◇長編小説◇白石一文「道」連載第12回

◇長編小説◇白石一文「道」連載第12回
〝今の世界〟に来てから三ケ月。功一郎は、ある大きな「ずれ」に気付く。東日本大震災という未曾有の厄災が起きていた。

 以来、彼はときどきその不思議な光景を思い出すようになった。

 それは夢を思い出すヽヽヽヽというよりも、昨年の九月二十八日、長倉人麻呂邸から〝今の世界〟へとやって来るときに得た奇妙な感覚をあらためて掘り返すヽヽヽヽ作業でもあった。

 というのも、大震災について調べだして四日目に見た夢と、九月二十八日に彼が本部長席に〝落下〟する直前に見ていた夢とが同じものであると気づいたからだった。

 あの日、「本部長、そろそろ時間ですよ」という早見の声を聞いて、功一郎は我に返った。「ああ……」と反射的に返事はしたものの頭がぼんやりしたままで目の前に立っている早見の姿がかすんで見えた。

 長い時間、深く眠っていたところを不意に起こされたような感じだった。

「何か大事な夢を見ていた」ような気がした。

 今回の夢とその「何か大事な夢」とが同じだと知ったのは、

「ようこそ、スタールのギャラリーへ!」

 という言葉のおかげだ。

 最初は聞き覚えのある声だとしか感じなかったが、目覚めた後、幾度か反芻しているうちに以前にもどこかで同じ言葉を耳にしたような気がしてきて、それがあの日の「何か大事な夢」の中で聞いた言葉だと思い出したのである。

 そのことによって、功一郎は自分が「何か大事な夢」を実際に見たことを確信し、中身をもっと掘り返そうヽヽヽヽヽと努めるようになった。

 そして、そうした作業を重ねているうちに、あの日も〝今の世界〟に到着する前にゼリー状の空間を歩いたことや帯状に絵画や写真が横に連なった「スタールのギャラリー」に行き当たったことを思い出したのだった。

 声の主が誰かも分かった。

 聞き覚えのある独特な声は、長倉人麻呂のものだった。

「スタールのギャラリー」というのは、ニコラ・ド・スタールの画廊という意味だろう。だとすれば、功一郎にニコラ・ド・スタールという画家の存在を教えてくれ、パリ留学時代に親しんだスタールの作品を大枚はたいて購入した人麻呂が声の主だというのは理にかなっている。

 スタールのギャラリーと言うからには、人麻呂は「道」以外にも彼の絵を蒐集(しゅうしゅう)していたのかもしれない。書斎に飾っていたのは「道」だけだったが、倉庫代わりに使っていた向かいの部屋には他の作品が何点か眠っていたのかもしれない。

 あの人麻呂の性格と財力に鑑みれば、それは大いにあり得ることだった。

 そして、人麻呂が「ようこそ、スタールのギャラリーへ!」と声を掛けてきた点からして、帯状に連なっていた「絵画か写真」はすべてニコラ・ド・スタールの作品群だったと考えられる。

 ずらりと並んだ「絵画」や「写真」はニコラ・ド・スタールの描いた油彩画やデッサン、彼が撮影した写真などで構成されていたのではないか。

 ――先日の夢ではどんなに目を凝らしても一点一点の内容を見ることはできなかったが、九月二十八日のときはどうだったのだろう? あの日はもっと距離を詰めて、しっかりとそれぞれの作品を見分けることができたのではなかったか?

 二つの夢が同じものだと気づいた段階で、功一郎が真っ先に頭に浮かべたのはその疑問だった。

 曖昧で不確かな記憶に過ぎなかったが、最初の夢の中で、彼は「スタールのギャラリー」の一点一点をつぶさに鑑賞したような気がする。

〝今の世界〟に到着する以前、自分は一体どんな絵や写真を見たのだろうか?

 そして、そのことと、この大震災が起きた世界に自分が〝落下〟したこととのあいだにはいかなる繫がりがあるというのか?

 九月二十八日の夢をもっと詳しく思い出すことができれば、その答えが見つかるのかもしれなかった。

 あの日、自分が見た「スタールのギャラリー」の作品一つ一つに描かれていた光景を頭の中で再現できれば、きっと大きなヒントが得られるに違いない――東日本大震災のことを調べていくうちに功一郎は、そうした黙(もだ)しがたい衝迫にとらわれるようになっていったのである。

(つづく)
連載第13回


「道」連載一覧

白石一文(しらいし・かずふみ)

1958年福岡県生まれ。2000年『一瞬の光』でデビュー。2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞、2010年『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。近著に『ファウンテンブルーの魔人たち』『我が産声を聞きに』。

ハクマン 部屋と締切(デッドエンド)と私 第71回
◎編集者コラム◎ 『かすがい食堂 あしたの色』伽古屋圭市