◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第4回

◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第4回
正太郎は、父・市兵衛の住まいを突き止める。物置小屋のようなその家には、赤子を背負った見知らぬ女がいた。

「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載一覧


「かよ」市兵衛(いちべえ)は赤ん坊をおぶった女の人に声をかけた。「せがれだ」

 かよは「判(わか)ってる」と頷き、正太郎(しょうたろう)に「疲れてるでしょう。荷物をおろして、ひと休みしたらいいよ」と言った。二間(けん)四方もないような小屋の、茣蓙(ござ)の敷かれた床の隅に風呂敷包みだけをおろして、正太郎はすぐ畑に戻った。亀次郎(かめじろう)はひとときも兄のそばを離れなかった。

 父と話すことが山のようにあり、何より悲しいほどに懐かしかったのに、市兵衛は長男の顔をろくに見もせず、ひたすら鍬(くわ)の下の土を見つめているばかりだった。

「亀」やがてぼそりと口を開いた。「おめ畑はいいがら、あんちゃと山さ行ってなんか採ってこ」

「うん」亀次郎は素直に答えて鍬を小屋の隅に戻した。「あんちゃ、行くべ」

 弟に言われるまま二人で籠を担ぎ、山に向かって歩きながら、正太郎は不審でならなかった。北海道に渡れば土地はタダで手に入る、開墾しただけ自分の土地になる、兵役も免除になる、稼ぐだけ稼いできっと若松に錦を飾ると大らかに語っていた父親が、あんなにみすぼらしく背をかがめるようになっただけでなく、久方ぶりに会った自分を見ても嬉しそうな顔ひとつせず、ろくに声もかけないとはどういうことだろう。

 陰気な父とちがって弟は元気に兄との再会を喜んでいた。あんちゃ、こっちゃこ、いいとこあんだから、と勇んで山道を歩いていく亀次郎の笑顔に、正太郎は救われるようだった。急な斜面に突き出た大岩の下をくぐると、落ち葉にうずもれるくらいの細い川の流れがあり、その向こうに立派な枇杷(びわ)の木が実をつけていた。

「おらが見つけたんだ」亀次郎は胸を張って言った。「おとうにも言わねえんだ。言うとすっかり実を捥(も)いでしまって、商売にしようとすっか判んねがら」

「おとう、なじょした」正太郎は尋ねた。「あの人は誰だ」

「かよさんだべ」亀次郎は答えた。「今度のかかさまだと」

 器用に木によじ登って太った枇杷の実を五つ六つ捥いで正太郎と分けて食べながら、亀次郎は幌内(ほろない)に来てからの暮らしを語り始めた。

 小樽(おたる)に着いたときまでの市兵衛は気概に溢(あふ)れていた。開拓団から幌内の土地を割り当てられると、集会所の中でよしっ、と大きな声を出した。けれども実際に幌内の土地を見、あてがわれた開拓民用の住まいを見ると、みるみるうちに気力を失っていった。見ての通りのぼろ小屋だし、土地は水はけが悪い沼みたいなところで、これをこれから畑にしなければならないと思うだけで嫌になると、市兵衛は息子の前でそう言った。そもそも市兵衛は筆作りの職人で、畑など作ったことはなかった。

 それでも最初は会津団の人たちと協力して、木を伐(き)り根を掘り出して土地を作り、畑を作ることに市兵衛は熱心に取り組んだ。会津団とも仲良くやっていた。畑がまだ出来上がらないうちは、よそに行って稼いだり、食べ物を分けてもらったりといった付き合いもあった。

 そこから先が、十になったばかりの亀次郎にはよく判らない。市兵衛の帰りが夜おそくなる日がしばらく続いたかと思うと、ある日突然かよさんを連れて帰ってきて、おめの新しいかかさまだと告げると、間もなく赤ん坊が生まれた。かよさんが来てからというものは、会津(あいづ)団の人たちは姿を見せなくなり、市兵衛もよそへ出歩かなくなった。口数が減り、畑仕事にも熱心ではなくなり、家族が増えたのに市兵衛は暗くなった。亀次郎もかよさんと赤ん坊とばかり喋(しゃべ)っている。ととさんが外で稼がないから、食い物はすっかり貧しくなった。この枇杷の実のように、家の中より山の中の方が食い物が多いくらいだ。この先にかよさんの教えてくれた、旨いキノコの生える楡(にれ)の木があるから、採って帰るべ。

 弟の後について山の斜面を歩きながら、正太郎は亀次郎の話を何度も思い返した。小樽の人が市兵衛の名前を聞いておかしな顔をしたことや、大竹(おおたけ)さんが自分のことを父親に告げるなと言ったことも思い出した。何かわけがあって、ととさんは会津団の人たちから嫌がられている、ことによると爪はじきにされている。それはかよさんのことではなかろうか。大人の男と女のことを、見聞きしたことのある正太郎は、父を思って気分が悪くなった。

 楡の木に生えた白いキノコを採り、亀次郎が目ざとく見つけた蕨(わらび)やタラの芽、蕗(ふき)などを籠に入れて小屋に戻った。先に初めて見た時より、さらにみすぼらしい小屋だった。板敷の床に敷かれた茣蓙は五月とは思えぬ冷たさで、鍋釜の隣に黒ずんだ布団が畳んであった。かよさんがわずかな味噌で山菜汁を作ってくれたが、夜の寒さを温めるにはとうてい足りず、疲れているはずの正太郎は布団をかぶっても震えが止まらず、ろくに眠ることができなかった。

 便りの途絶えた親の様子を見に来ただけのつもりであった。元気であればそのまま会津に帰って筆を作り続けるのだろうと思っていた。しかしこの有様を見れば、親と弟をこのままにしてこの地を後にすることなどできなかった。正太郎は会津に手紙を書き、幌内で親を助けるつもりだと本家の伯父夫婦に伝えた。やがて会津から正太郎の着物や道具をまとめた荷物と一緒に、つらいのであればいつでも若松に帰ってこいという、伯父からの手紙が届いた。帰ってこいというのが市兵衛一家のことなのか、正太郎ただ一人に対してなのかは、はっきりしなかった。荷物と手紙が届いたころには、正太郎もそんなことまで気を回さなければならないほど、すでに幌内の事情を呑(の)みこんでいた。

 やはり市兵衛は皆から冷たくあしらわれているのだった。かよさんはもと、土建で多少の財を成した蔵品(くらしな)という男の嫁であった。蔵品の酒乱と暴力に耐えかねて家を出たかよさんが飛びこんだのが千寿院(せんじゅいん)で、市兵衛と知り合ったのもそこだった。かよさんのお腹が大きくなったのは、蔵品と別れた後のことらしいが、だからといって幌内の男たちが二人の門出を温かく見守ることにもならなかった。蔵品もまた若松から来た男で、会津団の者たちは多かれ少なかれ蔵品につながりがあったり世話になっていたりしていた。それに比べて市兵衛は、ただの情けないにわか百姓にすぎなかった。

 もともと家業であった筆作りばかりをしていた市兵衛は、幌内に来るまで鍬など握ったこともなかった。土地が手に入るというその一点で開拓団に加わったけれど、土を耕すにも周囲の手助けがなければやっていけなかったし、一人では苗一本植えることのできない男だった。そんな男があたかも蔵品の女房を孕(はら)ませたかのような仕儀に及んだ。実際にそうではないとしても会津団の連中はことの次第をそんなふうに受け取ってしまった。蔵品の顔色を窺(うかが)うためだけでも会津団は市兵衛に今まで通り手を貸すわけにいかず、市兵衛も口の下手な男だったから皆に抗弁することもなく、素人の手探りで畑を作っていたところへ正太郎がやってきたのだった。正太郎は市兵衛の野菜を市場へ持って行ってもろくな値をつけて貰えず、値がついても豚や鶏の餌にされたりして店先に出されることがめったにないのを知って悔し涙を流した。八百屋の大竹さんにかけあうと、大竹さんは市兵衛の作った芋と店に並んだ芋を左右の手にひとつずつ持って正太郎の前に突き出し、お前だったら同じ値段でどっちを取ると言った。見るからにちっぽけで形も悪く、ぶよぶよしていくつも芽が出た市兵衛の芋を前に正太郎は肩を落とすしかなかった。それでも大竹さんは正太郎が持ってきた野菜を買ってくれた。それまではかよさんか市兵衛が籠を担いで売りに来たので、大竹さんや会津団の者たちは人の目を気にして、そうそう気安く相手にもできなかったのだ、正太郎や亀次郎が持ってくるようになって、こっちも少しは気が楽になったのだと、のちになって正太郎は聞いた。

 正太郎は畑に立った。何も判らず途方に暮れるばかりで、市兵衛も口数が少なく、また見るからにおぼつかない腰つきで、これまでどうやっていたのだろうと不思議に思うほど、ととさんは頼りにならなかった。むしろ亀次郎の方が種まきや肥(こえ)やりをよく知っていた。それでも子どもがよそを見て格好を真似ているだけだった。それをまた真似てやる正太郎の畑仕事は、自分でも首をかしげてしまうようなものだった。それでも正太郎は、近所の人に頭を下げ、よその畑を手伝って、少しずつ作業を覚え、また教わり、あるいは見て盗んで畑を作っていった。手のマメが裂け、虫に嚙(か)まれた足が腫れ上がった。昼はひたすら唇を嚙み締め、夜は布団の中で苦しみに泣いた。それでも暮らしは少しもよくならなかった。小屋の中に目の下の黒ずんでいない者は一人もいなかった。


「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載一覧

藤谷 治(ふじたに・おさむ)

1963年東京都生まれ。2003年『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』でデビュー。主著に『いつか棺桶はやってくる』(三島由紀夫賞候補)、『船に乗れ!』(本屋大賞ノミネート)、『世界でいちばん美しい』(織田作之助賞)、『燃えよ、あんず』などがある。

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