▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 北村 薫「激しい雨」

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第25話
北村 薫
「激しい雨」

 Kさん。貴女からのお葉書が届いたのは、丁度、秋の大雨のあとでした。

《さて、かねてよりご依頼申し上げておりました、弊誌のショートストーリー「大どんでん返し」の締切が近づいてまいりました》──と書かれていました。《丁度》、というわけは、天候が、今回の《どんでん返し》と切っても切れない関係にあるからです。

 Kさん。貴女は四年前、実業之日本社にお勤めでしたね。そして、わたし北村薫に、こういうお手紙をくださいました。《さて、このたびは、西川美和さんの『映画にまつわるXについて』文庫化にあたり、コメントの使用をご快諾下さり、まことにありがとうございました。》

 そう。貴女は、その時の編集者でした。

 西川さんの作った映画を評価するのは、当たり前です。しかし、たまたま録画したテレビ、太宰治シリーズの不意打ちには、うちのめされるような衝撃を覚えました。太宰の映像化とは、とても思えない現代の情景から始まりました。不穏な画面が静止し、血のような色で『駈け込み訴え』という題が浮かんだ時、わたしは座椅子にもたれていた背を起こしました。

 息をのむ二十五分が経ちました。流れるスタッフ紹介。小さな文字が、目立たぬように行き過ぎました。

 ──演出 西川美和

 終わった途端に元に戻し、見返しました。この『駈け込み訴え』は、誰も踏み込むことの出来ぬ天才の世界からこの世に送り出された、特別な作品でした。

 それから、雑誌『ジェイ・ノベル』で、西川さんのエッセイを読みました。多分、「生き物」の章だったと思います。《この人は本物だ》と思っていたら、単行本『映画にまつわるXについて』として、まとまった。躍る心でページをめくり、その年の三冊を選ぶアンケートに入れ、ほかでも触れました。

 その素晴らしい本の文庫化に際し、Kさん、貴女が帯文の依頼をしてくださったのです。

 わたしは、帯の言葉や解説を書かないことにしています。遠い昔、一週間に三つもそういうお願いが来ました。無理です。こちらを受け、こちらは書かないというわけにもいきません。その時から、《以前に書いた文章を引いていただくのならかまいません》という形にしています。事情を話すと、貴女は納得してくださいました。

 そしてわたしの『映画にまつわるXについて』を語る言葉から、帯の表に《立ち読みして下さい。買うことになりますから。》、裏に《才能のある人が才能を傾けているものについて語っている文章が、よいものでない筈がない。》を抜き、入れてくださいました。

 素敵な選択だったと思います。帯はいずれははずれ、忘れられるものです。しかし、ひと時、西川さんの本を、自分の言葉で飾れたのは、大きな喜びでした。

 そして八月、西川さんからご丁寧な御礼のお手紙が届きました。 Kさん。それが嬉しかったことも、今回、ショートショートのご依頼をいただいた時、申し上げましたね。

 ──どんでん返しか……。

 心が動きました。時が流れた今なら、この一連の出来事の中の、全く思いがけない、天のいたずらについて、申し上げようと思いました。

 ここまで書いた原稿を、わざわざ埼玉の喫茶店まで来ていただいてお渡ししたのも、

 ──《どんでん返し》を見ていただこう。

 という思いからでした。 西川さんからの手紙を、お見せした時の貴女の大きくなった目。そうなのです。手紙が届いた日、突然の豪雨が、わたしの町を襲ったのです。長雨の時なら、配達にも配慮があったでしょう。しかし、そうではなかった。郵便受けに大きな包みが幾つも押し込まれ、上に入れられた西川さんの封筒が、滑って外に落ちたのです。それを、激しい雨が打っていました。外から帰って来たわたしが拾い上げた時、インクの文字は、封筒の上から流れ落ちていたのです。

 うちに入り、水に浸かったような便箋を広げ、乾かしました。《せっかくのお手紙がこんなになって申し訳ない》と情けなくなりました。

 霧を通し、遠くにあるような、美しい文字の列でした。水色に滲むそれを何とか解読し、ワープロで打ち直しました。

 消えた言葉が、よみがえりました。 これは、創作ではありません。事実です。思いもよらぬ、哀しい顚末があっても、結局、手紙は──心は、よみがえり、《届いた》のです。

 世の多くのことが、そうであってほしいと願います。

北村 薫(きたむら・かおる)

1949年埼玉県生まれ。89年、覆面作家として『空飛ぶ馬』でデビュー。 91年『夜の蟬』で第四四回日本推理作家協会賞、2009年『鷺と雪』で第141回直木賞、15年に第19回日本ミステリー文学大賞など、数々の文学賞を受賞。

◇長編小説◇里見 蘭「漂白」連載第79回
◎編集者コラム◎ 『ひなたストア』山本甲士