◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第13回

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第13回
その日、彼女の新居に本とノートを届けに行った。宅配便の送り方がわからなかった。

第13話
2日目のハンバーグサンド

 本とノートを彼女に送らねばならない。ノートはともかく、本は今やってる仕事にもすぐに必要なはずだ。その準備をしようとしたが、宅配便の送り方が実のところよくわからない。コンビニからでも送れることはなんとなく知っているが、そのためには「梱包」というものが必要なはずだ。宅配便を送ったことは無いが、受け取ったことは数限りなくある。大体においてそれは、大袈裟な段ボール箱に大袈裟な緩衝材と共に念入りに固定されていた。ウチには現時点で段ボールも緩衝材も無い。そういえば箱でない時は、ビニールコーティングされたこれまた丈夫そうな紙袋に入っていることもあった。あの袋はコンビニに行けば買えるのだろうか。それもよくわからない。

 ネットで調べれば簡単にわかるのかもしれないが、なんだかそれも億劫で、だから直接届けることに決めた。彼女から知らされた新居の住所は、おそらくここから30分近くかかる。幸い乗り換えなしに電車一本で行けるし、道中の暇を潰す読みかけのキンドル本もあるし、彼女の本は一日も早く届けられるに越したことはない。

 こういう時は手土産のひとつも必要だ。「常識が無い」と彼女にはよく笑われたものだが、お陰でその程度の常識は既に身に付いている。駅に向かう道すがらに、昔二人で何度も行ったビストロがある。昨今のコロナのご時世で、その店も積極的にテイクアウトを始めたようで、店頭の黒板に書き出されたそのメニューの中には、我々の大好物だった「パテ・アンクルート」もあったはずだ。

 

 その店で初めてパテ・アンクルートなるものに出合った時、とりあえずそれは「惣菜パン」のオシャレなやつだな、と認識した。冷たいハンバーグみたいな肉の周りがパンっぽいもので囲われていたからだ。パンとハンバーグの間にはところどころ隙間があって、そこにはプルプルしたゼリーのようなものが詰まっていた。こんな隙間にゼリーを埋め込むなんてさすがに手が込んでるね、と感嘆したら、彼女は笑って、

「それは中の豚肉から自然と染み出して固まった煮凝り。手が込んでるのはそこじゃなくて、その中のお肉の部分よ。塩漬けにした豚肉にハーブやレバーを混ぜてあるの。……いや待って、この店のはレバーじゃなくてフォアグラかも」

 と教えてくれた。

 グルメ情報を扱うネットメディアの仕事もしてる彼女は、さすがに食べ物に関して詳しい。そんな彼女に連れられていくレストランは、とにかく楽しかった。漫画に出てくる架空の贅沢品としか思ってなかったフランス料理が、普段から気軽に食べに行ってもいいものだったなんて、それまで思ってもみなかった。ワインの分だけ居酒屋や焼き肉より少しだけ値は張るけど、こっちの方が断然ワクワクした。惣菜パンのようなものなのにナイフとフォークで食べる、みたいなのもなんだか異文化めいて新鮮だったし、しょっぱいおかずのはずなのに脇にはブルーベリージャムが添えられているのも未知の領域だった。何より、パテ・アンクルートに限らず、そういう店の料理はどれもおいしかった。どう手が込んでいて、それがどうおいしさに寄与しているのかは、彼女に教えてもらわない限りよくわからなかったけれども。

 

 駅に向かう道すがら立ち寄った店頭のテイクアウトメニューには、記憶通りいくつかのメニューと並んでパテ・アンクルートも書かれていた。彼女がずいぶんと気に入っていた紅玉のタルトタタンもあるようだ。これもついでに買っていこう。さして甘くないのにひたすら濃密なそれは、なんだか喉に重く引っ掛かるだけな気がして、最後までその良さを理解できなかったのだが。

 いそいそと店に入りそうになったが、すんでの所でふと思いとどまった。昨日引っ越したばかりの新居は、きっとまだとっ散らかったままのはずだ。そんなところで「パテ・アンクルートとタルトタタン」でも無かろうと気付いたのだ。方針を転換して駅の反対側にある古びた洋食屋に向かった。

 

 週に一度はあちこち通っていたフレンチビストロだったが、ある時から何故か足が遠のいた。彼女がフリーになって突発的な仕事も入りがちになったから、事前にお店を予約するのが難しくなったのだ。その代わり我々は、いつでもふらりと寄れる洋食屋に出かけることが増えた。幸いこの辺りは古くからの門前町で、昔ながらの洋食屋には事欠かなかった。ついこの間まではフランス料理について雄弁に語っていた彼女が、そして家ではいつも料理雑誌から取り出したような、シンプルだけど小洒落た料理を淡々と作っていた彼女が、一見どこにでもあるようなフライ物やシチューを嬉々として平らげているのは少し不思議な気もした。


稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(ともに扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(ともに柴田書店)、『おいしいものでできている』(リトルモア)。
Twitter @inadashunsuke

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