◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第1回

◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第1回
音楽青春小説の金字塔「船に乗れ!」著者が十余年の歳月を経て放つ、新たなる音楽大河小説が、今、幕を開ける。

「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載一覧


 昔むかしの大昔、日本が戦争に勝っていたころ、ある裕福な家に、一人の男の子が生まれた。両親はこの子をニコデモと名付けた。父母ともにキリスト教徒であったので、聖書にあらわれる名前から採ったのだった。

 おそろしく利発な子どもだった。生まれて間もなく、母親の言葉を繰り返すようになり、二歳のころには物語や聖書の一節を暗唱した。ただの受け答えだけではなく、読み書きや計算も、ほんの少し教えただけですぐに呑(の)みこみ、尋ねれば教えられた以上に答えることができた。親のひいき目ではなく、誰が見てもこの幼児が神童であるのは疑いようがなかった。

 音楽に興味を示したのも同じころだった。母や女中の膝に乗って、応接間にあったグランドピアノの前に座り、教えもしないのに右手の親指で中央のドを、中指でミの鍵盤を押した。三度の和声を探り当て、メロディをかなで、右手の旋律に左手の伴奏を添えられるようになるまで、さして時間はかからなかった。小学校に上がるころには、テニスンの詩を英語で朗読し、天文学の書を読み、モオツァルトのソナタやバッハのフーガを弾いていた。小学校の音楽教師は驚いて、母校の大学教授のもとへ彼を連れて行った。教授はニコデモの演奏を見て、ただちに個人教授をみずから買って出た。無償でも構わないという教授に両親は、充分以上の謝礼を支払った。

 長じてからのニコデモは、なおのこと聡明で理知的な少年になった。のみならず丈の高い、珠(たま)のような瞳に長いまつげの、色白な美しい少年にも育った。教授のほかに師事もせず、専門の教育を受けもしなかったので、ピアノは巧みでも音楽の特別な教育は受けなかった。にもかかわらず彼は遠い鐘の音(ね)や鳥の声さえ五線譜に書き写すことができ、単旋律に彼がつける和声は、もとの和音よりもずっと彩り深く複雑だった。大学では法学を学んでいたのに、天文学や数学の講義にも出席して、理学の学生に秀でる成績を残した。最優等学士の免状を受け取ったとき、彼はまだ十八になっていなかった。

 父親は当然、ニコデモに家業を継がせるつもりだったので、いずれ事業を学ばせるつもりだったが、まだ年若くもあり、我が子がどこまで学問を吸収することだろうかという興味が先に立ちもした。息子の美貌が世間の評判になっているのも気がかりであった。このまま世間に出してしまったらどうなることであろう。大学に入る前から、女学生が校門の外で待っていたり、後輩に男色遊びを強いるという上級生たちが、ニコデモを奪い合って稚児争いをしたりといった醜聞が絶えなかった。その種の事件は、すでに幼児のころ、屋敷の小間使いの一人が乳も出ない処女の乳房を吸わせようとしているところを女中頭(がしら)に見られて屋敷を追われるといった程度であれば、数えきれないほど起こっていたのだ。

 父親は一人息子を無防備のまま外界の風に当てるのを恐れた。また外界が息子の周囲に波風を立てるのも許しがたかった。それよりはむしろ息子を象牙の塔に籠らせ、ピアノの前に座らせておくことを無難と考えた。父は息子に世間の学生が大学を出る二十二の歳(とし)まで屋敷の図書室で勉学を続けさせることに決めた。また応接間のピアノも無制限に使わせたが、学識を披瀝(ひれき)したり、社交の場に列席したり、まして来客の前でピアノを演奏するなどのことは、厳にこれを禁じた。ニコデモに人の目が集まり、説教が乱れると神父から言われてからは、日曜日に教会へ連れて行くのもやめた。もともと礼拝に熱心でなかったニコデモは、ただ親の言いつけに従った。

 両親は息子を幽閉したのでも、自由を束縛したのでもなかった。ただ彼をひと目の集まるところに置きたくなかっただけだったので、息子がどこへ出かけるのも許したし、外で何をしたかをいちいち穿鑿(せんさく)したりもしなかった。時にはただぽつんと、

「少し遠出をしてまいります」

 とだけ断って、数日あるいは数週間、家に戻らないこともあった。

 その頃のニコデモはよく一人で旅をした。詰襟姿に布袋を背負って、三等列車に乗って京大阪や駿河(するが)、金沢や越後(えちご)にも行った。山家集(さんかしゅう)の桜を見に行くとか熱海の海に行くというように、めざすものがある旅もあったが、多くは何ということもなくただ歩くための旅だった。汽車に揺られてその名に覚えのある土地に下り、宿をとってぼんやり本を読んだり、山を越えて温泉に入って帰ってくるだけのこともあった。金に困らず飽くほどの閑暇があり、足腰に衰えのない無聊(ぶりょう)な若者の時間つぶしだった。

「なんのためにお前、そう出歩くのだね」

 あるとき母親にそう尋ねられて、彼は答えた。

「脳を休めるためです」

 しかし山を登り船に揺られるニコデモの背負う布袋の中には、決まって洋書の一、二冊が入っていた。山桜に囲まれ、あるいは鹿の走る雪山の宿で、また煙立つ山を遠く見ながら、家の中に籠っているのと同じように、背を丸めて横文字を一行一行追い続けることもしばしばだった。

 父親が息子の一人旅を許しているのには別の理由もあった。事業で大きな関わりのあるピリエ国に息子を送り、専門の技術を学ばせるために準備をしていた父は、今のうちに日本国の風物に触れておくのはよいことだ、他国では自国について尋ねられることも少なくあるまいと考えていた。やがてかの国より書状が届き、出国の許しも得て、父は息子に渡航を命じた。ニコデモは一礼してこれに応じた。六月に出航が決まった。

 出国の前にもう一度旅歩きをしたいと、ニコデモは一人で革袋を背負った。松島(まつしま)あたりをぼんやりと目当てにして汽車の中で居眠りをし、目を覚ますと郡山(こおりやま)だった。向かいに短い汽車が山の方からやって来た。駅夫が行き先を若松(わかまつ)と付け替えていた。

「若松というのは会津(あいづ)ですね」

 ニコデモは乗りこんできて向かいの席に座った行商の老婆に尋ねた。

「はい」老婆はやたらと頭を下げた。「近ごろぁ、ずうっと乗っておったら、喜多方(きたかた)や山都(やまと)まで行きやす。会津なら、はあ、若松で落ちらんしょ」

「会津というのは面白いところでしょうね」

 老婆の返事は訛(なま)りがきつくて聞き取れず、ニコデモは長話の切れ目とも思えぬところで立ち上がり、老婆に一礼すると汽車を乗り換えた。

 練兵場の隣で危なかしい石垣の上に聳(そび)える鶴ヶ城は、塀は崩れ瓦は落ち、屋根から雑草を茂らせて、見る影もなく朽ちていた。飯盛山(いいもりやま)という手ごろな山を目当てもなく登って、ねじ曲がったおかしな仏堂に出くわしながら、頂上らしきところで草に寝転び、銀座で手に入れたサン=サーンスの楽譜を開いた。青々した風の中にピアノやヴィオロンの音が、ニコデモの頭の中で穏やかに鳴った。

 宿の隣では筆を売っていた。一間(けん)あるかないかの間口を開けてはいたが、売るよりも職人が筆を作るのをもっぱらとしているようだった。この店のほか通りには宿屋と物売りの店ばかりで、そこだけ客の呼び込みなどせず静まり返っていた。

 明日発(た)つという前の晩、宿のあるじが部屋を訪ねてきた。

「お客様あ、こっからどこへ行きなさるかね」と問うので、

「まあゆっくりあちこち見て歩こうと思います」と答えると、

「どっちゃがよ」

「どっちゃもこっちゃもありません。いずれは東京に帰りますが、あと十日やそこらはぶらぶらします。どこかゆっくりできるところはありますか。名所でなくても構いません」

 それを聞いたあるじは、少し考えていたが、やがて、

「越後の方へは行がねかね」

「越後もいい。どうしました。何かお使いでもありますかね」

 


「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載一覧

藤谷 治(ふじたに・おさむ)

1963年東京都生まれ。2003年『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』でデビュー。主著に『いつか棺桶はやってくる』(三島由紀夫賞候補)、『船に乗れ!』(本屋大賞ノミネート)、『世界でいちばん美しい』(織田作之助賞)、『燃えよ、あんず』などがある。

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