滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第4話 運転手付きの車③

滞米こじらせ日記~愛しきダメな隣人たち~ 桐江キミコ 第4話 運転手付きの車
どこからどう見ても、ちゃらんぽらんで
胡散臭く見えるハーヴェイ。
綾音さんにはまったく違って見えるようで――。

「いや、2万ドルでも3万ドルでも、出来高次第でもっと出してもいい。君だって、ちょっとした小遣いが欲しいだろう」

 なんだか怪しい話が出てきそうな気配で、「忙しくてなかなか時間が取れないから、無理だと思うけど」と防衛線を張ると、ハーヴェイは気分を害したようだった。

「まだ話の内容も聞いていないのに、それは何だ。そんなだから、人の上に立つことができないんだ。君だって楽な生活をしたいだろう、好きなときに好きなところへお抱えの運転手を使って行けるような生活が」

 といきり立った。

 いつもの訓戒をたれながらハーヴェイが取り出したのは、1枚の古い絵だった。

 壊れた額に入ったそれは銅版画で、日焼けしてかなり傷んでいた。イエール大学のキャンパス風景が描かれていて、裏を見ると、最近やけに気難しくなって、だれも近寄ろうとしないエレンのお父さんのサインがしてあった。そういえば、エレンのお父さんがイエール卒だったことを思い出した。

「イエールにコンタクトして、この絵を売ってみないか。売買が成立すれば、もちろん、コミッションを払う。売り値次第で、1万ドルにだって2万ドルにだってなる」

 ここでハーヴェイは、どうだい、こんなにおいしい話はないだろう、という顔をした。

 が、なにしろ、この手入れの悪い銅版画である。銅版画ということは、かなりの数が刷られたはずだし、そんなに昔のものではないから歴史的価値も高くはないし、保存状態もすこぶる悪いから、骨董屋(こっとうや)に持っていっても、せいぜい20ドルぐらいの値が付けばいい方だというのは、素人のわたしにだってわかる。そもそもが、「イエールの絵→イエールに高値で売る→元イエールの学生に売らせる」という論法も、短絡的すぎると思う。

「そんなに価値があるというのなら、なんで自分で直接売りに行かないの。そしたらコミッションも払わなくてすむからいいでしょう」と言うと、ハーヴェイは、

「君はイエールにいたわけだから、コネがあるだろう」当たり前じゃないかという口調で言った。

「一学生だっただけで、学長と懇意なわけでも、イエールと特別なつながりがあるわけでもない」と言っても、ハーヴェイは聞く耳を持たず、「君は1万ドルの小遣いが要らないのか」とねばるのだった。

「好きな服も買えるし、ヨーロッパへ旅行することだってできるじゃないか。こんなだから、君は、運転手付きの高級車を乗り回すことができないでいるんだ」

 どうやら、ハーヴェイは、わたしが引き受けさえすれば、絵が売れたと同じとでも思っているようだった。全然、昔と変わっていなかった。カシミアのセーター、魚の疑似餌のセールス、TV取材の誘致などなど、ものが違うだけで同じようなことを何度も頼まれたものだった。おそらくハーヴェイは、アメリカに来てから何十年というもの、成功報酬をエサに人をただで働かせるようなやり方で食べてきたのだろう。人の上に立って人を動かして仕事するのとこれはちょっと違うと思うのだが。

 やんわりと断るのに、ものすごく労力が要った。おかげで、相棒との待ち合わせの時間に遅れ、ラッシュ・アワーにかち合って、ニューヨークに着いたのは夜半になっていた。

 あのしがない銅版画を思うと、ハーヴェイが巨額の資金を動かしているようには思えないのだけれど、綾音さんは、ハーヴェイには大金はあるが、小金がない、とまたよくわからないことを言う。

「お金がないように見せかけているだけなんだって。派手な生活をしていたら、税金も払っていないのに、にらまれるでしょうが」

 こんなことを本気で言う綾音さんが宇宙人に見えた。

 綾音さんから見るハーヴェイと、わたしが見るハーヴェイは、夜と昼ぐらい違う。どこからどう見ても、わたしの目には、ちゃらんぽらんで胡散臭(うさんくさ)く見える。

 綾音さんは、わたしには見えないハーヴェイの、いったい何を見ているのだろう。


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桐江キミコ(きりえ・きみこ)

米国ニューヨーク在住。上智大学卒業後、イエール大学・コロンビア大学の各大学院で学ぶ。著書に、小説集『お月さん』(小学館文庫)、エッセイ集『おしりのまつげ』(リトルモア)などがある。現在は、百年前に北米に移民した親戚と出会ったことから、日系人の本を執筆中。