◇長編小説◇白石一文「道」連載第14回

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広い芝生に人の姿はまばらだった。
ここ「利根川(とねがわ)ゆうゆう公園」に来るのは八ヵ月ぶりくらいだろうか。〝前の世界〟にいた頃は我孫子(あびこ)工場から車で十分ほどのこの場所へよく足を延ばしたものだ。
コロナが蔓延するまでは夜勤中心のシフトだったから、仕事から戻ってきた碧(みどり)とバトンタッチをして、夕方に松葉町の家を出ていた。工場に入る前にときどきこの公園に車をとめて、人の少ない芝生に一人で佇(たたず)み、利根川の西方に沈んでいく赤い夕日を眺めたりしていたのだ。
コロナ禍になってからも、昼餉(ひるげ)時に工場を抜けて出向くことがよくあった。
車中で碧が作ってくれた弁当を食べ、食後は、川に沿って続く遊歩道や土手の道をそぞろ歩いた。
そんなときはいつも一人だった。
工場の誰かを誘ったことはないし、まして渚(なぎさ)や碧と連れ立って来たこともない。
二〇一九年の三月に柏(かしわ)市松葉町の一戸建てに移り住み、我孫子工場勤務となった。本社暮らしが長かった身には、慣れない現場は何かと勝手が違った。役員待遇の〝管理監〟という肩書きも、本社から来たお目付役という印象をスタッフたちに与え、最初の半年ほどはずっと外様扱いが続いたのだ。
殊に長谷川(はせがわ)工場長とのあいだには、古臭い譬えを使うならば、艦隊司令官と座乗艦の艦長とのあいだのような微妙な空気感が漂っていた。工場長と打ち解けて話せるようになるにもやはり長い時間がかかったのである。
二〇一九年四月五日金曜日。
〝前の世界〟で最後にここに来たのは二〇二一年の年明け早々だった。
美雨(みう)を失って三年目を迎え、年末年始は渚の調子も良くて穏やかな新年を迎えていた。まさかそれから一ヵ月余りで彼女が二度目の自殺未遂を引き起こすなどとは想像だにしていなかった。
我孫子工場での勤務も板に付き、コロナ禍のなか夜勤中心のシフトから外れて工場全体の安全管理を全時間帯で実地に指導できるようになっていた。おかげでスタッフとのコミュニケーションも密になり、仕事自体は却って順調だった。工場内での〝お客さん扱い〟も急速に解消されていったのだ。
あの日も日勤で、在宅勤務の碧が用意してくれた弁当を持って昼餉時にやって来た。
芝生の広場にも遊歩道や土手にも人影はなく、外に出ると凜(りん)とした空気がみなぎっている。日差しがあって、ちっとも寒くなかった。功一郎(こういちろう)は広場の真ん中に座り込んで弁当を食べた。食べながら正月の晴れ渡った空をしばしば見上げた。年が変わり、何もかもが新しくなり、停滞していた運気がようやく上向いてくるような感触があった。
こうして思い出してみれば、独立について真剣に考えたのは、あの日が最初だったような気がする。
渚の自殺未遂後、もうこれ以上こんな底なし沼に碧を引きずり込むわけにはいかないと独立の話を持ち出したが、それ以前から功一郎は会社を離れ、食品衛生の専門家として広く世間にその重要性を訴えていきたいと考えるようになっていた。
令和二年をどうにか乗り切ったと自信を深めていたあの日、現在執筆中の原稿が一冊にまとまったら会社を辞めて一本立ちしよう――この公園ではっきりと意識したのだ。
だが、結局はそうはならず、自分はあれを使って〝今の世界〟にやって来てしまった。
むろん後悔はしていない。
亡くした美雨を取り戻し、渚の鬱病を未然に防ぎ、そして碧の人生と日常を打ち砕かずに済んだ。あれによって自分は満願を成就したと感じている。
だが、その一方で〝今の世界〟もまた決してユートピアでないことを痛感しているのも確かだった。
八年前、未曽有の大震災と原子力災害が同時に起きたという〝史実〟が何より雄弁にそのことを物語っていると彼は思う。
自分たち家族は幸い東日本大震災の被害を直接は受けなかったようだ。しかし、目下美雨が付き合っている標連(しめぎれん)という男は、あの震災によって母親と妹をいっぺんに失っていた。そういう相手と美雨が結婚を視野に真剣に交際しているという事実自体、大震災が我が唐沢(からさわ)家にとっても決して他人事ではない大きな証左であろう。
あれほどの災害が起これば、そこに身を置く誰もが大なり小なり、巨大な悲劇の傘の下に立たされざるを得ないのだ。
いましがた訪ねてきた我孫子工場も〝前の世界〟とはだいぶ様相を異にしているようだった。
今日は早朝に東陽町のマンションを出て、自分の車で我孫子に向かった。事前連絡なしの〝抜き打ち視察〟のためだ。品質管理本部のトップとして、二年前から功一郎は各工場に対してそうした視察を行っていた。部下も連れずにいきなり訪ねると工場のスタッフたちはひどく面食らうが、その分、ありのままの生産現場をつぶさに観察することができる。
早朝の訪問だから工場長が在席していることは滅多になく、出迎える社員は夜のシフトを担当している製造課長、それに夜勤中の総務部員などである。
慌てて工場長を呼び出す製造課長もいれば、自分一人で対応する実力派の課長もいて、そこは各工場それぞれと言っていい。
我孫子工場の抜き打ち視察は今回が初めてだった。
とはいっても、実際は二年近く通った勤務先だ。午前六時過ぎ、敷地内の外れにある社員用パーキングにプリウスをとめ、運転席から朝日を浴びる工場のたたずまいを目におさめた瞬間、なんとも言えない懐かしさが胸に込み上げてきた。
これから訪ねる工場の面々は、大半が功一郎とは一面識もないのだが、功一郎にとっては長谷川工場長をはじめとした社員スタッフのみならず契約さんにしろパートさんやアルバイトにしてもみんなよく知っている。
いつも通り、昼過ぎまでたっぷり時間をかけて全ラインをチェックする予定だし、それまでには工場長も顔を見せるに違いないが、余りにも内情に精通していると怪しまれぬよう用心しなくてはと思いつつ、功一郎は車を降りて工場の正面玄関に向かったのだった。
応対に出てきたのが橋本祐介(はしもとゆうすけ)製造第二課長だったのはちょっと意外だった。
橋本君は当時奥さんが臨月の身重で日勤中心のシフトを組んでいたはずだ。二度の流産を経て彼が初めての子供を手に抱くのは明後日、四月七日日曜日。四月七日は功一郎の誕生日でもあるので、そのことは強く印象に残っている。
我孫子工場に着任早々の出来事とあって、功一郎も個人的に橋本君にお祝いの品を渡し、えらく感激されたのだった。
橋本君は緊張の面持ちで功一郎を迎え入れた。
「悪いね、いきなりで」
功一郎が言うと、
「いえ。〝本部長視察〟の噂は耳にしていましたから」
この我孫子工場でとりあえず七工場全部の抜き打ち視察を終えることになっている。他工場の人間から話は聞いていたのだろう。この視察が社員たちの間で「本部長視察」と呼ばれていることも功一郎は知っていた。
そうした噂が流れるだけでも、各工場の衛生管理、品質管理意識が高まるのは間違いない。〝抜き打ち〟の効用は、単に現場の実情を正確に把握するだけではないのだ。
「奥さん、もうすぐ出産だよね」
打ち解ける意味もあって話しかける。
「よくご存じですね、本部長」
「藤代(ふじしろ)君に聞いたんだ。彼は同期だよね」
「そうだったんですか」
藤代というのは、品質管理本部の課長代理で、橋本課長と入社同期だった。
どうやら〝今の世界〟の橋本君も〝前の世界〟の橋本君とそれほどスペックは変わっていないようだとそうやって小さく確認する。
「赤ちゃん、きっと元気に生まれてくるよ」
「ありがとうございます」
橋本君が笑顔で頭を下げる。
今回はさすがにお祝いというわけにもいかないか、と功一郎は思った。