【連載第7回】公儀厠番 -うんこ侍後始末- 房州、鑓の品地武之進久尚 嘉門院彷楠・作

なんと、井桁藩江戸屋敷の書院に隣接する小振りな中庭に設えてある古井戸の脇に置かれた四尺ばかりの陶製の狸の置物が動くという。殿様はこの一件に関して、大変まじめに取り組んでいる様子。こんな馬鹿馬鹿しいことを天下の大事のように考えているとしたら、よほどの暇人とみえる、と思う武之進であったが、狸狩りのお役目まで背負うことになり……?

七不思議のひとつ、狸の置物が動く!?

 一方、七不思議の本家本元といえば、本所の七不思議だが、こちらにも幾つかの異説があるものの、七つを少し超える程度が数え上げられているのみである。
 ちなみに、本所七不思議は、置行堀おいてけぼり、送り提灯ちょうちん、送り拍子木ひょうしぎ燈無蕎麦あかりなしそば別名「消えずの行灯」、足洗邸あしあらいやしき片葉かたはあし、落葉なきしい狸囃子たぬきばやし別名「馬鹿囃子ばかばやし」、津軽の太鼓、等々、といったようなところだ。こちらも七つを超えるのが、また一つの不思議ではある。根気よく採集すればまだ見つかるかもしれないが、麻布の七不思議に比べれば、圧倒的に少ない。

 閑話休題(それはさておき)
 なんでも、井桁藩江戸屋敷の書院に隣接する小振りな中庭に設えてある古井戸の脇に置かれた四尺ばかりの陶製の狸の置物が動くというのだ。
 それも必ず決まって、晦日の夜だという。新月で月がでないのが晦日であるから、辺りは鼻をつままれても分からない、漆黒の闇夜である。
 前の日までは、井戸のかたわらで前を向いていたものが、翌朝、一番で女中が水汲みに出ると横を向いていたり、後ろを向いていたり……。
 それを称して「晦日狸」とは誰言うともなく広がった名付けである。ポンポコ狸ならば、お月見だろうに、晦日に出るとは、はて解せぬ。
 いかにも気味が悪いというので、このところは下働きの女どもも晦日の翌日は、その中庭に出ないというほどのことになっている。
「そこのあたりは拙僧の耳にも届いておる。さりながら、しかし、そんな馬鹿な話があるかい。おおかた狸か狐にでも化かされたんだろう。なるほど、狸には違いないか」
 と権左が何の助けにもならないことを、さも大切なことを見つけたように、まじめくさって言う。
「だから、それが困るという話をしているんだ。御坊にはそれがわからないか」
 殿様には冗談が通じない。いささかお冠である。

「まあまあ、ご両人。なにも殿様もそんなことを言っているわけじゃないだろう。そんな噂話が広まったら、当藩の名折れにもなるのではないかということだ」
 武之進がそんなことを言うところみると、この殿様然とした若侍も井桁藩の要職にある身なのだろうか。人相風体からしてしかるべき用人の跡取り息子といったところが、あたっているように思えるのだが。
「てぇと、井桁藩は裏庭に狸か狐を飼っている、てぇことじゃよろしくないってことかい」
 まったく権左のいうことは、いちいちもっともなのか、それともただ単に茶化しているだけなのか、いま一つ分からないところだ。
「いや、だからさ。居るも居ないも、つまらない噂話で面白、可笑しく、当藩の内情を物語されては困るということさね。物見高い江戸の衆のことだ、晦日の晩にお屋敷内に入れてくれ、なんてことにもなりかねない」
 武之進が若いのに似合わず、うがった見方というか、年寄り染みた了見を示した。
「はは、だったら尚更だ。見料でもとって、賄いの足しにでもしたらどうだ。武之進どのは賄い方の下働きでこのお屋敷の帳面に商いのそろばん勘定を書き込むのがお役目だろう。いっそ見料を上乗せでもしたら、上役がたのお覚えもめでたくなるって寸法だぜ」
 と、権左は負けていない。
「言わせておけば、只ではおかんぞ」と殿様は太刀に手を延ばす。「この場で切り捨てにしてくれようぞ」
 なんと、殿様はこの一件に関して、大変まじめに取り組んでいる様子ではないか。
 こんな馬鹿馬鹿しいことを天下の大事のように考えているとしたら、よほどの暇人とみえる。
「冗談じゃねえや。殿様。坊主殺せば七代祟るぜ。そんなに気になるならば、自分で不寝番をやって狸狩りだか狐狩りでもしてみたらいいやね。もしかしたらろくろっ首だか唐傘のお化けがひっかかるかもししれねえぜ」
「なにを、つまらないことを言ってるんだ。殿様がこんな格好で不寝番ができると思っているのか」
 武之進が権左を諭す。なるほど、夜目にも鮮やかなこのなりでは絵にならない。
「二人とも、いいかげんにしたらどうだい」
 日頃はおっとりと言うか冷静な武之進まで多少、言葉が荒くなる。
「はなっから言っている通り、話はわかった。いいかい権左、殿様がそんななりで不寝番も出来ねえ。俺と権左が二人で張り込んでいれば、狸も狐も怖じ気づいてでてこねえ。一度でも、その石だか陶器だかの狸が動いていないということになれば、噂も消えるという魂胆さね」
「なるほど、武さん、さすがに飲み込みが早いや」
 やっと殿様も自分の真意が分かってくれたかと、安堵している。
「飲み込みが早いのはいいが、なんで俺がつきあわなければならないんだよ」
 と権左は不機嫌だ。偶然にも同席していたはかりに、とんだ役目のお鉢が回ってきた、と太い首をすくめている。
「だからさ、狐狸のたぐいだったら、御坊の法力で退散させてくれろということさね」
 武之進が権左をおだてて話に乗せようと試みている。権左は存外、単純な男だと考えられているのだ。いや、気立てがいいというか、頼まれたらいやといえない性分というか。その辺り武之進はお見通し、ということだ。
「おおよ。確かに狐狸、妖怪変化のたぐいはこちらの領分だ。霊験あらたかな経をあげてしんぜよう。夜盗盗賊のたぐいならば、武さん、腕に覚えの、そっちの領分だ。なるほど、それならば、承ろう」
 そう言って鼻の穴をふくらしているのだから、武之進に見抜かれている通り、ぞんがい、権左は素直なものである。
「それは、それとして、なんだって、よりによって武さんが狸狩りだい」
 と権左が最前から不思議に思っていることを尋ねた。
 さすがに武之進や殿様と一緒になって飲み食いしているだけに、まんざら気がいいだけとはいえないようだ。
 いくら井桁藩にひとがいないとはいえ、まだ年若い武之進がこんなお役目まで引き受けなければならないほど人手がないともいえないはずだった。

<続く>

※次回は7月25日に配信予定。

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初出:P+D MAGAZINE(2022/07/18)

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