◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第4回

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第4回
IH対応のフライパンを買ったので、昨晩の主菜は「卵4個の目玉焼き」だった。

 おっと、感慨にふけっている場合ではない。早速作業開始だ。

 昨日買ってきたレモンを2個、二つに切ってお皿に伏せる。それを電子レンジに入れて慎重にタイマーを回す。熱々になってはいけない。触れるか触れないかのギリギリの温度を目指す。こんな微妙なコントロール、「あたため自動」の優男なんかにはとても任せておけない。

 お皿に少しだけジュースを滲ませつつホカホカに温まったレモンは、皮も柔らかくなって簡単に無駄なくそのジュースを搾り尽くせるようになる。それをいったんお茶碗に受けてから、この日のために洗ってとっておいた麦茶増量600ccのペットボトルにこぼさないよう慎重に移す。レモン汁は底から1/6、つまり100ccくらい溜まる。そこに同じくらいの量の酢を足す。そして、そのレモン汁と酢を合わせたのと同量くらいの醤油を注ぎ込む。キャップを締めて振る。ポン酢の完成だ。

 

 売ってるポン酢はあまり好きではない。カツオだしのしっかり効いた高級なポン酢は、確かにおいしい。まずいなんて言ったらバチが当たる。でもそれが好きか嫌いかは全く別問題だ。高級なポン酢は「どう? ボクって優しいでしょう?」とでも言いたげな、これもまた親切を履き違えた優男のようだ。

 もっともこのレモン汁と酢と醤油だけの自家製ポン酢は、実はそれはそれでちょっとハードボイルドすぎる。本当はここに昆布や削り節を突っ込んだり、みりんを少し足したりするともっと程よく料理屋さんみたいな品のいいポン酢になる。さらに欲を言えば、レモンじゃなくて柚子やカボスの絞り汁だとなおいい。味の素をひとつまみ足すだけでもずいぶんまろやかになる。でも、そういったあと一手間が無いままでも、これはおいしいポン酢の要件は充分に満たしている。あとはこれをどんな料理にどうやって使うか、そしてそれを食べる時の自分の気分の持ちよう次第だ。

 

 手作りのポン酢は、しばらく寝かせるとあとほんの少しだけまろやかになる。おいしくなりたまえ、と念じて私はそれを冷蔵庫にしまった。

 今日はこれからもうひとつ、本日最大のミッションがある。昨日諦めざるを得なかった美術館だ。美術館を訪れるときは必ず、同じ敷地内にある民俗博物館と科学館にも立ち寄るのがいつもの習わし。もしかしたら私が毎回楽しみにしているのは美術館よりむしろ民俗博物館と科学館の方なのかもしれないと思うこともある。美術館はとても好きな場所だ。でもその「好き」には、ほんの少しだけ、日頃「文化」の一端に関わる仕事をしている私の自意識と見栄が入り込んでいるような気もしている。

そんなことを思いながら私は昨日発掘した服に着替えてほどほどにおめかしをした。

(つづく)
連載第5回


「キッチンが呼んでる!」連載一覧

稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)、『おいしいものでできている』(リトルモア)。
Twitter @inadashunsuke

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