き込むしかなかった。

 とにかく親も子供も大変な世界なのだと黙って受け止める。佐村さんが望むなら、できるかぎりのサポートはしようと決心した。中学受験は毎年あるし、これからも佐村さんのように悩まれるお客さんは多いだろう。この世界のことを覚えるのにはいい機会だ。

 それが、自分の一年の主戦場のひとつになるとは夢にも思わなかった。

 それからだ、佐村さんの説明会同伴願いがさらにエスカレートしてきたのは。

 

「佐村さんって、あの、Gホテルグループの社長夫人ですよね」

 マンションの近くまで佐村家の運転手に送ってもらったわりには、ヘトヘトのクタクタで帰宅した。

 我が家では、休日の桝家がバイクを漕ぎながら韓国ドラマを楽しんでいたようだ。静緒の顔を見るなり、お疲れ様ですとレンチンした温かいおしぼりを出してくれる。

「あーもう、あんた、なんてできるヤツなの……!」

「急になんです?」

「急な仕事から帰ってきて、あったかいおしぼり渡されたら、さあ」

「僕のこと好きになりました?」

「……違う意味ではわりと」

 涙袋ぷっくりの大きな目で、ニタァと笑う。

「ま、そうだろうと思ってました。いいですよもっと好きになっても」

「だれだって落とせるでしょ、この技」

「うーん、いままで彼氏と同棲したことがなくって、使えるかどうかは?」

「使えるよ。私が保証する。好きな男にプロポーズする前にやると効果抜群」

「心のメモに書き留めておきます」

 その言い方からして、いま桝家に決まった相手はいないらしい。ちょっと前までは同じビンテージファッションを愛するナイスミドルと良い感じだと聞いていたのに、お別れしてしまったのだろうか。

(はやく……、はやくだれか桝家のことを大事にしてくれるイケメンが、桝家を見つけてくれますように)

 こんなに顔がよくて、おしゃれでいいとこのボンで、仕事もまあまあできて留学経験もあってスマートなのだ。静緒のような人生一周まわった不惑の女と住んでおしぼりをレンチンしている場合ではない。

「上流階級 富久丸百貨店外商部 其の三」連載アーカイヴ


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高殿 円(たかどの・まどか)
神戸市生まれ。2000年に『マグダミリア三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞しデビュー。『トッカン―特別国税徴収官』『上流階級』はドラマ化され話題に。ほか『政略結婚』など著書多数。
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