◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第17回

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第17回
今日は料理なんてしないぞ、と固く心に誓い、帰りがけにデパ地下に寄った。散財の一つでもしてやろう──

第17話
16日目のパリジェンヌ

 昨日暗礁に乗り上げかけた仕事上の問題は、午前中のうちにあっさり解決してしまった。企画に関わる私以外の人々が一斉に私の肩を持ってくれたのだ。最後には、件の責任者のさらに上の人間まで巻き込んでくれたという話だった。

 思わぬ大事になったな、と肝を冷やしたが、助けてもらえたことは本当にありがたく、そして頼もしかった。「それ見たことか」と溜飲を下げたのも正直なところだ。ただし責任者氏が心底納得してはいないだろうことは確かだし、納得しない理由も結局腑に落ちていないままだ。

 冷静に考えれば私は昨日(少なくともアジをほぐす時点までは)興奮しっぱなしで、自分の正しさに寸分の疑いも抱いてなかった。他の人々もおおむねそう感じてくれたからこそ、一斉に肩を持ってくれたということなのだろう。しかしそれはやはり独善的に過ぎたのではないかという引っかかりもまたある。理解できないことを否定するのは独善であり、正義は人の数だけある。

 

 ともあれ少なくとも事態は好転したのだから、あまり考え過ぎてもしょうがない。

 午後からは打ち合わせだ取材だで外を飛び回って、気付けば夕暮れ時。ぐったりと疲れきっていた私は、今日は料理なんてしないぞ、と固く心に誓い、帰りがけにデパ地下に寄った。散財の一つでもしてやろうではないか。

 デパ地下の瀟酒なショーケースに並ぶサラダやお惣菜は、目移りするくらいどれも素敵に見えた。桃と生ハムのハーブマリネも、マグロとアボカドとオレンジのサラダも、モンゴウイカとアスパラガスと白木耳の藻塩炒めも、秘伝のヤンニョムチキンも、果ては銀鱈西京焼きや筑前煮に至るまで、全てがツヤツヤピカピカとした光を放っていた。こんなに綺麗な食べ物をこんなにたくさん並べるなんて、そこにはいったいどれだけの人がどれだけの努力を捧げたのか。ちょっと途方もないような気がした。

 ただそれらは少し眩しすぎた。眩しい、と言っても、憧れが強過ぎて気がひける、という比喩的な意味ではない。単純に物理的に眩しかったのだ。それはどこか作り物めいて、目には訴えかけてきても胃袋にまでは届かなかった。

 

 結局その階で買ったものは、ちょっと地味な売り場の物ばかりとなった。何種類かのチーズと上等なハムを少し。そして両端がツノのように尖った、細くて固そうなバゲット。赤ワインもチリ産の高くないカベルネを1本。

 せっかく来たんだからと生鮮品売り場にも寄り、普段あまり買わないものをと探して、地鶏の骨付きもも肉を1本選んだ。野菜も少し買った。

 ワインや鶏肉ででずしりと重い買い物袋の上端からは、とんがりバケットと並んでセロリも飛び出している。外からは見えないけど上等なハムもチーズもクレソンも入っている。おおよそパリジェンヌではないか。本当はあまりよく知らないパリジェンヌというものに対して、無邪気な憧れを抱くような年齢はとうに過ぎているかもしれないが、現実に今ウキウキしているのは確かだ。最初に想定していたのとは少し方向性こそ異なれど、首尾よく散財に成功した私は、意気揚々と帰路に就いた。


稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(ともに扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(ともに柴田書店)、『おいしいものでできている』(リトルモア)。最新刊は『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)。
Twitter @inadashunsuke

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