第7回「上流階級 富久丸百貨店外商部 其の三」高殿 円
「キャリアアップしないの?」
とよく聞かれるようになった。
せっかく本店に来たからということで、芦屋川店には入っていないブランドにも立ち寄った。静緒と同じマンションに住む百合子(ゆりこ)・L・マークウェバーに頼まれた、ルイ・ヴィトンの新作のパーカーとキャップ帽、ペゼリコのカーディガン、さらにコスメフロアにも寄って、ありとあらゆるブランドの今年のクリスマスコフレも受け取った。百合子は毎年ほとんどのブランドのクリスマスコフレを買うのだそうだ。
「私のお客さんたちはとにかく忙しくて、毎年クリスマスコフレを買い逃した人がいるのよね。だから『私全部買ってます』と言うととっても話が弾むの」
つまり、クリスマスコフレをずらり並べてインスタにアップするのは、楽しく会話をするための先行投資なのだ。
その夜も、静緒がよたよたしながら両手に大荷物を持って部屋を訪問すると、ヘアバンドにスエット姿のいつもの彼女がインターホンの向こうに現れた。
「外商さんなんて意味あるのかしらと思っていたけれど、この歳になると労働力をお金で買うようなものよね。むしろ安いわ」
その労働力であるところの静緒を部屋の中に迎え入れ、オーガニックコーヒーをすすめる。同じマンションに住んでいるとはいえ、最近はロビーではなく、家に入れてもらえるようになったぶん関係性は前進している、と思っている。
静緒は知らなかったのだが、百合子のインスタにはなんとフォロワーが五万人もいるらしい。むろん、そのほとんどが百合子の顧客ではない。彼女の華麗なライフスタイルやもちもの、訪問先の写真を楽しく見ているだけの、いうなれば彼女のファンだ。
「顧客というのはね、育てるものよ。いま十歳の少女も五年経てば化粧をするようになる。十年経てば母親になる子だって現れる。ただの小学生が、YouTuberデビューしてたった五年でセレブ予備軍になる。私が経営しているフィニッシングスクールに来るようになる」
百合子の事業は多岐にわたり、静緒はその全貌を知っているわけではもちろんない。しかし、男性・女性など性別関係なく、世界中でフィニッシングスクールを展開していること。そして、パートナーを望む富裕層のためのマッチングサービスを起業し、成功していることは知っていた。
コーヒーを飲みつつ、二人でクリスマスコフレを開封する。日当たりのいい南側の窓近くに並べ、インスタ用に写真を撮っていく。
「この前家を探していると言っていたけれど、鮫島さん、引っ越しするの?」
「いますぐじゃないですけど、いずれは」
「結婚するとか?」
「いえいえ、母と住むんです」
「あのね、私のお客さんで、良い人がいるんだけど」
「や、もう結婚は……、向いてなくて。ホントに」
正直、だれかと出会い再婚する自分が想像できない。もちろん母はそのほうが安心するだろうが、一回目の結婚で静緒が傷ついた経緯を知っているので、あれ以降そういうたぐいのことを口にすることはない。
「そっかあ。まあ、昔はともかく。お金と友人さえいれば、……あとは健康であればわざわざ結婚する必要はないね」
「そうなんです。そう思います」
「鮫島さんは、友達も多そうだし」
「そう見えます?」
「じゃなきゃ、この歳でわざわざ家をシェアなんてしないでしょ。いっしょにいて心地良い人間だから、分かち合うが長続きする」
インスタ用の写真を何枚か角度を変えて撮り、コメントを添えてアップロードしている。すぐにいいね!が無数についた。
(分かち合うが長続き……、言うことがかっこいい)
心の中でいいねを押しながら、ブランドショップの紙袋を黙々と片付けていると、
「いまどき独身でいることはなんのマイナスにもならないけれど、お金を効率よく稼ぐには、タイミングが大事よ。運とコネクションは最大のセーフティガードになる。鮫島さん、いまの会社でもう五年でしょ」
「そうですが……」
「キャリアアップはしないの?」
静緒はぽかんとした。何故だろう。去年と代わり映えしないグレーのパンツスーツと、いつのシーズンのものだか忘れてしまったぐらい前に買ったバーバリーのトートバッグがそんなに見窄(みすぼ)らしく見えただろうか。
「最近、よく言われます」
「当然のことだからよ」
「そんなに、ですかね」
「そんなによ。高級メロンだって収穫時期を間違えたらただの生ゴミでしょ。そう思わない?」
バイリンガルの人のたとえは、ふだん聞いたことがないバリエーションに満ちている、と思う。
【既刊好評発売中!】
神戸市生まれ。2000年に『マグダミリア三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞しデビュー。『トッカン―特別国税徴収官』『上流階級』はドラマ化され話題に。ほか『政略結婚』など著書多数。