第9回「上流階級 富久丸百貨店外商部 其の三」高殿 円

上流階級その3

多忙な日々の合間にも、
結婚や子供について、罪悪感が
影のようについてまわる……。

 結局、またしても実家に帰り損ねた。 

 いつものことだと母は笑って流してくれたけれど、こう帰る帰る詐欺が続くと、単なる親不孝を通り越して信頼関係に支障が出ているのではという気がする。

(ああ、働いているなあ。働いて、働いて、なんにも進歩していないまま、時間だけがすぎていくなあ)

 昼に会議があるというので、三十分ほど時間ができた。2時間あれば実家に帰って顔を見て帰ってこれるのに、中途半端な時間ほど点在するものだ。そんな日は、銀コーヒーでカフェラテを買って屋上に上がり、今はもう動かないメリーゴーランドを見る。

 コーヒーを飲むたびに、仕事をしている自分と、仕事しかしていない自分を実感する。なんだろう、この感覚。昨日もおとといも、一ヶ月前も、へたしたら一年前もこんなふうに思って居たような。

 母の顔、もう3ヶ月以上見ていないな、と思った。

 カフェラテの湯気の向こう側に見える、そのうちに撤去されるけれど、撤去する費用が惜しいのでそのままになっている大型の遊具たち。まだ使えるので、どこかに引き取ってもらいたいと本部は考えているらしいが、この大型遊園地まで次々に閉園しているご時世、回転木馬の行き先などどこにあるだろう。

 いつかは消えて無くなる。ものもいのちも。

 カフェラテの苦みが、肩の辺りにたまった疲れにじわりと広がって、もうちょっと動けよ、と活をいれてくれる。不思議なもので、同じソイバーとカフェラテの遅い昼食でも、こうして好きな場所で食べていると味がまったく違う。ここは思い出の場だ。父と母と電車に乗って出かけて、食堂で旗のたったチキンライスを食べた。ステンレスの食器にガラスケースの中に並んだ、いかにも作り物のメニュー見本。背伸びして頼んだクリームソーダのグリーンがなんて綺麗(きれい)に見えたことだろう。

 あのとき、父はいつもビールだった。車で出かけない日の父の唯一の楽しみ。母は何を食べていただろう。全然記憶にない。いつも自分の隣に座っていたから、静緒は父とクリームソーダばかりを見ていて、母がどんなものを食べて、どんなものを好きだと言っていたのか覚えがない。

 一人っ子だったから、とにかく大事にしてもらったと思う。自分を産むときに母が難産で二人目を諦めたことを、ずいぶんあとになってから知った。静緒がまだ結婚していたころ、妊活を打ち明けると、自分の体質が遺伝ではないかととても心配していた。母のように妊娠後期で胎盤剥離を起こすと、運が悪ければ助からないこともあるのだ。

 あのころは何も知らずに、子供が欲しいという元夫と夫の家族に促されて、ひたすら妊活に励んだ。自分も子供が欲しいと思っていたのか、それとも望まれていることに応えたいと思っていただけなのか、いまはもうわからない。

 ただ、あのとき、子供だけでも生まれていたら、母のためになにかできていただろうと考えることはある。流れてしまった子が元気に育っていたら、たとえ離婚していたとしても、きっと母は喜んでくれただろう。静緒は葉鳥のすすめるまま、桝家と芦屋暮らしなど考えもせず、あの新長田のマンションで、親子三人で暮らしていただろう。

 意味の無いことを延々と繰り返し考えてしまう。それとも、今でも望んでいるからだろうか。静緒は子供を強く望んでいるわけではないし、パートナーを探してはいない。今の仕事は休みがないけれど充実していて、自分ののびしろも感じている。シェアメイトの桝家との関係も良好だ。友人もいる。家を買うという目的もある。

 ただ、それだけでは母を幸せにできないと、頭のどこかで考えてしまうのだ。本人に聞いたわけでもないし、母はなにも言わないけれど、つねに罪悪感がある。こんな自分で申し訳ないと感じてしまう。

 結婚して子供をもって、親に孫を抱かせて、家をもって、経済的に安定すること、すべて古い時代の価値観でしかないのに、自分でも驚くぐらいに縛られている。頭では、結婚も子供も、それがマストではないとわかっていてもなお、どうしても罪悪感が影のようについてまわる。なぜなのか。どうしてリフレッシュできないのか。

 ポンコツな自分が腹立たしい。

(芦屋に家を、なんて思ったのも、孫を抱かせてあげられない埋め合わせをしようとしてるだけかもしれない。ほかのことでがんばったことを認めて、それ以外のことを諦めてほしいと……。母は芦屋に引っ越してきたいなんて思っていないかも知れないのに)

 昼の休憩後、特に芦屋の顧客へとバイヤーが用意した新商品の説明があった。静緒がリクエストしていた高級美容電化製品もいくつか用意されており、『アイアンマン』のヘルメットのようだと男性にも受けていた。

 これからは特に美容と健康の時代だ。そして、この分野の商品はアップデートが早い。次々に新商品が登場し、単価もそこそこ高い上、性別関係なく需要があり年齢層も幅広い。とくに最近は独身男性富裕層への高級美容商品、高価格帯美容電化製品市場が熱いのだ。

「唯一無二のものより、健康と美容の時代ですか」

 企画室の責任者である堂上満嘉寿に声をかけられた。

「健康と美容は、いつの時代もいい売れ筋かと」

「そう。そして同じ口でサシの多い神戸牛を売り、ワインを売る」

 堂上は笑って、会議で余ったミネラル水のボトルを放って寄越した。

「いやー、売れましたね。LEDヘッドマスク。鮫島さんのオススメはいつも売れるな」

「いつもじゃないですよ」

「上流階級 富久丸百貨店外商部 其の三」連載アーカイヴ


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高殿 円(たかどの・まどか)
神戸市生まれ。2000年に『マグダミリア三つの星』で第4回角川学園小説大賞奨励賞を受賞しデビュー。『トッカン―特別国税徴収官』『上流階級』はドラマ化され話題に。ほか『政略結婚』など著書多数。
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