◇長編小説◇白石一文「道」連載第2回

◇長編小説◇白石一文「道」連載第2回
こうなったら思い切ってあれを試してみるしかない──。
功一郎は、人生何度目かの袋小路にいた。

「道」連載一覧


 
     2
 

 フクホク食品黒崎工場は、一九八五年(昭和六十年)操業開始という年季の入ったカップ麺製造工場だが、管理の行き届いた実に清潔な工場だった。

 フクホク食品との縁は、この会社の品質管理担当を務めている西嶋常務が功一郎の著した『食品の品質管理 ここがツボ!』(小学館)の改訂版を読んで、いたく感激し、本人が直接連絡を寄越したのがはじまりだ。

「ぜひ、先生に講演をお願いできないかと思いまして……」

 と頼まれ、郷里の会社でもあり二つ返事で引き受けた。それが一昨年の秋のことで、そのときは北九州市にあるフクホク食品の本社で主だった幹部職員を集めて話をさせて貰ったのだが、講演後の宴会の折、西嶋常務から、

「先生、来年からうちの工場を一つずつ見て貰って改善指導していただくわけにはいかんでしょうか?」

 と提案されたのである。

 フクホク食品は、カップ麺を主力に、さまざまな麺を使った加工食品やハム、ソーセージ、各種惣菜類を生産しており、黒崎、飯塚、田川、嘉穂(かほ)に四つの生産拠点を持つ北部九州では大手の食品メーカーだった。

 むろん快諾し、まずは黒崎工場から視察を始めようと常務とも打ち合わせていたのだが、昨年はコロナでさすがに出向くわけにもいかず、今年、ようやく最初の予定地である黒崎を訪問する手はずになったのだった。

 長年品質管理の仕事をしていると、その工場の衛生管理や施設、設備管理の状況は工場敷地内に一歩足を踏み入れただけでおおかた察しがつくようになる。工場周辺の清掃状況、給排水設備、排煙窓などのメンテ状況などを一目見れば、そこがどれくらい品質管理に気を配っているかがすぐに分かってしまうのだ。

 黒崎工場の場合は、建物の老朽化は否めなかったものの、それぞれの施設や設備の保守点検は非常に念入りに行われているのが外観からでも十分に見てとれた。

 午前十時着の飛行機で福岡空港に降り立ち、そこでわざわざ出迎えに来てくれていた西嶋常務の車で黒崎工場に移動し、十一時過ぎから一時間半ほど、まず最初に工場の会議室に集められた管理職たちに品質管理の講義を行った。コロナ禍とあって全員マスク姿で席もばらばらだったが、もとから工場内はユニフォームに帽子、マスク着用が当たり前だからさほどの違和感はない。

 簡単な昼食の後、さっそく工場内の各部門を視察して回った。

 最初の印象の通りで、黒崎工場の安全管理、衛生管理、設備管理は上中下で言うとすべての項目で「上」の部類だった。

「いやあ、一昨年の先生の講演内容と先生の書かれたものを精一杯活用させて貰って、このコロナもあるもんですからここ一年は衛生管理の徹底に心血を注いできたんですわ」

 功一郎の高評価に西嶋常務は素直に喜びを表現する。

 カップ麺工場なので一番の留意点はやはりペストコントロールだ。ハエやカ、アリ、ゴキブリ、それにネズミなどが工場内に侵入すると細菌による食品汚染が発生するだけでなく、それらのペストがカップ麺にそのまま混入するといった事故が起こってしまう。

 SNSがすっかり定着した現在、そうしたいわば写真映えのするクレーム品は、直接販売店やメーカーに持ち込まれるのではなく、あっと言う間にツイッターやインスタにあげられて世間に広く拡散し、その後に異物混入事件として大々的にメディアに取り上げられてしまうのが常だった。

 実際、数年前もとあるカップ麺メーカーで麺の中にゴキブリが混入している写真がネット上で出回り、結局、その会社は全製品の回収を余儀なくされ、あげく半年に及ぶ製造と販売の休止に追い込まれたのだった。たった一件のペスト混入事件で会社が蒙った損失は数十億円に及び、しかも、拡散した混入写真はいまでもネットで検索すれば誰でも簡単に見ることができるのだから、この会社が失った食品メーカーとしての信用は途方もないと言わざるを得ない。

 そうしたペストコントロールに限っても、黒崎工場の防御態勢はモニタリングも含めてかなりハイレベルなものだった。

 だがそんな高評価を踏まえた上で、功一郎が気になった箇所も幾つかあった。

 たとえば原材料入荷場のシャッターのパッキンの摩耗などはその典型で、摩耗箇所にできた隙間からペストが侵入するだけでなく、夜間、入荷場の照明が漏れることによって多くの虫を引き寄せてしまう。

 また、最近の大型工場ではそれまで専門の分析機関に外注していた金属、樹脂、生物といった各種混入異物の分析を自前の分析機器を使って行うようになってきているが、黒崎工場の分析室には、そうした高度な機材は揃っておらず、顕微鏡検査やカタラーゼ検査、炎色反応といった従来の検査しかできないのが現状だった。

 最新式の微生物検査機器、理化学検査機器の導入は必須だと功一郎には思われた。

 午後いっぱいをかけて工場内の各部門を細かく見て回った。

 一通りチェックして、着替えを済ませて再び会議室に戻ったときにはすでに窓の外は暗くなり始めていた。それから、西嶋常務を筆頭に工場長や品質管理、生産管理、設備管理の責任者たちに対して、今日の視察で功一郎が気づいた問題点を一つ一つ丁寧に指摘していった。一連の作業が終わったのは午後六時半過ぎのことだ。

 ほんとうならこのあとは、常務や工場の面々と黒崎駅前の居酒屋にでも繰り出して一献となるはずだが、いまは首都圏のみならず福岡県にも緊急事態宣言が発令中とあって、工場長たちとはその場で解散し、再び西嶋常務の車に乗って小倉のホテルへと向かった。そして、常務ともホテルの車寄せで別れて功一郎は一人でチェックインし、予約されていた部屋に入ったのである。

 一日中つけていたマスクを外し、さっさとシャワーを浴びると持参したルームウエアの上下に着替えてベッドに寝転がった。

 時刻は七時半になろうとしている。

 さっそくラインを確認する。シャワーの前に読んだのが最新で、碧からの新着はなかった。

 午後五時過ぎに届いていた碧のラインによれば、渚の様子は普段通りとのこと。今日は日中気温が上がったので、二人で柏の葉公園までドライブし、公園の中を散策してきたという。昼食もコンビニでサンドイッチを買い、園内で食べたらしい。

 渚の写真は添えられていなかった。

 鬱症状がひどくなると彼女は被写体になるのを嫌った。

「こんなみじめな姿を撮らないで」

 という目つきになってスマートフォンのレンズから顔を背けるのだ。そういうこともあって、美雨が死んだあとの渚の写真は、功一郎のスマホにも碧のスマホにもわずかしか保存されていない。

 渚は功一郎より一回りも若く、派手ではないが端整な顔立ちとすらりとした体躯の持ち主だった。なので若い頃から写真を撮られるのは決して嫌いではなかった。母親に似た美雨も同様で、功一郎の歴代の携帯電話機やデジタルカメラのメモリには渚や美雨、そして二人が一緒に写った写真が膨大に残されている。

 功一郎も、彼女たちの姿を写真におさめるのが好きだった。ことにスマートフォンになってカメラの機能が格段に向上すると、何かにつけて渚や美雨の写真を撮った。

 ただ、現在のスマホに美雨の姿は一枚もない。

 渚の鬱がひどくなり、美雨の写真を見ては取り乱すようになったため、彼女のスマホも功一郎のスマホも事故からほどなく新しくしたのだ。

 功一郎自身も、気づけば美雨の写真ばかり眺め、そのたびに視界を曇らせて何も手につかなくなることが再々だった。最低限の生活リズムを取り戻すためにもスマホの買い替えは必要だったのである。

 しばらくベッドで寛(くつろ)いだあと、功一郎は身体を起こした。

 もう今夜は碧からのラインはないだろう。

 碧が出張や旅行でごくたまに家を空けるとき、功一郎は極力連絡を控えるようにしている。せめてそういうときくらいは苦しい日常を忘れてリラックスして貰いたいからだ。碧の方も同じ気持ちに違いない。ゆえに、こうして講演旅行に出たときの彼女からの報告は日に一度か二度といったところだった。

 ベッドを降りて冷蔵庫から缶ビールを出す。応接セットのソファに腰掛け、開栓したビールをそのまま一口すすって、カーテンを開けっぱなしの窓から小倉の町を眺める。

 小倉駅に直結するこのホテルからは駅前風景が間近に見通せた。部屋は最上階の十四階だったので平和通りの真ん中を真っ直ぐに延びるモノレールの軌道とその両側に立ち並ぶビルの街並みが遠くまで望める。さきほどまでいた八幡西区黒崎と比較すればやはり北九州市の中心地・小倉には活気がある。それでも、製鉄で栄えた北九州の地盤沈下は深刻なようで、黒崎工場の人たちも、

「いまや九州は博多一強、ここに極まれりですたい。九州全体のヒト、モノ、カネ、全部が全部福岡市に吸い上げられちょりますけんね」

 と口を揃えてぼやいていた。

 功一郎はその福岡市で高校生まで暮らし、昭和五十八年、あの東京ディズニーランドが開業した年に大学進学のために上京した。当時の北九州市はいまほど福岡市に水をあけられてはいなかった。人口も共に百万人を超えたくらいで「九州一の都会」の座を両市で競っていた気がする。

 とはいえ、博多育ちの功一郎には八幡や小倉は馴染みのある町ではない。北九州の中高生はしばしば博多まで遠征してきていたが、博多の中高生は北九州にはせいぜい工場見学で出かけるくらいだったのだ。

 今日は柏もあたたかかったようだが、ここ九州は春の陽気だった。夜になっても冷え込むどころか生ぬるい風が吹いている。明日も福岡は晴れて気温が上がるらしい。

 今度の旅は、食品工場の視察が目的だが、それとは別の本当の目的があった。


「道」連載一覧

白石一文(しらいし・かずふみ)

1958年福岡県生まれ。2000年『一瞬の光』でデビュー。2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞、2010年『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。近著に『ファウンテンブルーの魔人たち』。

◎編集者コラム◎ 『囁き男』著/アレックス・ノース 訳/菅原美保
◎編集者コラム◎ 『汚れなき子』著/ロミー・ハウスマン 訳/長田紫乃