◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第12回

2日目のカツサンド
ドアのチャイムが鳴って、私はモニターを確認した。そこには懐かしい顔があった。いや、「懐かしい」というのは客観的には適切じゃないかもしれない。モニターに映るその人は、ほんの数日前まで生活を共にしていた人だったからだ。しかし今の私にとって、彼が「懐かしい人」であることは事実だ。懐かしい人はモニターの中で、どこか飄々とした懐かしい表情を浮かべていた。
彼には、前居にうっかり置いてきてしまった忘れ物を送ってもらうようにお願いしていた。いつも資料に使っている本2冊と、過去に仕事で使ったノートが6冊。それをわざわざ持参してきてくれたということらしい。変なところで律儀というか不器用というか、相変わらずの彼の行動パターンはちょっと可笑しい。
玄関先で荷物を受け取った。
「新居は、どう?」
と覗き込んで尋ねる懐かしい人に、私は、
「なかなかいい部屋だよ」
と、返した。
「まだ全然片付いてないし、当分片付ける気もないけど」
彼はしばらく黙り込んだ後に、「そう」とだけ言って、頼んでいた荷物の他に片手に持っていたビニール袋からゴソゴソと箱をひとつ取り出し、私に手渡した。
「これ、差し入れ。そんじゃ」
それだけ言って、彼はまた飄々と帰っていった。
ほの温かく、案外ずっしりとしたその紙箱には、丸っこいカラフルな文字で「Sandwich」という文字が印字されており、トリコロールの装飾が施された余白には、黒いマジックで「カツ」という手書き文字が丸で囲まれていた。中身を確認すると、それはカツサンドだった。そのカツが脂の帽子をかぶったような独特の断面には明らかに見覚えがある。彼と何度も行ったことのある下町の洋食屋のカツサンドだった。
確かに今日はこの時間までろくなものを食べていなかったから、それはとても嬉しい差し入れだった。いつもどこか微妙に世間とはズレる彼だったが、こういうことに関してだけはいつも気が回る。
早速、冷蔵庫に1本だけ残っていたビールを開け、私はそのカツサンドを有難く頂戴した。
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