◇長編小説◇白石一文「道」連載第12回

翌日からの一週間は、ひたすら過去の調査に没頭した。
まずは大型書店に出かけて、歴史年表と現代史の教科書や参考書を買ってきて、ざっと流し読みをした。その限りにおいては目立った違いは見つからない。たとえば戦国時代や江戸時代、明治維新がなかったとか、日清、日露の戦争や太平洋戦争がなかったとか、そういう大きな差異は見つけられなかった。
会社に置いてあった新聞社発行の現代史年鑑も自席に積み上げて、時間のあるときに目を通した。さまざまな歴史上の出来事も少し細かくなってくるとこっちの記憶があやふやなので正誤の見極め自体がつかない場合が多い。
たとえば湾岸戦争やイラク戦争はともかく、ベトナム戦争や中東戦争、アフガン戦争、印パ戦争などは正確な勃発年を憶えていないので、仮に一、二年前後していたとしても気づくことはできないだろう。
ベルリンの壁崩壊やソ連解体、ニューヨークの同時多発テロや初の黒人大統領バラク・オバマの誕生などもとりあえずはちゃんと起きていた。
自分の知っている事件や事故が年表や参考書、年鑑に載っていると心底ホッとする。
会社でも自宅でも一週間丸々作業に集中して、どうやら明らかに違うのは東日本大震災だけのようだと思えてきた。
なぜこの大震災だけが〝今〟の世界では起こり、〝前〟の世界では起きなかったのか?
そこが不思議で仕方がない。
前回の東京オリンピックも三億円事件も大阪万博も沖縄返還もロッキード事件もグリコ・森永事件も日航ジャンボ機墜落事故も地下鉄サリン事件も阪神淡路大震災も全部年表の中にある。かつていた世界では起きたのにこっちの世界では起きていない大事件や大事故はいまのところ見当たらない。
東日本大震災が起きた二〇一一年三月十一日から、あれを使う直前の二〇二一年二月二十四日までのあいだに〝前の世界〟で東北地方を訪ねたことはあっただろうか、と功一郎は自問した。
津波で壊滅した東北沿岸の幾つもの港町が無傷のままでいる様子を目にする機会があっただろうか? 帰宅困難区域に指定されて廃墟と化した福島第一原発周辺の町々で人々が元気に暮らし続けている姿に触れる機会があっただろうか?
五年ほど前に一度だけ日帰りで仙台に講演に出かけたことはあった。
だが、あのときも、東日本大震災で津波に襲われた仙台市沿岸部に足を延ばしたわけではなかった。
人間というのが意外なほど自分と関わりのない生活圏に足を運ばないものであることを痛感させられる。
唯一、向こうの世界とこちらの世界で明らかな違いがあったのは、二〇一四年(平成二十六年)の東京都知事選挙だった。〝前の世界〟では主要候補として舛添要一(ますぞえよういち)氏と宇都宮健児(うつのみやけんじ)氏の二人が選挙戦に臨み、舛添氏が圧勝したのだが、〝今の世界〟では「脱原発」を公約に掲げた元首相の細川護熙(ほそかわもりひろ)氏が候補者に加わって三つ巴の戦いとなったようだ。ただ、結果は舛添氏の勝利で変わりはなかったし、その舛添氏が二年後に公私混同問題で辞任し、小池百合子(こいけゆりこ)氏に都知事の座を譲ったのも同じだった。
元首相の小泉純一郎(こいずみじゅんいちろう)氏が、福島原発事故以降、「反原発」の申し子のように原発批判を繰り返しているというのも意外ではあった。〝前の世界〟の小泉氏は二度目の政権を握った安倍総理のアドバイザー的な立場に徹していたからだ。とはいえ、こちらでもあちらでも政界を引退した小泉氏の政治的な影響力はさほどのものではなさそうだった。
YouTube で地震や津波の映像を何十本も観たし、ネットで検索すると数え切れないほどの画像や情報がアップされていた。福島第一原子力発電所のメルトダウンに関しても同様で、原発事故関連の書籍が何冊も書店の書棚に並んでいた。
仮に、かつての世界と〝今の世界〟との違いが「東日本大震災」の有無とそれに連動する社会状況の変化に限局されているのだとしたら、どうして自分はよりによってそんな大震災の起きた世界にやって来たのだろうか?
そこには何か特別な理由があるのか?
それとも単なる偶然に過ぎないのか?
功一郎は娘の美雨を助けたい一心で時間を遡り、この世界にやって来た。彼の行動にはそれ以外の動機も理由もない。
ところがそうやって降り立った世界では、一ヵ月もしないうちに美雨が人工妊娠中絶でお腹の子を死なせ、七年半前には地震と原発事故で二万人を超える死者・行方不明者と数万人に達する避難民が生まれていたのだった。
――自分という平凡な父親のたった一つの願いを叶えるためだけに、それほどの犠牲が必要だったということなのか……。
そんなふうに考えると、何ともやりきれない思いが胸に込み上げてくる。
津波や原発事故の映像や写真、震災直後の被災地の様子や現在までの復興の過程などを短期間で一気に頭の中に取り込んでいくうちに、功一郎は奇妙な感覚にとらわれるようになった。
ネットや本で大震災のことを調べ始めて四日目、それはまず夢の形で意識の中に入り込んできた。