【連載第8回】公儀厠番 -うんこ侍後始末- 房州、鑓の品地武之進久尚 嘉門院彷楠・作

狸狩りについて、殿様がやっと本題に入った。武之進には、以前国元の本丸御殿、その寝殿近くで、女狐を一刀のもとに切り伏せる、という武勇伝があるのだという。それが元で、武之進は国元を追われるようにして江戸に来たのだった。権左と武之進、そして殿様は、毎晩のように酒の肴を持参して共に飲み食いしているというのに、権左は殿様の氏素性をよく知らない様子。そこで殿様が自慢げに、剣聖と呼ばれる真心影流の使い手の道場に顔を出していることを語り出す。柴崎好佑という、井桁藩随一の剣術使いがその道場に来ているということも宣うが、いささか年を召していることからも、まだまだ若い武之進にご用が回ってくるようだ。

井桁藩随一の剣術使いが登場!

「おお、それよ」と殿様がやっと本題に入った。「武之進殿には以前、国元の本丸御殿、その寝殿近くで、女狐を一刀のもとに切り伏せる、という武勇伝があるのだ。御坊は御存じなかったか」
 それを聞いて、武之進にしても少なからぬ驚きであった。
 自分の名前で語られる、件の一件を殿様がここで言い出すとは思ってもみなかった。
 女狐を切り伏せたというのは、多少、実態と異なるのだが、ここではあえて訂正などをしない武之進であった。
 三人の益体もない戯れ言を後ろで聞いていた、当時は武之進同様に国元にいたおみねも、あらまあ、そんなこともありましたわねえ、という心持ちで思い出し笑いのごとき笑みを浮かべている。
「そんなこともあったとは記憶しておりますが」
 武之進は、ちょっと面倒くさそうに応じた。
 件の国元における女狐騒動は、忘れられるはずもない、それが元で武之進は、国元を追われるようにして江戸にきたのだ。
 半ば、冗談のように、お屋敷内の実態も定かではない怪談話のような狸の一件と同日に語られては、武之進も立つ瀬がないという心持ちである。
「その腕を買って、この度も、武之進殿にご尽力いただけたらということになっている」 殿様、多少、威を正してといった塩梅で、なおも武之進に談判する。
 なるほどと武之進が納得したところで、また権左が割って入った。
「それは得心いったが、なんで殿様がそんなことに口を出す。それならば、それなりのお役目の方がお屋敷内にもいるだろうし、第一、はなっからおかしいやね。お役目ならば、武さんの上役がそれと話を通すが筋ってもんだろ」
「それが、ことがことだけに、そうもいかないのだ。考えてもみなあ」
 武之進と権左が殿様の話を聞こうと膝を乗り出した。へっついの脇に控えていたみねも聞き耳をたてる。
「いくら小藩とはいえ、井桁藩も一国一城、その江戸屋敷に妖怪変化、物の怪、狐狸のたぐいが出るというのでは、ご多分が悪い。ゆえに内々に、ことを穏便にすすめたいと、まあ、こういうことだ」
「ケっ、それはいいけど、なんでそんな取り次ぎを殿様がやらなくちゃならねえんだ。だいいち、お前さんは井桁藩とはなんの関わりもない、ただの御家人くずれだろう」
 毎晩のように酒の肴を持参して共に飲み食いしているというのに、権左は殿様の氏素性の詳細をご存じないと思われる。どうも酒飲みの仲間とはそのようなものであるらしい。「御家人くずれとは聞き捨てならねえな。そんなことをいったら、御坊、おぬしこそ、もとを正せば旗本の、それもどうした塩梅か、その成れの果てやら、川流れやら」
 これにはさしもの権左もふてくされてしまった。あたっているだけに、さしもの権左も反論のしようがない。
「それで、殿様はどこから、そんな話を仕入れてきたんだよ」
 と、二人のやりとりを見かねた武之進が割って入った。およそ世間知らずで通っているから殿様などと言われているのだ。それが、当家の内情やら世間の噂をきにするかは、今夜の殿様の言ってることは、どうも武之進には合点がいかず、得心できないのだ。
「うむ。拙者が男谷精一郎殿の道場で剣術やっとうのお稽古をつんでいることは知っているな」
 殿様が、自慢話のように話しだした。男谷精一郎(信友)は真心影流の使い手で剣聖と呼ばれる。文政六年(1824年)に江戸麻布狸穴に道場を構えた。
 その道場も今年でちょうど十年になる。狸穴に教授所を設けていることから殿様もご近所ということもあり、顔を出しているのだろう。
 例の名刀、兜割り同田貫の使い手、上野の彰義隊敗走のおりは輪王寺宮りんのうじのみやをおぶって落ち延びたという榊原鍵吉が学んだのも、この男谷道場だ。
 後の話になるのだが、榊原は明治天皇の御前での天覧試し斬り会の席上、明珍の南蛮鉄桃形なんばんがねももなりの兜を真っ向上段、降り下ろし、切っ先は六寸余分ばかり食い込ませた。
 なみいる当代の剣豪がことごとく失敗、あるは弾かれ、あるは刀身が折れてしまったあとでの美技があった。
 名刀の証と演者の腕も試された。見事にやり遂げたから、ゆえに兜割り。

 また肥前の名工の手になる同田貫とは、刑死した人体を土壇とよばれた土塁に横たえ試し斬りをするのだが、その際、土壇もろとも二つにしたのでこの名前があるという。
 土塁の土は田んぼの土でも使ったのだろうか、胴と田の土を貫いたというほどの意味であろうか。
 なんともおどろおどろしいというかあけすけで身も蓋もないというか。
 ちなみに通常の打刀の刀身が様式美の極致ではあるが、細く華奢な柳刃包丁のごとく優雅なものであり、それゆえに切り筋が微塵も動揺することがなければ人体も一刀両断するものであるが、少しでも刃先が乱れれば切れぬどころか刀身が折れ曲がる。それゆえに技量も物をいうということになるのだった。
 一方の同田貫は鉈ほどの厚みがある。力任せに降り下ろせば向かうところ敵なしである。まして修行を積んだ使い手がそれを手にすれば威力は計り知れない。剛刀といわれる所以であるが、この試し切りもそのあたりを考慮する必要があるかもしれない。
 ただし、本当の同田貫あるいは胴太貫は単に地名であり、そうした名前の刀工はいないとも言われる。一地方に生まれた、極々実践的な刀で、その姿は無骨、ほとんどのものは身幅も薄いものといわれる。
 実戦で多く使われたことから、後の世に残るものは少なく、また現存しても、あまり製造されたときのままの姿をとどめている物は、さらに少ないという。無骨ゆえに美術品としての価値はあまりないとも。
 閑話休題。そんな後に名を成す剣豪が修行したというのが麻布狸穴の男谷道場だ。名門である。
 箸よりも重いものを持ったことがないような殿様が男谷道場に通っていると聞いた武之進は、殿様が通っているという噂は、まあ、なんとなく、それなりには聞いている、と答えたものの、腕前のほどは知るよしもなかった。
 おそらくは、初心者に毛が生えた程度のものであろう。武之進は意外に辛辣な観察眼をもっている。
「そこに、そこもとの上役、江戸家老の用人、柴崎さまもいらっしゃっている」
 殿様は教え諭すようにのたまった。
「はあはあ、なるほど」
 柴崎好佑は井桁藩随一の剣術使いといわれているが、すでに丑三つ時に狸狩りなどするには、いささか年を召しているし、なんといっても藩内での位が高い。こんな下々の噂話ごときに出場っていくにはそんな肩書が邪魔をしているのだろう。
 また、ただでさえ弱小藩である井桁藩では国元はもとより、ここ江戸屋敷に詰めている家来衆もみな高齢である。それが井桁藩の悩みとなっている。
 ということで、まだまだ若い武之進に色々と雑事のご用が回ってくると、大方はそんなことだろう。
「で、道場で其処許そこもとの名がよく出てなあ。せんだっても例の晦日狸の話が出て、武之進ならば狐狸妖怪のたぐいを成敗できるのではないかなあ、という話になった。そのおり、其処許の女狐退治の話も出たというわけさ」
 井桁藩の国元における女狐騒動などとんと知らず、これがはじめて聞いたので、殿様はもとより武之進もおみねも、なかば含み笑いをうかべながら、懐かしい思い出話のようにかたることが、どうして得心がいしない。
 なにか、面白おかしい事情があるのかもしれないが、権左自身は預かり知らぬ事。興味はあるがそれ以上の詮索もできない。
 武之進、国元における女狐騒動。権左は道場でのやりとりで柴崎某から又聞きして殿様が武之進の国元での活躍を知ったのかと、勝手に合点していた。
 しかし、女狐騒動とはどんなものなのだろうか。
 いずれ武之進に詳しく話を聞いてみようと権左は考えた。

<続く>

※次回は8月1日に配信予定。

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初出:P+D MAGAZINE(2022/07/25)

岩下哲典『「文明開化」と江戸の残像 一六一五~一九〇七』/幕末と明治初期を軸に、斬新な視角から日本の政治と文化を考える
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