◇長編小説◇白石一文「道」連載第20回

◇長編小説◇白石一文「道」連載第20回
想定していないことが起きた。「道」の絵の前に立ったツムギは、完全に姿を消してしまった。功一郎は混乱する。

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 霧戸ツムギの失踪が明らかになったのは、彼女が消えて一週間が過ぎた八月十四日水曜日のことだった。

 世間はまだお盆休み期間中だったが、そんなところへ超人気アイドル失踪のニュースが飛び込んできて、昼間のワイドショーのみならず各メディアはこぞってこの驚くべき事件を大々的に報じ始めたのだった。

 第一報は霧戸の所属事務所による記者発表だった。

 十四日の午後三時、緊急会見の場に集まった報道陣を前にして、大手芸能事務所「トライハンドレッド・オフィス」の国富秋光(くにとみあきみつ)社長は、所属アーティストの霧戸ツムギが去る八月七日を最後に行方不明となり、いまもまだ所在が摑めていないこと、この日の午前十一時、千葉県佐倉市に住む霧戸の両親と共に警視庁赤坂警察署に霧戸ツムギ(本名、福山紬(ふくやまつむぎ))の捜索願を提出したことなどを公表したのだった。

 突然の捜索願提出の発表に詰めかけた記者たちからどよめきが起きた。

 矢継ぎ早の質問に国富社長は一つ一つ丁寧に答えていったが、しかし、その説明は曖昧で、これという確たる情報は何一つ語られなかった。実際、社長本人が困惑しきりの様子だったのである。

 七日早朝の南房総市岩井海水浴場でのドラマロケのあとテレビ局のロケバスで都内に戻った霧戸は、港区南青山にある自宅マンションの前でバスを降りる。

 以下は社長の説明。

「マネージャーによりますと、元気な様子で手を振って自宅マンションの玄関へと入っていったとのことです。それが、正午をちょっと過ぎる時刻で、この日いっぱいはオフで、明日はスタジオでのドラマ収録が入っていたので翌八日の午前九時にマネージャーが自宅まで迎えに行ったところ応答がなく、携帯電話も繋がらなかったため、ご両親にも相談の上でマンションの管理人にお願いして彼女の部屋に立ち入りました。しかし、霧戸の姿はなく、行き先を示すようなメモなども置かれていませんでした。これまで、彼女の場合は仕事を無断で休むようなことは一度もなく、にもかかわらず電話は繋がらず、向こうからの連絡も一切ありませんでした。それから今日まで、関係先など多方面を当たり、また本人からの連絡を待ち続けていたのですが、いまだに行方は摑めず、本日、赤坂警察署へご両親と相談に赴き、捜索願を提出する運びとなったわけです」

 会見に参加した記者たちからは当然ながら、

・どうして一週間も失踪を伏せていたのか?
・トップアイドルの所在不明にもかかわらず捜索願の提出がこんなに遅れた理由は何だったのか?

 などの厳しい質問が社長に対して浴びせられ、

「誘拐などの事件性は感じていないのか?」

 という質問も出た。

 これに対して国富社長は、

「事件性は感じなかった」

 と答え、「現在もか?」との問いにも「はい」と頷く。

「どうして事件ではないと判断しているのか? 警察はどう言っているのか?」

 さらに追及されると、

「彼女に限って何らかのトラブルに巻き込まれた可能性は低いと思います。私どもの説明から警察の方でもそのように判断されているようです」

 と答えるのみだった。

「関係先など多方面とは、具体的にはどんなところや人物のことなのか?」

 という質問に対しても、

「さきほど赤坂警察署にご相談させていただいたばかりですので、今日の段階ではそのへんの詳しいことは差し控えさせていただきたいと思います」

 と苦しい返答に終始したのだった。

 だが、三日後には早くも戒江田龍人の名前がスポーツ紙の一紙に一面で大きく報じられ、戒江田と霧戸との間にトラブルが起きていたこと、それが原因で霧戸が「もう、どこか遠いところへ逃げ出したい」と事務所のタレント仲間に口走っていたことなどが暴露されたのだった。

 それは、明らかにトライハンドレッド・オフィス側からのリークによって書かれた記事だと思われた。

 ここで、トップアイドルと超人気若手俳優との隠された恋愛事情と愛憎関係が白日の下にさらされて報道合戦は一気にヒートアップすることになる。

 警察の捜索にもかかわらず霧戸の行方がまったく摑めない一方、霧戸が失踪する前夜、宿泊先のANAインターコンチネンタルホテル東京に戒江田龍人が霧戸を訪ねた事実などが詳(つまび)らかとなって、彼女の失踪に戒江田が深く関わっているのは疑問の余地がないところだった。

 その一方で、戒江田がANAホテルに姿を見せたことを最初に伝えたのが、当日その時間にたまたまホテルロビーに居合わせた客がアップしたツイッター写真だったことや、ANAホテル側が戒江田の事務所からの要請でロビーの防犯カメラ映像をメディアに出し渋り、警察に対しても非協力的だったことなども世間一般の大きな指弾を浴びる結果となった。

 警察の捜査で、霧戸の部屋への戒江田の訪問がロビーやエレベーター内の防犯カメラによって確認され、本人への任意聴取が行われると、ネット上では戒江田による「霧戸殺害」の噂が瞬く間に広まり、戒江田は事務所の社長と共に緊急会見を開き、霧戸との関わりや失踪前夜のできごとについて長時間にわたる釈明を行わざるを得なくなったのである。

 事態の推移と共に、これまで業界最大手である戒江田の事務所が押さえ続けてきた彼の〝良くない噂〟が虚実ごっちゃまぜで噴出し、戒江田龍人は人気俳優として深刻なダメージを受けることにもなった。

 しかし、霧戸ツムギの行方はその後も杳(よう)として知れず、半月も過ぎると自殺説がまことしやかに囁かれるようになる。

 真実を知っているのはこの世界で功一郎ただ一人だった。

 その功一郎は、「霧戸ツムギ失踪事件」の成り行きを固唾を呑んで見守り、いつ自分のところへ警察から連絡が入るかと常に身構えていなくてはならなかった。

 何しろ、失踪前夜、戒江田龍人が訪ねた数時間後には彼自身が霧戸ツムギの部屋を訪ねているのだ。ホテル内の防犯カメラが霧戸の部屋への人間の出入りを完全に記録していれば、早晩、その人物の特定へと警察が乗り出すのは明らかだった。


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白石一文(しらいし・かずふみ)

1958年福岡県生まれ。2000年『一瞬の光』でデビュー。2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞、2010年『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。近著に『ファウンテンブルーの魔人たち』『我が産声を聞きに』。

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