◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第10回

◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第10回
ついに、アンティヌッティとの契約に応じたニコデモは、そのまま彼女と一夜を明かした。

 だがニコデモもアッレも餓(う)えなかった。バレットの婆さんがいなくなって家主不在となったニコデモの住まいは独逸軍に接収されたので、ニコデモはアンティヌッティの部屋に居を移し、アッレは占領軍として巴里に来た独逸人小説家に囲われるようになった。占領軍はむろんのこと、アンティヌッティもまたどういうわけか以前と変わらない、いや以前にもまして豊かな肉やワイン、果物を常に用意していた。食べ物だけでなく、五線紙や楽譜、真新しい楽器や新作のレコードなどをどこからか持ってきて、ニコデモの心身をひもじくさせなかった。昼も夜もどこかのパーティや食事会に招かれ、独逸人将兵やその夫人たちから芸術家として遇され、芸術論を交わしたり、ピアノ演奏を求められたり、アッレの歌の伴奏をしたりして、多額の謝礼を受け取った。

 通りを歩けば独逸兵が仏蘭西人の警察官に敬礼を強要したり、あちこちに闇市が開かれたりするようになったし、独逸の兵隊と違って憲兵は横暴で、捜査と称して政治家やユダヤ商人の家に押し寄せ、金目のものを根こそぎ奪っていくという、強盗も同然の連中だったが、ニコデモの生活はむしろ占領されてからの方が豊かで華やかになった。ダンスの催しは独逸兵であっても禁止され、ジャズを好む若者たちは白い眼で見られたが、巴里の生活を統括している占領軍の高官は、洒落(しゃれ)て品のいい仏蘭西の音楽を好んだ。酒の肴(さかな)や窓辺の花を好むように。

 もちろん仏蘭西人も仏蘭西の音楽、とりわけ流行歌を好んだ。アッレはラジオ・パリで歌い、ニコデモは『花の歌』をオーケストラ用に編曲した。ティノ・ロッシやモーリス・シュヴァリエといった大物歌手の舞台に客演することも多く、仏蘭西人捕虜の慰問のために、他の歌手たちと共に独逸へも渡った。湯水のように金が入ってきて、ニコデモはパッシーとポンプ通りの四つ辻(つじ)にあるアパルトマンに居を移した。アンティヌッティはにこやかに同居を拒否した。別れたいのかとニコデモは恐れたが、彼女はただ今の住まいを移りたくないだけだった。二人はよくニコデモのアパルトマンで夜を明かした。寝物語にアンティヌッティは、あなたは天才、世界じゅうの敬意を集めて当然です、この世はあなたの舞台、あなたは照明の輝く中で喝采を浴びるために生まれてきた、と繰り返しニコデモにささやき続けた。天蓋から白いレースのカーテンが垂れたベッドだった。朝になるとそこへメイドが朝食を運んでくるのだった。

 髪の毛の下からどろりとした血を顔じゅうに滴らせながら、手を縛られてトラックの荷台に追い立てられる学生たちをニコデモは見た。餓えて泣く子どもを抱えて途方に暮れる母親や、自分のホテルから独逸軍が美術品や工芸品を運び出していくのを、通りの向こう側から震えて見つめている老人や、憲兵に棒で殴られている少年を見た。ニコデモは何も言わずに顔をそむけて彼らのそばを通りすぎた。何か騒ぎが見えたり聞こえたりすれば、遠回りをしてそちらへ近寄らないようにした。

 巴里がどんな有様になってしまったか、ニコデモはもちろん知っていた。あまりにも短いあいだに、あまりにも激しく様変わりしてしまったように見えたし、その変貌のすべてを理解していたわけでもなかった。だが、かつて何者でもなかった自分を迎え入れ、音楽を自由に探求させてくれた巴里、あの陽気で誇り高かった巴里が、今や表情を失って怯え、打ちひしがれているのは、ニコデモにさえ明らかだった。その沈んで歪(ゆが)んだ巴里で、ニコデモは占領者に鴨(かも)や仔牛(こうし)の料理を与えられ、彼らとワインで乾杯していた。それだけではなく、同時に彼らから奪われ、殴られている仏蘭西人からも、ニコデモは喝采を受け、その音楽がもたらす慰安に感謝され、使い切れぬほどの金を受け取っていたのだ。

 金の出どころに関心がなかったように、ニコデモは巴里の人々に対しても無関心を貫いた。どうせ自分が何をしたところで、占領が終わるわけでも、戦争が過ぎ去るわけでもない。抵抗運動がひそかに行われているという話を聞かないわけではなかった。だが、ニコデモは自分が、政治や社会といった分野に何ひとつ知識を持っていないと思っていた。そんなものに知識を持ったら、正義とか人権とか、平和といった、果てしのない泥沼に落ち込んでいってしまうに違いない。関心のないことに足を突っ込むのは、そういう運動を専門的にやっている彼らにもきっと迷惑だろう。お互いに知らぬ存ぜぬの方がいいのだ。

 だがそうはいかなかった。仏蘭西が独逸に占領されてから一年半ほど経った冬の朝、ニコデモのアパルトマンに前触れもなく数人の目つきの悪い独逸人が押し寄せ、ニコデモは寝巻のまま捕えられて尋問を受けた。どうしてあんな豪奢(ごうしゃ)な生活をしているのかとか、音楽のほかに何か活動をしているのではないかと、水も与えられないまま何時間も質問攻めにあった。独逸人たちは警察なのか軍人なのか、ゲシュタポなのかも名乗らなかった。ニコデモは何がなんだか判らず、繰り返される質問に正直な返答を繰り返した。どうして自分は捕えられているのかと尋ねても、尋問者の誰一人答えてはくれなかったが、やがてコートを着た男が前の晩に起きた事件を語った。ジュヌヴィエーヴ・アッレが同棲していた独逸人の小説家を銃殺して行方をくらましたという。アッレが独逸に抵抗しようとたくらむ地下組織と通じているのは明らかだと、コートの男は言った。そしてこのことは巴里のうちで誰一人知らぬ者はないが、アッレと最も長く行動を共にしていたのはニコデモである。

 ニコデモにとっては寝耳に水の話だった。確かにアッレとは無数の舞台で共に演奏し、晩餐(ばんさん)の席に招待され、演奏旅行にも行った。しかしそれ以外の私的な時間を一緒に過ごしたことはまったくと言っていいほどなかったし、マチネとソワレの合い間の時間すら別行動をしていたのだ。アッレの友人にも、家族にもニコデモは会ったことはなく、愛人だった小説家とも、一、二度挨拶を交わした程度だった。ニコデモはアッレのことを殆(ほとん)ど知らなかったことに、尋問に答えることでようやく気がついた。

 目つきの悪い独逸人たちは信じなかった。そんな返答しかせず、下手な芝居で逃げ切れると思ったら大間違いだ、答えてもらうための手段はいくらでもあると言って、彼らはニコデモを別室に連れて行こうとした。彼らが残酷な拷問をするという噂は、ニコデモも聞いたことがあった。両脇をつかまれたまま、思わずニコデモは言った。

「Aber, Ich bin ein Japaner.」しかし私は日本人ですよ。

 男たちは手を止め、互いに顔を見合わせた。巴里の東洋人が独逸語を喋ったことに意表を突かれただけでなく、どういう手違いか、彼らはニコデモを仏蘭西国籍の中国人と思いこんでいたのだ。独逸人たちは独逸語で話しかけ、ニコデモも同じ言葉で返した。目つきの悪い男たちがニコデモの旅券を確認し、独逸の同盟国人をどう扱ったらいいのかを話し合おうとしていたところへ、国防軍から連絡が来た。ニコデモ・セナ氏を即刻釈放せよという将校からの通達だった。独逸人たちは腹いせにニコデモを寝巻のまま夜の巴里に放り出そうとしたが、外には国防軍のさし向けた車が待っていて、後部座席にはアンティヌッティが座っていた。

 この事件のためにニコデモは人前で『花の歌』を演奏することができなくなった。この歌はアッレの歌声と分かちがたく結びついていたし、巴里にアッレの事件を知らぬ者はいなかったからである。アッレの歌は放送を差し止められ、レコードも発売禁止となった。ただ楽譜は売れ続けた。一部の人たちから、秘かに抵抗歌と見なされるようになったのである。

 彼女が本当に抵抗組織と通じていたかどうかは、ついに判らずじまいだった。凶器の拳銃は小説家のものだったし、人々の前に連れだって現れた二人は、いつも仲睦まじそうだった。そして小説家には伯林(ベルリン)に妻子がいた。痴情のもつれだったのではないかと当局は考え始めているようだと、アンティヌッティは語った。

 事件の真相など、どうでもよかった。一番明るい照明が彼女にあてられていたからこそ、自分は舞台に立てたのだ。アッレの行方を探そうとも考えたが、見つかれば彼女は、独逸人たちに即刻処刑されてしまうのは明らかだった。ニコデモはアパルトマンに引き籠って年を明かした。家を一歩出れば知らない男に必ず尾行された。まったく働かなくても、使い切れないほどの金がニコデモには残っていた。アンティヌッティは静かに微笑(ほほえ)みながらニコデモの姿を見守っていた。

 それでもニコデモの栄誉と盛名と利益が衰えることはなかった。占領から二度目の正月に、今ではすっかり独逸軍と裏で手を組んで闇屋となり、手広く商売をしている楽譜商とレコード会社、放送局の男たちが連れ立って来て、『花の歌』の新たなレコードを作りたいと持ちかけた。これまでアッレが独占して歌っていた『花の歌』を、もっと名のあるシャンソン歌手やオペラ歌手に歌わせる。さらには独逸語や伊太利(イタリア)語、西班牙(スペイン)語に翻訳して広く欧州全体で売り出したいという話だった。この歌は事件以降、独逸の占領に反抗する者たちの合言葉のように見なされ、当局から睨(にら)まれようとしている。その印象を変えるためにも、あえて世界的な流行歌として仕立て直すのはうまい手段だし、あなたのところには今までとは較べ物にならないほどの金が転がり込んできますよと男たちは言った。ニコデモは従った。

 ただ一曲の歌がもたらした金とは思えなかった。ラジオでは毎日のように誰かが歌う『花の歌』が流れ、再び独逸軍人や商人たちから招待が来た。もはや舞台に立つことはなかったが、ニコデモは毎日のようにピアノ演奏を披露した。独逸人の前ではベエトオヴェンやシュウマンを弾き、仏蘭西人の集まる席ではサン=サーンスやドビュッシイを弾き、アンコオルに『花の歌』を弾いた。今では前奏も間奏もすっかり装飾過多になった『花の歌』を、誰もが口々に褒めそやし、あなたはこの暗い時代に輝く太陽のような天才だ、シュウベルトの再来だと賞賛された。

 女たちも集まった。それも以前のようなどこの誰だか判らぬような女ではなく、映画女優や銀行家の令嬢、墺太利(オーストリア)貴族の末裔(まつえい)やファッション・デザイナーといった社交界の花形が大胆に言い寄って来るのだった。アンティヌッティは嫉妬の様子をまったく見せず、それどころかそれらしい気配を感じると、にやにや笑ってしばらくアパルトマンに現れなくなる。そしてちょうど女が帰ったあとにやって来て、前夜の下品な振る舞いを聞いては腹を抱えるのが常だった。

 十月初めのその夜も、ニコデモはアパルトマンで女を待っていた。外出禁止の午後十時になるまでに、ニコデモの肖像画を描きたいと言っている画家が「打ち合わせ」に来るはずだった。ワインやチーズを用意しているところへノックの音がした。外のドアベルが鳴らないのに部屋の前まで来られたのは妙だなと思いながらニコデモがドアを開けると、目の前に立っていたのは画家ではなく、ジュヌヴィエーヴ・アッレだった。

(つづく)
連載第11回


「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載一覧

藤谷 治(ふじたに・おさむ)

1963年東京都生まれ。2003年『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』でデビュー。主著に『いつか棺桶はやってくる』(三島由紀夫賞候補)、『船に乗れ!』(本屋大賞ノミネート)、『世界でいちばん美しい』(織田作之助賞)、『燃えよ、あんず』などがある。

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