▽▷△超短編!大どんでん返し▼▶︎▲ 長岡弘樹『教場0.5 刑事指導官・風間公親』番外編「最後の指導」

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第30話
長岡弘樹
『教場0.5 刑事指導官・風間公親』番外編
「最後の指導」

 風間公親は、同じ県警捜査一課の織部匡章とともにその死体の前へと歩み寄った。

「わたしがきみに刑事としての指導をするのも、これが最後になる。そこで、もう一度だけ変死体を調べるときの基本を、簡単におさらいしておこうと思う」

「お願いします」

 先日、風間の所属する県警において、ある職員が業務上横領の容疑で捕まった。取り調べ中に、その職員が「口封じのために一人殺した」と自供した。死体を遺棄した場所も吐いたため、風間たちはこうして現場を訪れたところだった。

「変なことを訊くようだが、きみは、目の前にあるこの人間の体が、本当に死体だと思うか」

 風間は死体に顔を近づけた。織部もそれに従うようにして腰をかがめる。

 いま二人がいる場所は山の中で、死体が横たわっているのは、高い崖の縁にあたる場所だった。

「ええ。そのように見えますが」

「わたしが言いたいのは、一見死体のようでもまだ生きている場合がある、ということだ。まずは、そこから疑ってかからなければならない。この点については、昔の医師が考え出した、ごく簡便な生死の判別法がある。それを教えておこう」

「お願いします」

「きみはいま、腰縄を持っているな」

「はい」

「そうした紐状のもので、相手の指を強く縛ってみるといい。もしも血液がまだ循環していれば、指の先端が青黒く腫れあがる。指が白いままであれば、ほぼ死んでいると判断できる。──やってみろ」

 新米刑事は、被疑者を捕縛しておくための腰縄を使い、言われたとおりにした。

 死体の指は白いままで、青黒く腫れあがることはなかった。

「いいだろう。──次の注意点は顔だ。被害者が生前、どんな相貌だったのかを写真でしっかり把握しておくことが大事だ。死体というものは、生きていたときの面影と似ても似つかぬ表情をしている場合が多いからな」

「心得ておきます」

「それから目をよく見ることだ。死体の中には、目蓋を開いているものがある」

 二人の目の前にある死体は、目を閉じていた。

「実は、この所見だけで死後どれぐらい時間が経っているか、大雑把に推定できる。わたしの経験では、変死体のうち、死後六時間以上十二時間以内の約三割は目を開いている。その後、時間が経つにつれて目を閉じている割合が増えていく。──これはなぜだと思う?」

「目蓋の筋肉が死後硬直を起こしたり、眼球周囲の組織が腐敗することが原因ではないでしょうか」

「さすがにきみは優秀だな。これでもう教えることはなさそうだが、何か疑問に思ったことはないか」

「あります」

「ほう。言ってみろ」

「この死体が横たわっている場所です」

「というと?」

「犯人は、どうしてここから下に落とさなかったんでしょうか」

 風間と織部は同時に、高い崖からはるか下方を覗き込んだ。

「この地形ですと、落とせば発見がかなり遅れます。死体に残された犯人を示す痕跡もいろいろ失われるでしょう。つまり、こうして崖の縁に残しておくのは、犯人にしてみれば、みすみす自分を不利にしていることになります」

「そうだな」

「犯人にとっての不利は、刑事にとっての有利ということです」

「つまり、きみは何が言いたい?」

「犯行直後の土壇場で、犯人の脳裏をよぎったものがあったのではないでしょうか」

「それは何だ」

「我々刑事の苦労です。犯人は、捜査する側の苦労を思いやったがために、この死体を落とさなかった。いや、落とせなかった」

「……」

「つまり、この死体の置かれた場所から『犯人は我々と同じ刑事である』と推理できるのではないでしょうか」

「なかなか見事だ。そのとおりだよ。どうやらもう本当に、きみに教えることは何一つなさそうだ」

 風間と織部は同時に死体の前から離れ、乗ってきた捜査車両の方へ戻った。 後部座席に乗り込みながら、織部が言った。

「じゃあ元気でな。──風間くん」

 優秀な刑事でありながら、横領のすえに殺人にまで手を染めてしまった先輩、織部の腰縄を心の中で手放し、新米刑事の風間は、これも胸の裡だけで敬礼を返した。

長岡弘樹(ながおか・ひろき)

1969年山形県生まれ。筑波大卒業。2003年「真夏の車輪」で第25回小説推理新人賞受賞。08年「傍聞き」で第61回日本推理作家協会賞(短編部門)受賞。木村拓哉主演でTVドラマ化された「教場」シリーズを、「STORY BOX」で連載中。

◇自著を語る◇ 石井光太『赤ちゃんをわが子として育てる方を求む』
森見登美彦さん『四畳半タイムマシンブルース』