◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第11回

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第11回
取材帰りの夜8時、空腹の極まった私は、居酒屋にでも立ち寄ろうと思ったのだが──

第11話
12日目のフライドチキン

 外で取材の仕事を終えたら、久しぶりに夜の8時を過ぎていた。インタビュイーのフレンチシェフから鶏肉の調理法について散々おいしそうな話を聞かされたわたしは、気持ちの上でも既に空腹が極まっていた。たまには手っ取り早く居酒屋にでも立ち寄って、から揚げと生ビールと冷やっこ、なんてのも悪くないな、と思い始めたが、そこで私は不意にひとつの重大ミスを思い出した。

 今朝、取材の準備でバタバタしたので、炊飯器のご飯を保温したまま家を出てきてしまったのだ。あれは今日中に片付けなくてはならない。久しぶりの外食は諦めるしかなかった。

 少しだけ気落ちしながら駅に向かうと、ケンタッキーフライドチキンの赤い看板があった。さっきインタビューしたシェフも「これは書かないでね」と笑いながら、実はケンタッキーが大好きであることを吐露していた。たぶんこれは天啓だ。私はケンタッキーをおかずにご飯を食べる、禁断の「ケンタッキー定食」を思い出し、今日はこれしかないと確信した。

 

 大学生時代の最初のアルバイトは家庭教師だったけど、すぐに挫折した。私自身は決して勉強が苦手な方ではなかったものの、そのことと人にそれを教えることはまったく別問題だと気付いたのだ。私には人に何かを教える才能が皆無だった。

 生徒である中学生男子が、何かというと授業を中断させておしゃべりに引き込もうとするのにもうまく対処できなかった。思春期だからある程度仕方ないこととはいえ、そのおしゃべりがしばしば性のことに向かうのもウンザリで、

「先生カレシいるの? セックスしたことある?」

 みたいな不躾な質問に毅然とした叱責を返せるだけの世間知も、当時の私には欠けていた。

 実のところ一番つらかったのは、ご両親が私に向ける期待だった。彼らは自分たちの息子がすっかり私になついていると認識していた。その認識自体はあながち間違っていなかったかもしれないけど、その所以ともなったであろう授業を逸れた雑談の内容なんて、とても聞かせられない。

 意地きたない話だが、そこで毎回出してもらえる豪勢な食事は、ひとり暮らしを始めたばかりの学生にとってかなりの魅力だったのは確かだ。だがそれも私には不相応な期待がかかっていることの象徴に思えて、だんだん心苦しくなっていくばかりだった。

 何より、受験という重大事を控えた中学生の、その人生を左右するかもしれない役割は、私にとってあまりにも荷が重かったのだ。

 

 電話口でごめんなさいを繰り返しながら家庭教師のアルバイトを辞めた私は、すぐに別のアルバイト先を検討し始めた。とりあえず下宿の近くで気楽そうなアルバイトを探し、ケンタッキーフライドチキンの面接を受けた私は、やっぱり食い意地が張っていたのかもしれない。実際そのフライドチキンは、ビル持ち高所得家庭の夕飯にも負けず劣らずのご馳走だ。

 ケンタッキーでの仕事は肉体的にはなかなかしんどかったし、時給は家庭教師時代の三分の一以下になってしまったけど、精神的にははるかに楽だった。少なくともそこは存外居心地の良い場所で、私はそれからそこで随分長いこと働き続けた。持ち帰ったチキンをご飯のおかずにする「定食」は、そこの従業員の間では常識だった。

 そんな私はケンタッキーについてはかなり詳しい。最初はフライドチキンに5種類の部位があり、それらを9ピース集めると一羽のチキンが復元できることを知ったくらいで感激していたが、いつの間にかその各部位ごとの個性も明確に理解していた。


稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(ともに扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(ともに柴田書店)、『おいしいものでできている』(リトルモア)。
Twitter @inadashunsuke

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