◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第14回

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第14回
パスタは、容姿を気にしていた思春期の私にとって、一筋の巧妙だった。

第14話
13日目の深型フライパン

 パスタは子供の頃からの大好物だったけど、かつて高校生になったばかりの私にとって、それはひときわ特別な食べ物にもなっていた。

 その頃まわりの友人たちに一足遅れて「成長期」に突入した私は、いつだっておなかがペコペコだった。学校帰りに友人と連れ立ってコンビニに立ち寄り買い食いをするときは、スイーツコーナーのシュークリームごときではとても飽き足らず、パンコーナーに場所を移してそこでなるべく安くてなるべく大きい菓子パンを物色した。

 夢中でそれを頬張りつつ、同時に私はその袋の裏側に細かい活字で記された原材料表記や栄養成分表を確認することにも余念が無かった。そこに表示されているカロリーはなかなかに途方もないものだった。空腹が確実に満たされていく幸福感の真っ只中にありつつも、私はその数字に嘆息した。

 私は大きなパンを食べたいのと同じかそれ以上に、できればこれ以上太りたくはないという気持ちも抱えていたのだ。ティーン向けのキラキラしたファッション雑誌では、同じ世界に生きているとは思えないほど綺麗でスラっとして顔の小さい、読者モデルという名の妖精たちが舞い踊っていた。もっか正反対のスタイルである私は、それを見てもやっぱり嘆息した。

 ある時決意した。このままではいけない。しかしそう決心しつつ、やはり日々の空腹には逆らえない。そんな自分の弱さが到底克服できそうにないのも、これまた残酷な現実だった。

 

 ある時そんな葛藤に一筋の光明が射した。

 家族が出払っていたある土曜日に、私はスパゲッティを茹で、レトルトのトマトソースをかけて食べていた。そして大口開けてそれを頬張りつつ、家庭科の副読本を傍に広げてそのカロリーを計算してみたのだ。計算結果は492キロカロリー。その数字は菓子パンの裏に刻印された残酷な数字を概ね下回るものであった。

 私はその時それをチャンスと捉えたのだ。大好きなスパゲッティは、菓子パンを遥かに凌駕する満足感を与えてくれる。そのカロリーはさすがに「低い」とまでは言い切れなかったが、少なくとも野放図な買い食いよりは些かマシであることだけは間違いない。

 更に、その頃たまたまつけっぱなしのテレビで、「地中海式パスタダイエット」という概念を知った。それはイタリア発の新しいメソッドであるようだった。「毎日の肉やパンを減らしてパスタをメインとした食事に切り替えることにより、健康的なダイエットが可能になる」と主張するその理論は、おおよそイタリア人の自尊心を満足せしめるためだけの強引な理屈にも思えたが、とりあえずいったん全ての疑念を捨ててそれを信仰してみることに決めた。

 

 少しでも妖精に近づきたかった私は、もちろん可能な限り空腹を耐え忍ぶようには努めた。しかしそれが少しでも我慢の限界を超えそうになると、コンビニの前は急ぎ足で素通りし、帰宅していそいそとパスタを茹でた。急遽母親から習いおぼえたポモドーロや和風きのこスパゲッティのみならず、ペペロンチーノやカルボナーラ、ジェノベーゼなどを次々に独学でマスターしていった。

 逃れようのない青春の空きっ腹からの希求に従うかのように真剣に練度を高め続ける私のパスタ調理技術は、こうやってぐんぐん向上していった。冷蔵庫の半端な食材を漁って、当意即妙にオリジナルパスタを創案するスキルも自学で身に付けた。心を鬼にしてパスタの量を半分にし、代わりに大量のキャベツやほうれん草を一緒に茹でて満足度を無理やり補完するアイデアを我が薬籠中のものとした時は、自分のことを天才ではないかとすら思った。これぞまさに、地中海式パスタダイエットの本当の意味での具現化ではないか!


稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(ともに扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(ともに柴田書店)、『おいしいものでできている』(リトルモア)。
Twitter @inadashunsuke

週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.45 吉見書店竜南店 柳下博幸さん
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