◇長編小説◇白石一文「道」連載第22回

◇長編小説◇白石一文「道」連載第22回
〝今の世界〟でも、やはり世界的パンデミックはやってくる。功一郎は、ある記事を目にしていた。

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「武漢市 謎の肺炎 海鮮卸売市場」で検索をかけ始めて十日目。

 十二月三十一日の午後十時過ぎ、ついにその記事を発見した。
 

〈中国・武漢で原因不明の肺炎 海鮮市場の店主ら多数発症〉

 
 配信は午後九時四十二分。いまから二十分ほど前で、購読している朝日新聞デジタルの記事だった。
 

〈中国湖北省武漢市で原因不明のウイルス性肺炎の発症が相次いでいる。同市当局の12月31日の発表によると、これまでに27人の症例が確認され、うち7人が重体という。中国政府が専門チームを現地に派遣し、感染経路などを調べている。
 同市によると、患者の多くは市内中心部の海鮮市場の店主らで、発熱や呼吸困難などの症状を訴えているという。対象の患者は隔離され、海鮮市場も消毒処理を進めているが、中国メディアによると、31日も多くの店が通常営業していたという。
 中国のインターネット上では、2003年ごろに中国で流行した重症急性呼吸器症候群(SARS)との見方も広がっているが、共産党機関紙・人民日報のSNSサイトは「現在、原因は明確ではないが、仮にSARSだとしても、治療システムは確立しており、パニックに陥る必要はない」との現地医師の話を伝えている(北京=冨名腰隆)〉

 
〝前の世界〟でも朝日新聞の第一報が三十一日だったかは定かでなかった。

 ただ、年末に〝謎の肺炎〟が中国で発生したというニュースを見た憶えがあり、今日までの十日間ずっとウォッチを続けていたのである。

 非常に不謹慎な話ではあるが、功一郎はこの記事を年末ぎりぎりに見つけて胸を撫で下ろすような心地になった。

 十月に早見を経営企画室長に抜擢して以降、経営企画本部では来年度の「宅食、宅飲み、テイクアウト」需要の大幅な増加を見込んで、詳細な生産・販売計画を立案し、主要な取引先企業に対してもすでにプレゼンテーションを開始しているのだった。

 正直なところ、こうしたコロナ対応が不要となれば、経営企画本部一丸となって進めている目下の事業計画が無駄とは言わないまでも「性急で大胆過ぎる」として今後役員会で問題視される可能性は大いにあった。

 むろん、早見を筆頭に経営企画本部の面々に新型コロナウイルスの蔓延を教えるわけにはいかない。なので、あくまで功一郎の本部長指示という形で彼等には仕事を続けさせていたのだ。

 ――それにしても……。

〝前の世界〟での世界的パンデミックを思い出しながら記事を読み、あらためて中国政府の隠蔽体質に憤りを禁じ得なかった。

 こうして武漢市当局が発表した時点で中国政府は、この感染症がSARSではないことも、人から人へと感染するものであることも、致死性のウイルスであることもすでに知っていたのである。にもかかわらず、「人民日報」でさえ「仮にSARSだとしても、治療システムは確立しており、パニックに陥る必要はない」という論評を、しかも現地医師のコメントといういかにも官僚的な話法で平然と報じているのだ。

 世界中にウイルスが拡散し、武漢市のみならず欧米で多数の死者が生まれ、地球全体がウイルスパニックに陥っていくなかで発生当事国・中国への批判は次第に薄れていくのだが、今日から一年と二ヵ月後までの世界を知る功一郎からすれば、こうした中国政府の無責任な初動対応が、その後のパンデミックをより一層深刻なものにしたのだといまさらながら痛感させられるのである。

 とりあえず、朝日の記事を書斎代わりの和室でプリントアウトしてから、功一郎はテレビがつけっぱなしのリビングダイニングに戻った。テーブルではなくソファに座り、ローテーブルからグラスを取って飲みかけの冷酒を一口飲んだ。

 つまみは今日、デパートで購入してきたおせちの詰め合わせだった。

 テレビでは紅白歌合戦をやっている。紅組司会は綾瀬はるか、白組司会は桜井翔。〝前の世界〟でもこの二人が司会役だったかどうかはよく憶えていなかった。

 別に紅白歌合戦に関心があるわけではなかったが、会場のNHKホールが満員の観客で埋まっている光景を見たくてずっとつけている。

 ここにいる人たちは誰一人として、来年の紅白歌合戦が無観客で開催されることを知らないのだ。

 今年の年越しは一人きりだった。

 それを案じて、美雨はこっちに戻ると言ってくれたのだが、功一郎の方からその申し出をきっぱり断った。

 標は年末年始は毎年、父親一人だけになっている石巻の実家に帰省しているらしい。父親はまだ六十代だったが、震災後に腎臓を悪くして三年ほど前から人工透析を受けているようだった。長年、石巻で理髪店を営んでいたが、いまはその店も畳み、週に三度の病院通いを続けながら先立たれた妻と娘の菩提を弔う日々を送っているという。

 腎不全の患者は新型コロナウイルス感染症で重症化する可能性の高いハイリスク群の一つだ。石巻とはいえ、来春からは感染に厳重警戒しながらの透析治療が始まることになるだろう。当然、ウイルスが蔓延する東京住まいの標が春以降帰省するのは困難だ。だとすれば、この年末年始は彼が父親に会える貴重な機会だった。そして、それは、美雨にとっても同様なのだ。義父となるであろう人に直接会えるチャンスは、この先いつになったら巡ってくるか分かったものではない。

 そんな大切な機会をこんな父親のために奪ってしまうのは決して功一郎の本意ではなかった。

 冷酒をちびりちびりすすりながら、見た目には豪華なおせちに箸を入れる。美味しいと言えば美味しいが、素っ気ないと言えばひどく素っ気ない味がした。今年の御用納めは二十七日金曜日だった。その晩は早見や吉葉(よしば)たちと日付が変わるまで馴染みの店を巡り、翌日から今日までの三日間はほとんど家に引き籠もってテレビばかり見ていた。その合間にネットで「武漢市 謎の肺炎 海鮮卸売市場」を何度も何度も検索しまくっていたのだ。

 今日、電車で日本橋のデパートに行ったのが久々の遠出だった。激混みのデパ地下でおせちと正月三が日がまかなえる程度の食材を調達して夕方帰宅し、そこからはこうしてソファに陣取って冷酒のグラスを重ねている。

 大して酔ったわけでもないが、先ほどからしきりとおくびが出る。昨夜もたっぷりと寝たはずなのに妙に眠かった。

 ぼんやりと名前も聞いたことのないような歌手の歌を耳に入れる。いまの功一郎には、テレビ画面の中で歌って踊っている歌手や芸能人たちが、どこか違う世界の住人のように感じられた。

 目の前の紅白歌合戦に限らず、ここ二ヵ月余りの功一郎は〝今の世界〟のすべてに対してそんな感じがあった。何もかもが、のように思える。

 碧の死亡推定時刻は功一郎と食事を共にした十月十六日の深夜から翌十七日未明にかけての時間帯だった。彼女は功一郎と別れて帰宅し、部屋着に着替えてベッドに入ったあとの数時間のうちに脳梗塞の発作に見舞われ、恐らくは即死に近い状態で亡くなってしまったのだった。

 十七日は無断欠勤で、重要な会議が入っていた十八日も連絡がまったくつかなかったことからオリンポス宣伝部の部員二人が午後、浜田山の碧のマンションを訪ねてインターホンを鳴らした。応答がなく、マンションの管理人に相談して、三人で彼女の部屋に入ったところ、ベッドの上で意識を失っている碧の姿を発見したのだ。

 救急車で浜田山総合病院に搬送する時点ですでに碧の死亡は確認されていたという。

 たった一人の身内である姉の渚に連絡した際に「意識不明」とオリンポス宣伝部の部員が告げたのは、あくまで渚の心情を慮(おもんぱか)ってのことに過ぎなかったのである。

 来年いっぱいでの解散を一月に発表した嵐が、これまでのヒットソングをメドレー形式で熱唱している。どうやら彼等が今年の大トリで、ということはあと三十分もすれば新型コロナウイルスのパンデミック・イヤーを迎えるのだろう。

 功一郎はテレビを消して、ソファの背に身体を預けた。

〝前の世界〟での二〇一九年の年越しを思い出してみる。

 柏市に転居し、碧が一緒に暮らし始めて九ヵ月が過ぎようとしていた。大晦日は三人で何をしていただろうか? 渚の自殺未遂からちょうど一年の節目で、功一郎も碧も渚の挙動に目を光らせていた気がする。

 慈恵医大病院の小針医師からも、

「美雨さんの命日である九月二十八日から自殺を図った十二月三十一日までの期間は奥さんの精神状態がより不安定になる可能性があります。できるだけ一人にさせず、妹さんとお二人で手厚く見守ってあげてください。逆に言うなら、その時期を乗り越えることができれば回復はより鮮明になってくると思います」

 と九月の初めに告げられていた。

 九月二十八日は功一郎も碧も仕事を休み、美雨の遺骨を預けてある都内の納骨堂で命日の供養を行った。その寺の納骨堂には美雨と共に美佐江(みさえ)の遺骨も納めてある。柏に戻った渚は泣き疲れたこともあってすぐに薬を飲んで寝室に入った。それから翌朝まで功一郎と碧が交代で渚の様子を見守ったのだった。

 命日以降、小針医師の指摘の通り渚の調子は上がったり下がったりを繰り返し、その振れ幅も大きかった。クリスマスを越したあたりからは鬱がひどくなり、渚は終日、寝室に籠もっている日がほとんどだった。

 二〇一九年の大晦日は、夕方三人で食事をし、渚は寝室に戻り、功一郎と碧も紅白歌合戦の冒頭だけをちょっと眺めて、功一郎は渚のいる寝室に、碧は自室に引っ込んだのだった。

 最初の自殺未遂から丸一年、功一郎も碧も心底疲れ果てていた。

 渚の病状が目に見えて改善してくるのは、それからさらに半年以上も先のことだったのである。

 美雨は昨日から石巻の標の実家に猫たちと一緒に出向いている。さきほどラインが来て、標の父親と三人で撮った写真が添付されていた。父親は存外元気そうで、それも、息子が若く美しい恋人を連れて久しぶりに故郷に戻ってきてくれたゆえであろう。標同様、父親も端整な顔立ちの二枚目だった。

 スウェットパンツのポケットからスマホを取り出して、その写真を開く。

 ピンチアウトして美雨の笑顔を拡大し、その顔にしばし見入った。

 功一郎のなかには去年、不慮の事故で亡くなってしまった美雨といまもこうして元気に生きている美雨、二人の美雨が同時に存在しているのだった。

 そして、それは単なる気分の問題というわけではなくて正真正銘の現実でもある。

 死んでしまった美雨と生きている美雨が、この宇宙には同時に存在し、どちらも本物の美雨なのだった。

 功一郎は〝前の世界〟では前者の美雨と共に在り、〝今の世界〟では後者の美雨と共に在る――要するにそういうことなのだ。

 霧戸ツムギをこの世界から送り出したことで、功一郎自身の存在にはある種の〝タガ〟がはめられているのを知った。〝前の世界〟の功一郎は〝今の世界〟に来ることによって消滅してしまった。彼は失踪したのでも死んだのでもなく、〝前の世界〟から煙のように消えてしまったのだ。

 置き去りにされた渚や碧は、もちろん、彼が家出したか、死んでしまったと考えているだろう。まさかこうして別の世界でもう一人の自分たちと関わりを持っているとは想像だにしないに違いない。

 美雨が亡くなり、渚が重い鬱病に苦しむ〝前の世界〟も、美雨や渚は元気でも、碧や美雨のお腹の子供が死んでしまう〝今の世界〟も、いまの功一郎にとっては、さきほどの紅白歌合戦と同じようにまるで自分とは無縁の別世界のように感じられる。

 ――俺はもう、〝今の世界〟にも〝前の世界〟にも生きていない……。

 碧を亡くしてからというもの、そうした気分がずっとつきまとっていたし、クリスマスを前に渚が家を出て行ったあとは、尚更その思いが強くなっていた。

 ――あれと同じだ……。

 そう気づいたのは二日ほど前だった。

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白石一文(しらいし・かずふみ)

1958年福岡県生まれ。2000年『一瞬の光』でデビュー。2009年『この胸に深々と突き刺さる矢を抜け』で山本周五郎賞、2010年『ほかならぬ人へ』で直木賞を受賞。近著に『ファウンテンブルーの魔人たち』『我が産声を聞きに』。

◎編集者コラム◎ 『いつでも母と 自宅でママを看取るまで』山口恵以子
採れたて本!【ライトノベル】