◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載最終回

◇ショートストーリー◇稲田俊輔「キッチンが呼んでる!」連載第21回
冷蔵庫を開けると──クラフトビールがずいぶんいろいろ溜まっていた。

 しかし。

 しかし今日食べたいのはそれじゃない。あくまでソース焼きそばだ。そもそも彼女みたいに上手に塩焼きそばを作れる自信はなかった。

 冷蔵庫の野菜室には、テニスボール大のキャベツがラップに包まれてコロンと転がっていた。ところどころ茶色く変色した部分を包丁で削ぎ落とし、端からザクザクと刻んだ。途中で芯の硬い部分もそのまま切ってしまっていることに気付いたが、別に食べられないことはないだろうと気にしないことに決めた。

 冷蔵庫にはラードもあった。彼女が前に豚の角煮を作った時に、脂だけすくって粒マスタードの空き瓶に溜めておいたものだ。ネギだけのチャーハンに入れるとおいしいと彼女は言っていたから、キャベツだけの焼きそばにもいいはずだと推定した。

 そのラードを半分くらいすくって熱した中華鍋に放り込んだら、その瞬間もうおいしいとすぐわかる甘い香りが立ちのぼった。

 そこにすかさずキャベツを放り込んだ。次のタイミングがよくわからなかったから麺2玉もすぐに投入した。ぐるぐるとかき混ぜていたら、麺が鍋に貼り付き始めた。これはまずいのではないかと状況を察知して、ウスターソースをドボドボと注ぎ込んだ。貼りついた麺はいったんは鍋底から剥がれたけど、またすぐに貼り付き始めた。もう開き直るしかない。麺は最後強引に剥がせばいいだけだ。そう決心したご褒美のように、鍋からは香ばしい香りが立ち始めた。なるようになれ、と放置を決め込んだその鍋から立ち上る香りを肴にして、缶に残ったスーパードライを飲み干した。

 完成した焼きそばを皿に移そうとしたが、半分くらいは鍋に貼りついたままだ。やれやれ、と嘆息しながらも、おたまでガリガリと強引にそれを引き剥がして皿の上にこそげ落とした。青海苔は無かったから、大袋に半分以上残っていた刻み海苔を、焼きそばが見えなくなるくらいたっぷり手掴みでのせた。

 

 ダイニングテーブルに運んだその一皿は、自分で言うのもなんだが神々しかった。半ば恐る恐る一口頬張ると、その神性は確実なものとなった。ガリガリと引き剥がした部分はカリッと香ばしく、そこにヌメヌメとまとわりつく焦げていない麺や、ゴリっとしたキャベツの芯。そして静かに、かつしたたかにその存在を主張する刻み海苔が、まさに神がかったバランスで口中を支配した。そこに甘酸っぱくも刺激的なソースの味わいと甘やかなラードの香り。

 間違いなく我が生涯で最高の自作料理だ。高揚した気分のままに、冷蔵庫にビールを迎えに行った。この神掛かった濃密な味わいにこそクラフトビールだろう。いつものようにふてぶてしい面構えでスタンバイしている彼らの顔を久しぶりに正面から睨み回しながら、この焼きそばにふさわしいのはお前か? それともお前か? と、抜擢すべき勇者を見定める王がここにいる。

(了)
*本作の連載は今回で終了です。ご愛読ありがとうございました。
第22話以降を書き下ろし、11月15日に単行本として発売予定です。


稲田俊輔(いなだ・しゅんすけ)

料理人・飲食店プロデューサー。鹿児島県生まれ。京都大学卒業後、飲料メーカー勤務を経て円相フードサービスの設立に参加。和食、ビストロ、インド料理など、幅広いジャンルの飲食店の展開に従事。2011年、東京駅八重洲地下街に南インド料理店「エリックサウス」を開店、複数の業態の店舗を持つ人気店に。さまざまな角度から食を探求する書き手としても活躍する。著書に『人気飲食チェーンの本当のスゴさがわかる本』『飲食店の本当にスゴい人々』(ともに扶桑社新書)、『南インド料理店総料理長が教える だいたい15分! 本格インドカレー』『だいたい1ステップか2ステップ! なのに本格インドカレー』(ともに柴田書店)、『おいしいものでできている』(リトルモア)。近著に『チキンカレーultimate21+の攻略法』(講談社)、『カレー、スープ、煮込み。うまさ格上げ おうちごはん革命 スパイス&ハーブだけで、プロの味に大変身! 。』(アスコム)。
Twitter @inadashunsuke

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