◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載最終回

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第21回
冷蔵庫を開けると──クラフトビールがずいぶんいろいろ溜まっていた。

第21話
19日目のソース焼きそば

 冷蔵庫を開けるとクラフトビールがずいぶんいろいろ溜まっていた。それは冷蔵庫の棚一段を丸々占拠していた。

 3ヶ月前に始めたクラフトビールのサブスクで、家には毎週6本のクラフトビールが届く。ビールはもともとはっきりとした味のものが好きだったということもあり、自分自身も構築に携わったサブスクサイトの顧客になってみたのだ。

 最初の頃は毎晩それを1本ずつ開けるのが楽しみだった。ところがある時急に、それが何かしらの義務であるように感じられた瞬間があって、それから冷蔵庫には徐々に不良在庫が溜まり始めた。

 そうなった後も、たまに意を決して開けるそれが相変わらずおいしいのは間違いなかった。好みにドンピシャなものもあれば、好みとは微妙にズレるけどその微妙なズレがかえって楽しいものもあった。それでもなぜか開ける頻度は徐々に落ちていった。なんとなく見て見ぬふりをして、無色透明なジンや水みたいな安ワインをジルジルと啜ることが多くなっていった。自分のことは比較的我欲の薄い人間であると認識しているけど、その反面、妙なところで少しの意にそぐわないことも許せない頑迷さがあるのも自覚している。

 決定的だったのは、2週間前に居酒屋で飲んだスーパードライだった。久しぶりに飲む「クラフトジャナイビール」は、そのままストンと胃の腑に落ちて、その水やアルコールの分子のひとつひとつがスッと身体に染み込んでいく、そんな感覚があったのだ。

 今日も会社帰りに駅前のスーパーでスーパードライの6缶パックを買ってきた。冷蔵庫の棚一段にびっしり並ぶ個性的な顔たちに、目を合わせないまま「ごめんな」と心の中で呟いて、その下の段の左端にそれを収納した。そして早速1本を取り出し、扉をパタンと閉めて、プシュッとプルタブを引いた。

 スーパーでは、スーパードライの他に焼きそばの麺も2玉買ってきた。急にソース焼きそばが食べたくなったのだ。塩焼きそばは少し前までしょっちゅう食べていたけど、ソース焼きそばはずいぶん久しぶりだ。

 

 初めて塩味の焼きそばを食べたのは、かつて彼女が作ってくれたそれだった。土曜日のお昼にキッチンでガタガタと音を立てて豪快に中華鍋を操る彼女に「今日は何?」と尋ねると、「焼きそば!」という弾んだ声が返ってきたから、いつものように2人分の箸と麦茶を用意してワクワクしながらその完成を待った。目玉焼きものるのかなあ。あれ、でも家に紅生姜や青海苔はあったっけ? 紅生姜はどっちでもいいけど青海苔は外せないよなあ。

 ところが目の前に出てきたその「焼きそば」は、知っている焼きそばとは完全に別の何かだった。茶色くない。むしろ白い。もちろん目玉焼きも紅生姜も青海苔ものっていない。

「これって焼きそばなの?」

 と聞くと、

「焼きそば」

 というシンプルな答えが返ってきた。

「あなたってやっぱりおかしな人ね」

 と笑いながら小さな口を大きく開けてそれを頬張る彼女を見ながら、なるほどおかしいのは自分の方か、と素直に納得してそれを食べた。

 抜群においしかった。焼きそばと言いながら、麺は大量の野菜の中にちらほら見え隠れしているだけだった。彼女がそうするのを見よう見まねで、途中からそこに辛子とお酢をちょろっと足したら、それはますますおいしかった。夢中で食べ終えて早々に「これまた作ってほしい」と彼女に伝えたら、「もちろん」というこれまたシンプルな答えが返ってきた。


稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(ともに扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(ともに柴田書店)、『おいしいものでできている』(リトルモア)。近著に『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身! 。』(アスコム)。
Twitter @inadashunsuke

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