◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第7回

◇長編小説◇藤谷 治「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載第7回
生業が傾き、実家からの仕送りが止まったニコデモだったが、住んでいた部屋を出て行ってほしい旨をデュドネ夫妻からも告げられてしまう。

 朝、といっても正午に間近い頃に、焦燥と行き場のない野心に苦しめられて目を覚ますと、ニコデモは前夜「フォルネウス」で貰った食材の余りや贈り物を食べ、すぐにピアノに向かう。午後は踊り子たちの稽古かアンティヌッティのレッスンに行き、そのまま店に向かうこともあれば、帰宅して再び鍵盤や五線紙を睨みつけることもあり、またシーズンにはアンティヌッティに連れられて、天井桟敷(さじき)や舞台袖から、コンサートやオペラを聴く夜も多かった。働く日は朝日に照らされて帰宅し、そうでない日は鳥の鳴き声か、遠くから聞こえるサン・ロック教会の鐘の音で我に返り、疲れ切って眠る。そんな日々が延々と続いたのだった。

 毎日が同じだとは思わなかった。実際に同じではなかった。退屈を感じるいとまもなかった。キャバレーのジャズから八世紀のイオニア旋法に至り、またアルゼンチン・タンゴに戻ったかと思えばジャワのガムラン音楽を理論的に解析し、夜は夜で時代遅れのカン・カンを田舎から出てきた兵隊向けに演奏するというのは、満ち足りたせわしなさだった。

 しかもニコデモの日々は、ただ音楽から音楽へ渡り歩くだけで過ぎていくのではなかった。ニコデモという白皙(はくせき)の東洋青年に、踊り子たちは夢中になった。口数少なく、酒も大して飲まず、キャバレーの用心棒や踊り子のヒモたちとも臆せず言葉を交わしながら、しかし彼らの博打(ばくち)や喧嘩(けんか)の相手は決してせずに、ひたすらピアノを弾き続けているニコデモの姿は、女たちに謎めいて洒脱(しゃだつ)に見えた。働き始めた頃、踊り子の中でもとりわけ浮気で図々しい女がからかい半分に一緒に寝ないかと誘うと、ニコデモはただ寂しく微笑(ほほえ)んで女の脇をすり抜けて去った。口さがない踊り子たちは大っぴらに噂話をして、あいつは女に興味がないんだとか、高音が歌えるようにあそこを切り落としたカストラートじゃないかとかしばらく言い合ったが、人前ではそんな話で笑っている彼女たちの誰一人として、内心ニコデモに魅了されない者はいなかった。

 踊り子たちに手を出さないのは、商売に差し支えるとあらかじめバレットの婆さんに釘を刺されていたからだった。しかしどこから話を聞きつけたのか、野卑な男客ばかりだった「フォルネウス」にちらほらと女の客が来るようになった。ほとんどはよその店で働く玄人や端役の女優といった、世間から見下され、自分も勝手気儘(きまま)に生きているつもりの女たちだったが、まれには刺激を求める良家の子女や人妻の姿も見られた。そういった女たちは、踊り子たちの仕事が終わるのを目当てにして下心を膨らませている男客の迷惑そうな視線をものともせず、ひたすらニコデモから目をそらさなかった。中でもとりわけ熱を上げた女は、ニコデモがピアノの前から立ち上がると給仕に耳打ちして自分のテーブルに呼び、食事やワインを振る舞い、オペラの特等席に誘い、終演後は亭主が留守の自宅にニコデモを誘った。そんな誘いがあると知ると、バレットの婆さんはいつも機嫌が良くなるのだった。そういう女たちは踊り子を店の二階の「特別室」に呼ぶ男客よりもはるかに気前よく金を出したし、ニコデモは女たちから受け取った金や贈り物を、すっかり婆さんに渡していたからである。

 自分で稼いだことがなく、常に誰かから与えられた金や物で暮らし続けてきたニコデモは、金をありがたいものと思ったことがなかった。女にも思いわずらう必要を感じなかった。あって当たり前のものをあえて強く求めようとしなかったニコデモが、心のうちで苛立(いらだ)つように求めたのは、ひたすら音楽だった。

 アンティヌッティは二度と言わなかったが、音楽のすべてを知りたいというニコデモの欲望に応えてレッスンを続けているのは明らかだった。この世のありとあらゆる音楽を、本当に知っているのではないかと怪しまれるほどのアンティヌッティは、疲れた様子も見せずに音楽を教え続けた。いや疲れているどころか、アンティヌッティは五年経っても十年経っても年老いた様子を見せず、知らないうちに三十になり三十五になっていくニコデモと、見たところはさして変わりない年齢の女性のようになっていた。それでもニコデモに教えていない音楽が無尽蔵にあるようで、次第に彼女のレッスンは、今では誰も知らない、楽譜のなかった時代の音楽や、もはや残っていないはずの楽器の奏法や、巴里(パリ)の一隅にいるだけでは決して聴きえない遠方の地の音楽にまで及んでいった。

 もしもニコデモが少しでも人間を知っていたら、その限界や不完全さ、愚かさやごまかしを経験していたら、アンティヌッティのレッスンを不気味に感じていただろう。どうして何もかも知っているのか。なぜ果てしなくレッスンを続けられるのか。稽古をしレッスンをしている毎日のどこで、彼女は作曲や編曲をしているのか。それも彼女のようなあり余る知識と才能の持ち主が、交響楽団やオペラ座のためではなく、よりによって「フォルネウス」などという薄汚いキャバレーのために、流行歌の編曲やダンス音楽を作っているのか。長い年月のうちには、きっと疑問に思ったに違いない、もし、ニコデモが僅かなりとも人間を知っていたなら。だがニコデモはそんなことを不思議とも思わずに、ひたすら自分の部屋とアンティヌッティの部屋、それにキャバレーとその稽古場を、何年も何年も行ったり来たりするばかりだった。

 ニコデモの無関心、無感動は、ただアンティヌッティや女たちの恋情に対してだけではなかった。自分が日々暮らして歩いている巴里や仏蘭西の世情にも、ニコデモは目も頭も向けなかった。独逸(ドイツ)訛(なま)りの仏蘭西語や、独逸語の貧しいささやきが街のあちこちで交わされるのが聞こえ、そんな言葉を交わす人たちが集まって暮らすところが、どこか目立たぬところにぽつぽつとできているようだった。そんな彼らを非難する声があがり、非難する者たちを非難する者たちがあらわれ、それぞれが公園や交差点で演説をしたり、互いに言い争ったりし始めた。ニコデモはその脇を通りすぎてさえ、彼らの話を聞かず、彼らの存在に気づかなかった。「フォルネウス」でもほかのキャバレーでも、熱に浮かされたような乱痴気騒ぎは続いていた。街に人が増え、新しい芸人や歌手が入れ代わり立ち代わり評判を取り、いつの間にか消えていった。仏蘭西の外で、巴里から離れたところで、何がどうなろうと構わないと思っているのは、ニコデモだけではなかった。しかしそれすらニコデモは知らなかった。

 それどころではなかった。アンティヌッティのレッスンを受けるようになってからの十二年間、ニコデモはレッスンの膨大な課題と知識を真面目に勉強し、「フォルネウス」の仕事をひとつひとつこなし、誰であろうと話しかけられれば相応に言葉を交わし、時には女たちの要求に応じながら、腹の中には抱えきれないほどの焦燥と行き場のない野心に苦しめられていた。音楽についてこれだけの知識を受け取りながら、自分ではただの一曲も音楽を創り出すことができなかったのである。

 踊り子たちの稽古場で、アンティヌッティに何かをと言われて即興で作った変奏曲が、ニコデモの作品と言いうる唯一の音楽だった。主題をアンティヌッティの旋律から採り、変奏では種々の作曲家の作風を表面だけなぞったあんな音楽を自作だなどと、ニコデモは思ってもいなかった。思い出す値打ちもない即興を、ニコデモはしかしずっと憶(おぼ)えていた。憶えていることが焦燥をいっそう加熱させた。あのあとに創作らしい創作をまったくしていないから、あんなものをいつまでも憶えているのだ。

 レッスンや仕事にかまけて創作の時間が取れないのではなかった。アンティヌッティから創作を禁じられているのでもなかった。ニコデモと殆(ほとん)ど、いやまったく同じ時間を仕事とレッスンに費やしているアンティヌッティが、踊り子のためのダンス音楽とはいえ独創的な新曲や編曲を毎週のように仕上げて眠そうな顔ひとつしないでいるのが、ニコデモには悔しく恥ずかしかった。これほど音楽の知識を蓄えていながら、なぜ自分にはちっぽけなソナチネひとつ、片々たる歌曲ひとつ、創り出すことができないのか。巴里の街に安価な楽しみを求める貧しい労働者や兵隊が増えたことで儲かり始めた「フォルネウス」は、踊り子や楽士を増やし始めたが、平日もピアノを弾いてほしいというバレットの婆さんの求めを、ニコデモは断った。作曲に専念する時間が欲しかったのだ。しかし作品はいつまでたっても生まれなかった。未完成にすらならなかった。旋律の片鱗(へんりん)さえ、ニコデモの指先からは出てこなかったのだから。

(つづく)

連載第8回


「ニコデモ 風は思いのままに吹く」連載一覧

藤谷 治(ふじたに・おさむ)

1963年東京都生まれ。2003年『アンダンテ・モッツァレラ・チーズ』でデビュー。主著に『いつか棺桶はやってくる』(三島由紀夫賞候補)、『船に乗れ!』(本屋大賞ノミネート)、『世界でいちばん美しい』(織田作之助賞)、『燃えよ、あんず』などがある。

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