◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第6回

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第6回
スーパーのお味噌のコーナーの前で、私は再び悩んでいた。そろそろ味噌汁の出番だ。

第6話
8日目の味噌

 以前一緒に暮らしていた人は、お昼ごはんに「ご飯・おかず・汁物」というスタイルの食事が出てくるのを嫌がった。

「ちゃんと理由が説明できなくて申し訳ないんだけど」

 と、一応律儀に前置きして彼は続けた。

「なんだか後ろめたいような気持ちになっちゃうんだ」

 曰く、丼ものなら何の抵抗もないらしい。例えば、天ぷらとご飯、はダメだけど天丼ならオーケー。だけど本当は麺類なんかだと一番安心する、とも。

「何言ってるかよくわからないよね、ごめん」

 彼は再び申し訳なさそうに謝った。確かに何言ってるかよくわからなかったし、何だか彼自身も自分のその気持ちの正体がよくわかっていなさそうだったけど、とりあえず私は「うん、わかった」と快諾した。

 普段は私の生活様式に口を挟んだり不平を漏らしたりするような事なんてまず無かったし、こうやって口に出すってことはそれなりに切実なんだろうと思ったからだ。それに私としても、休日のお昼ご飯がうどんと蕎麦とパスタと中華麺のローテーションでも特に問題無さそうな気がした。

 引っ越し荷物がほとんど手付かずのままキャンプのような暮らしをしていた数日前まで、確かに私も「ご飯とおかず」という形式の、地に足のついた食事を部屋に持ち込むことに抵抗があった。それはもしかしたら、彼が言うところの「後ろめたさ」ともどこか重なる感情だったのかもしれない。

 スーパーのお味噌のコーナーの前で、私は数日前に引き続き、再び悩んでいた。

 半分片付いた部屋はようやく「ご飯とおかず」スタイルの生活感ある食事を受け入れ始めていたから、そろそろ味噌汁の出番だ。

 

 実家には二種類の味噌が常備されていた。クリーム色の麦味噌と焦茶色の八丁味噌。宮崎出身の母と愛知出身の父の好みがそれぞれ反映されていたのだろうか。味噌汁として登場頻度が高いのは麦味噌で、八丁味噌の方はちょっと洒落た和食の晩ご飯──例えば天ぷらとかうなぎとかお刺身とか──そういう時にいつもより小ぶりなお椀で用意された。そこには必ず巻き麩と三つ葉。

 でも私が一番好きだったのは、その両方を使った合わせ味噌だった。冷蔵庫に細々と余った野菜を片っ端から入れたごった煮のような味噌汁の時はなぜか必ず合わせ味噌で、母はそれを「冷蔵庫一掃シチュー」と呼んでいた。その極めてざっかけない料理は、私にとっては最高のご馳走のひとつだった。

 大学進学で初めて一人暮らしを始めた時、だから私は真っ先に「合わせ味噌」を買った。でもその「合わせ味噌」は、麦味噌と八丁味噌をその都度合わせる我が家の合わせ味噌とは明らかに別物。私はすっかり落胆して、自炊で毎回味噌汁を用意すること自体を早々に諦めてしまった。


稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』(扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(いずれも柴田書店)、『おいしいものでできている』(リトルモア)。
Twitter @inadashunsuke

◎編集者コラム◎ 『希望という名のアナログ日記』角田光代
南原 詠さん『特許やぶりの女王 弁理士・大鳳未来』