芥川賞作家・三田誠広が実践講義!小説の書き方【第45回】私小説の不思議な輝き

芥川賞作家・三田誠広が、小説の書き方をわかりやすく実践講義!連載第45回目は、安岡章太郎『悪い仲間』『陰気な愉しみ』について。戦前・戦後の時代と若者を描いたリアルな体験小説を解説します。

【今回の作品】
安岡章太郎悪い仲間』『陰気な愉しみ』 戦前・戦後の時代と若者を描く

戦前・戦後の時代と若者を描いた、安岡章太郎『悪い仲間』『陰気な愉しみ』について

この作品は1953年上半期の受賞作品です。昭和28年ですね。ぼくはもう高齢者ですが、そのぼくが5歳の年ですから、大昔といっていいでしょう。平成生まれの人にとっては、江戸時代と大差ない昔と感じられるかもしれません。そんな時代に、新人作家はどんなものを書いていたのか。それを知るだけでも読む価値はあると思います。お読みになればわかると思いますが、これはほとんどフィクションの要素のない、リアルな体験小説です。

悪い仲間』は大学予科1年生の話。戦争が激しくなる前の時期で、戦前ののんびりした時代が描かれています。国立大学を目指す学生は旧制高校に入り、それから大学ということになりますが、私立の場合は予科という付属高校みたいなものが設置されていました。当時の中学は5年制ですから、高校1年も予科1年も、いまでいえば17歳、高校3年生と同じです。いまの高3は大学受験で大変ですが、予科1年生は入学したばかりですから、いちばん羽根を伸ばせる時期です。作者自身と思われる主人公が、フランス語を習っていたかと思うと、スリルを味わうために食い逃げしたり、川向こうと呼ばれる地域に出入りしたり(川向こうというのは当時の売春ゾーンです)と、ささやかな悪事を働く話です。素朴な若者たちのいくぶんズッコケた悪巧みが、初々しい感じで、むしろ爽やかな佳品といった印象です。

作風の異なる二作品で受賞

陰気な愉しみ』は戦後の話です。作者の安岡章太郎は召集され軍隊に入るのですが、羊羹を盗み食いして下痢で倒れている間に部隊が南方に進撃して全滅するという体験をします(『遁走』という作品で描かれています)。盗み食いのせいで命拾いしたのですね。その後、負傷して、それがもとで脊椎カリエスという重い病気にかかり、戦後もその後遺症に悩みながら、国からの手当を頼りにぶらぶらしています。傷痍軍人にはお金が支払われるのですが、脊椎カリエスというのは結核の一種で、見るからに傷を負っているわけではありません。何となく体がだるいとか、シクシクと背中が痛むとか、本人はつらいのでしょうが、はたから見るとズル休みをしているように感じられなくもない。本人もそのことにうしろめたさを覚えていて、役所に手当を受け取りにいく時に、複雑な思いを抱くという、若者の微妙な心理を描いた、やや暗い作品です。

まったく作風の違う二作品が同時に候補となり、柔道の技あり二つで合わせて一本、というような感じで受賞が決まったようです。おもしろいのは、選評を読むと、『悪い仲間』を褒めている選者と、『陰気な愉しみ』を褒めている選者がいることです。どちらも褒めずに、前の作品の方がよかったと述べている選者もいます。前の作品というのは、その前回、剣豪小説作家の五味康祐と社会派ミステリー作家の松本清張が同時受賞するという、何とも奇怪な選考で落選してしまった『愛玩』という作品です。ウサギを育てると高値で売れるというので一家でウサギを飼う話です。すでに全国的なブームになっていて、ウサギが増えすぎて値段が暴落し、まったく儲からないどころか、家の中がウサギだらけになって大変なことになるという、うら哀しいユーモア小説です。確かにぼくもこの作品がいちばん優れているように思います。

軽くユーモアのある私小説

しかし読んでおもしろいのは、断然、『悪い仲間』ですね。いまの高校生の悪ガキというと、ツッパリとかヤンキーといったイメージですが、昔の高校生は、まったく違います。まず現代社会では、ほとんどの若者が、勉強が好きでもないのに高校へ進学するため、ツッパリとかヤンキーになってしまうのですね。昔は尋常科と呼ばれたいまの小学校だけが義務教育でした。たいていの人が小卒で働きに出たのです。よほどの金持ちの子でないと中学には進めなかったのです。さらに高校とか私立の予科に進むのは、かなり上流の家庭の子どもだったのですね。

だから悪いことをするといっても、いわばお坊ちゃまの非行なのです。そこが珍しくも面白いのですね。本人は自分の体験を書いているだけなのですが、いまこの作品を読むと、時代というものがよく出ていると思います。『陰気な愉しみ』は戦傷者を描いていますから、時代というものが出るのは当然なのですが、ただの悪ふざけの若者を描いただけの『悪い仲間』の方が、時代というものがよく出ています。

ぼくは最初に、「体験小説」という言い方をしました。個人的な体験を書いていますから「私小説」ではあるのですが、無頼派と呼ばれた太宰治などの自虐的な私小説とも、自分は偉いという感じでふんぞり返っている志賀直哉みたいな私小説でもない。少しズッコケていて、遠慮がちで、中途半端に自虐的な、軽いユーモア小説……。そこに安岡章太郎の魅力があります。これは文学史の流れの中でも、まったく新しい潮流だといっていいでしょう。何だか不思議なほどにきらきら輝いている作品なのですね。そして、この二作品を並べてみると、確かに作風がまったく違っていて、書き手の幅の広さが伝わってきます。まさに合わせて一本という感じです。

この安岡章太郎は、第三の新人と呼ばれる当時のトレンドの代表者となり、のちには文壇の中心といってもいい大作家になっていきます。大作家の初期の、少し恥ずかしくなるようなズッコケぶりを愉しむのもいいかもしれません。

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初出:P+D MAGAZINE(2018/06/07)

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