◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第4回

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第4回
IH対応のフライパンを買ったので、昨晩の主菜は「卵4個の目玉焼き」だった。

第4話
6日目の電子レンジ

 今日は丸一日オフにする、と昨日から決めていた。明日が締め切りの大仕事を昨日の内に片付けた頑張る女にはその権利がある。10時過ぎまでゆっくり寝てから、ブランチをとることにした。

 昨日のスープの残りを沸かして溶き卵を流したものと、あとトースト。トーストの半分は卵とじスープに浸しながら食べて、残りの半分はいつものようにバターを塗って甘いジャムを「のせて」食べた。ようやくありつけることになった熱いコーヒーはマグカップになみなみ淹れて、ゆっくりと飲んだ。

 意図したことではなかったけど、昨日たっぷり2時間かけて段ボールの荷解きをしたこの部屋は、随分と部屋らしくなっていた。ほっとするような少し寂しいような。でもそこには少し生活が滲み始めていたから、昨日はついに「ご飯と主菜と汁物」という、少なくとも形式的にはまっとうな献立を迎え入れることもできたのだ。主菜が「卵4個の目玉焼き」という浮世離れした料理だったのは、やっぱりどこかスナフキンめいていて、今の自分とこの部屋にちょうど良かった。

 

 そんな昨日の晩餐を回想する。

 塩胡椒を振った目玉焼きの1個目の卵黄は最初から大胆に崩して、それを舐め舐めビールを飲んだ。とろりと流れ出した卵黄に、油多めでかりっと焼いた卵白の焦げを絡めながら引き続きつまみにした。2個目の卵黄は周りの白身を切り取って卵黄だけをパクリと一口で頬張った。幸せすぎて死ぬかと思った。残りの目玉焼きにはお醤油をかけて、ご飯のおかず用にチューンアップした。ついでに冷蔵庫から海苔の佃煮も出してきて少しだけご飯にのせた。最後に残った目玉焼きを、こぼれた卵黄と焼き油と醤油が入り混じった罪なソースを拭うようにしてお茶碗に半分残ったご飯の上に滑り落とし、ミニ丼を作成した。思い返すだに完璧なディナーだった。

 

 今食べたものと昨日の思い出でうっとりした私は、このまま二度寝を決めてやろうかとも思ったが、窓から差し込むなんだか妙に陽気な日差しはそれを許してくれそうになかった。なので私は昨日ショッピングセンターで思いついた計画を早々に実行に移すことにした。そのために必要な儀式、それは電子レンジの設置。

 この部屋に来た初日、引っ越し荷物の荷受け前にアマゾンからその箱はいち早く届いていた。ダイヤルが二つ付いただけの質実剛健なアイリスオーヤマの黒い電子レンジ。ボタンがいっぱい付いた新式の電子レンジはどうにも苦手だ。特に「あたため自動」のボタンとはどう付き合って良いのか全くわからない。「君は何も考えずにここを押してくれればいいんだよ、後はボクがうまいことやっとくから」。それは一見優しげだが、明らかに私の主体性を剥奪している。これはあくまで私の道具なのであって、あなたにそれを支配する権利はない。

 ともあれ5日前の午前中に家に届けられた、好ましくぶっきらぼうな電子レンジが収められた箱は、部屋のコーナー部分にぴったりと道祖神のように一度は祀られたのも束の間、数時間後には次々と届く段ボールの下に埋れていった。その段ボールも半分片付いた今こそが、道祖神と再び逢いまみえる時。

 

 取り出した電子レンジをどこに置くか。これにはほぼ選択の余地はない。当然、冷蔵庫の上だ。冷蔵庫の上に電子レンジ、そのまた上にオーブントースター。おそらく日本の独身世帯の標準となっているであろう鉄壁の三段積みフォーメーション。火を使用し始めた人類が自然に逆らって食べ物の温度を支配せんとしてきたその到達点。

 設置を終え、3歩下がってその上から下の全容を眺める。なんて頼もしい文明のトーテムポールだろう。


「キッチンが呼んでる!」連載一覧

稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)、『おいしいものでできている』(リトルモア)。
Twitter @inadashunsuke

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