▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 柳 広司「阿蘭陀幽霊」

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第24話
柳 広司
「阿蘭陀幽霊」

「このお屋敷に日本人の幽霊が出ると聞いて来たのですが?」

 橘彰は屋敷の主人だという老人に名刺を差し出した。名刺には「ゴースト・ライター」の肩書が印刷されている。ニヤリと笑い、「違います。代作者ではなく幽霊話専門のライターです」と自己紹介すると、屋敷と同じくらい古びて見える老人の顔に微かな笑みが浮かんだ。

 オランダの田舎町で幽霊の出ない旧家を探すのは至難の業だ──とものの本には書かれている。オランダ中西部に位置するライデン郊外。この日、彰が訪ねた古い屋敷は廃墟に近く、いかにも〝出そう〟な雰囲気が漂っていた。老人はガーゴイルのノッカーが付いた扉を開け、訪問者を中に招き入れた。

 彰は録音機をセットし、手帳とペンを構えて、老人に話を促した。

「あれの存在に初めて気づいたのは、五十年近く前、わしがまだ若い頃だった」

 老人はひどくしゃがれた、聞き取りづらい声で次のように話し始めた。

 ある夜半、妙な気配で目が覚めた。屋敷の中に誰かいる。泥棒なら捕まえてやる。そう思って明かりもつけず忍び足で階下の部屋に向かった。部屋には誰もいなかった。カーテンの隙間から差し込む月明かりの中、ふいに首筋を見つめられている気がして振り返ると、壁の鏡に人の顔がぼんやりと浮かんでいた。目を吊り上げ、口をかっと開いた、怒りの形相凄まじい男の顔だ。這うようにその場を離れ、家中の明かりをつけて鏡の前に戻ると、鏡には怯えた自分の顔と白い壁紙の他は何も映っていなかった。

「それからというもの、あれは度々現れるようになった。わしだけではなく、何人もの客人があれを見ている。おかげでこの家には誰も寄り付かなくなった」

「なぜ日本人の幽霊だとわかったのです?」

 彰はメモを取りながら老人に尋ねた。

「この家の歴史を調べたのだよ」老人は答えた。「この家の持ち主で、ナガサキから帰った後に狂い死にした者があった。三百年近く前の話だ。きっと現地の者の深い恨みを買うようなことをして、呪われたのだろう」

 なるほど、と呟いた彰は、手帳を閉じ、録音機を止めて、老人に切り出した。

「今夜一晩、ここに泊まって調査させてもらえませんか。勿論、タダとは申しません」

 差し出された封筒の中身を確認して、老人は、ふむ、と鼻を鳴らした。封筒を収め、

「取り殺されても、責任はもたんよ」

 と、ぼそりと呟いた。

 その夜。屋敷に一人残った彰は、ペンライトの小さな明かりを頼りに作業を開始した。

 幽霊が出る階下の一室。鏡の位置を確認し、ペンライトを軽く振ってみる。

(あの辺りか)

 鏡と反対側の壁だ。椅子にのぼり、壁紙に慎重にカッターを走らせる。白い壁紙は強い光を当てると単なる白だ。が、月明かり程の光なら壁紙の背後が透けて見えることがある。壁紙をはいでいくと、お目当てのものが姿を現した。目を吊り上げ、口をかっと開いた、怒りの形相凄まじい男の顔──。外国人の目にはそんな風に見えるのかもしれない。壁紙の下から現れたのは日本の浮世絵、人気役者の大首絵だ。

(何が日本人の幽霊だ。何が三百年の呪いだ)

〝お宝〟を回収しながら、彰は思わず口笛を吹きそうになった。人間はつくづく自分の信じたいものを信じる生き物だ。

 老人に渡したゴーストライターの名刺など嘘っぱちだった。彰の本業は古美術商。但し、駆け出しだ。鎖国時代も日本と交易を続けていたオランダでは、時折とんでもない掘り出し物が現れる。当時、日本の磁器は欧州全土で非常な高値で取引されていた。その高価な磁器を包む緩衝材として用いられたのが二束三文で流通していた浮世絵版画だ。磁器が無事欧州に到着した後、緩衝材の浮世絵はほどんど捨てられた。ゴッホや印象派の画家たちが浮世絵から美的衝撃を受けるまでの話だ。浮世絵はまず欧州で美術品として価値を見いだされ、その後日本でも珍重されるようになった。

 ところが最近、緩衝材として欧州に渡った浮世絵の一部が壁紙の補強用に使われていたことが判明した。高価な浮世絵版画を捜し出すべくオランダに赴いた同業者の中には、お宝にありついたという噂もある。

(これで俺も、駆け出しから卒業だ)

 彰は回収したお宝を丁寧に鞄にしまい、満足げな笑みをもらした。

 翌朝。屋敷に現れた老人に礼を言い、著作を送ることを約束して、彰は駅に向かった。

 妙なことに気づいたのは駅の待合室で列車を待っていた時だ。待合室に貼ってあるポスターにどこかで見覚えがある。はっとして、鞄から慌ててお宝を取り出した。お宝だと思ったものは、明るい陽光の下で見れば単なるカラーコピーだ。人間はつくづく……

 別れ際の老人のニヤリとした笑みを思い出し、彰は天を仰いだ。向こうが一枚上手だった。オランダの幽霊は商売上手だ。

柳 広司(やなぎ・こうじ)

1967年生まれ。2001年『贋作「坊っちゃん」殺人事件』で朝日新人文学賞受賞。09年『ジョーカー・ゲーム』で吉川英治文学新人賞と日本推理作家協会賞を受賞。著書に『風神雷神』『象は忘れない』『二度読んだ本を三度読む』など。

◇長編小説◇飯嶋和一「北斗の星紋」第11回 後編
◎編集者コラム◎ 『末ながく、お幸せに』あさのあつこ