◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第19回

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第19回
昨日一昨日と肉やチーズを食べ続けて満足した私の身体は一転、枯れた食べものを欲していた。

第19話
18日目の湯豆腐

 最近、周りの同世代の人々が急に、「昔のようにこってりしたものが食べられなくなった」と言い始めるようになった。

 これは特に男性に顕著な傾向だ。

「上カルビは2切れで充分」
「カツカレーはもう無理」

 そんなことを嘯く彼らは、一見そのことを嘆いているだが、実のところちっとも嘆いてなどいないのだとわかる。むしろどこか得意げだ。上カルビやカツカレーを卒業することが、成熟した大人の嗜みである、とでも主張しているかのように感じられるのだ。

 実際彼らは、その返す刀で「噛み締めて食らう硬い赤身肉のステーキ」や「南インド料理のサラッとしたミールス」を賛美する。ある種のアップデートを果たした達成感を感じ、そしてまた、若き日の肉と脂への絶えざる希求から解放されて少しホッとしているかのよう。

 

 長い付き合いの、ある編集者の男性もその口だ。彼はかつて、いわゆる「二郎系」のラーメンの愛好家「ジロリアン」だった。ゴワゴワと硬くて太い大量の麺に更に大量のもやしと厚切りの煮豚がのり、丼の一面を背脂とニンニクが覆う、そんな凄まじいタイプのラーメンを求めて数々の店を渡り歩く求道者。私もかつて誘われたが、話を聞くだに怖気付いて、踏ん切りが付かなかった。

 そんな彼は最近、二郎系通いをパッタリやめてしまったらしい。

「少なくとも最後の1年は、明らかに無理をしていたと思う。おいしいと思うのには変わりはないんだけど、同時に、気の重さも感じてた気がするんだよね」

 彼はそう述壊した。

「でも行列に並んで順番を待っている内に、だんだん覚悟が決まってくる」
どういうこと? と聞くと、彼は少し考えてこう答えた。

「行列に並んでる奴ら、なんだかみんなみなぎってるんだよ。ワクワク感や意気込みがひしひしと伝わってくる。それに当てられて、こりゃ自分も負けちゃいられないぞ、と闘志が沸いてくるんだ」

 ある時彼は、勇んで訪れた普段は行列のできる人気店にたまたま誰も並んでいなかった日、ついその前を素通りしてしまったらしい。

「闘志をチャージするための重要な時間が失われた気がして」

 というのがその理由だった。私にはなかなか理解し難い行動だったが、そこには求道者なりの苦悩があったのだろう。

 そしてその日を境に、彼は二郎系通いを完全にやめてしまったと言う。気が向いた時くらいたまには行けばいいじゃない、と素直な感想を述べた私に、彼はきっぱりと言い切った。

「いや、人生には区切りというものが必要なんだ」

 

 そんな彼は、今度は「蕎麦屋通い」を始めた。ずいぶん極端な転身にも思えたが、彼に言わせれば「本質的な部分では同じ」とのことだった。これまた私には理解し難い見解だったが、求道者たる彼は、二郎系行脚という滝打ちの中で、常人には達し得ない悟りの境地に至ったのであろうか。

 中庭の見えるお気に入りの蕎麦屋で彼は、心静かに板わさをつまみ、鴨抜き、つまり鴨南蛮蕎麦の蕎麦抜きを啜り、そしてせいろを2枚たぐると言う。「脂の層を気にせず思う存分にうまい汁を啜れる鴨抜きは至福」と、陶然とした表情でその魅力を語る彼だったが、蕎麦屋での支払い総額が二郎系時代の5倍近くにもなってしまうことだけは少し嘆いていた。それでも、

「二郎系を食べ続けた場合の将来的な医療費を考えたら充分ペイするはず」

 という、冷静なんだか単なる認知的不協和の解消なんだかよくわからない見解も含めて、自分を納得させているようだった。


稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(ともに扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(ともに柴田書店)、『おいしいものでできている』(リトルモア)。近著に『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身! 。』(アスコム)。
Twitter @inadashunsuke

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