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超短編!大どんでん返しSpecial

第10話
小川 哲
「矜持」


「記事を書いたのはお前だな」

 タクシーを降りたところで、背後から男にそう声をかけられた。深夜まで続いた入稿作業を終えて、会社から帰宅したところだった。僕は後ろを振り返った。コートを着た体の大きい男が立っていた。短く切った髪を金色に染めていて、夜なのにサングラスをかけていた。僕は恐怖を感じるより先に、どこか感心していた。芸能人や有名人を自宅の前で待ち伏せするのは普段の自分の仕事だった。僕はどうやら、生まれて初めて逆の立場に置かれたようだった。

「なんの話ですか?」

「惚けても無駄だ。お前があの記事を書いたことはわかっている」

「惚けたつもりはありません。僕は毎週たくさん記事を書いています。あなたが言っているのが、ミドリムシのサプリに関する記事のことなのか、女子高生の間でルーズソックスが再び流行っていることに関する記事なのかがわからないんです」

「俺がミドリムシやルーズソックスに興味あると思うか?」

「じゃあ鳥取県のPR記事かな。それとも、山田仁の薬物使用に関する記事かな」

「それだ!」と男が怒鳴った。「山田仁だ」

 山田仁はアイドル出身の売れっ子俳優だった。

「あの記事のせいで山田仁がどうなったかわかっているか?」

「出演する映画が公開中止になり、四本のCMが差し替えになり、主演が決まっていたドラマを降りることになりました。そして今朝未明、彼は自殺しました」

「詳しいじゃないか」

「続報記事を書いている途中なので」

「こういうことがあると、非常に困る人がいる。そして、俺は困った人を助ける仕事をしている」

「残念ながら、僕が手助けできることはなさそうです。今から記事を取り下げたところで山田仁は帰ってきません」

「そんなことはわかってる!」と男が急に怒鳴った。「俺が言っているのは、落とし前の問題だ!」

「落とし前?」

「俺の依頼人はとても怒っている。あの記事のせいで数億円がパーになったからな」

「何が目的なんですか? この場で僕に憂さ晴らしをしようっていうんですか?」

「もちろん、お前の出方によってはその可能性もある。だが、依頼人は寛大な人物だ。誰かがお前に記事のネタを提供して、お前は記事を書いた。お前の仕事は記事を書くことだ。お前は自分の仕事をこなしただけだ」

「その通りです。別に山田仁に個人的な恨みがあったわけではありません」

「依頼人は、ネタを提供した人物に怒っている。どうせそいつも、山田と一緒に薬物を使っていたんだろう。もしかしたら山田に薬物を売った人物かもしれないな。とにかく、山田仁を殺し、多くの関係者の人生をむちゃくちゃに破壊しておいて、自分だけタレコミ料で儲けているわけだ。そんなことが許されると思うか?」

「僕には誰かを許したり、許さなかったりする権限がありません」

「お前には二つ選択肢がある。一つは、この場でネタを提供した人物の名前を俺に教え、握手をして帰宅し、ぐっすりと眠って朝を迎えるというものだ。もう一つは、俺の依頼人を怒らせた人物を庇い、さらに依頼人を怒らせるというものだ。後者の選択肢はおすすめしない。俺の依頼人はお前が所属する出版社の社長と仲良しでね。お前を二度と業界にいられなくすることくらい簡単にできる」

「それは残念です。別に誇りを持っているわけではありませんが、今の仕事にはそれなりに満足しているので」

 実のところ、僕は提供者の本名を知っているわけではない。だが、提供者がどういう人で、山田とどういう関係かは知っている。それらの情報があれば、提供者を特定するのは容易だろう。

「たいした根性だな。友人でもない人間を守るために、仕事を失ってもいいと言うんだな」

「仕方ありません。昔から、地元で居酒屋を開く夢があったんです。いい機会なので夢を実現することにします」

「お前を業界から干したくらいで俺の依頼人が満足すると思うなよ。その居酒屋が潰れるまで商売の邪魔をしてやる」

「それは困りますが、名前は教えません」

「仕方ない」と男は胸元に手を伸ばし、コートの内側から拳銃を取りだした。拳銃を見た瞬間、僕はあまりの驚きと恐怖に「あっ」と情けない声を出してしまった。

「どうせお前はここで死ぬ。冥土の土産で依頼人の名前を教えてあげよう」

 男が銃口をこちらに向けた。

「山田仁だよ。仁は俺の命の恩人でね。最後に何か言うことはあるか?」

 僕は咄嗟に「まだ死にたくないです」と口にした。

「でもお前は提供者の名前を口にしなかった。こうなった以上、お前をやってから俺も死ぬ」

 僕は必死になって、「そんなことしても山田仁は喜びませんよ」と月並みなことを言った。

「いや、これは俺なりの落とし前なんだ。三秒待ってやろう」

 男が「三……」と言った。提供者のことを教えようかと考えてから、やっぱりできないと思い直した。

「二……一……〇」

 僕は死を覚悟して目を瞑った。

 そのまま長い時間が経った。昔、「死ぬ瞬間の時間が引き延ばされる」という記事を書いたことを思い出した。あの記事は正しかったのだと感心した。

「おい」と男の声がした。僕は目を開けた。銃口から火が出て、男はその火でタバコに火をつけた。

「ライターだったんですか?」

「ああ」と男はうなずいた。「ヤバいネタがあって、誰に売るか決めかねていた。山田なんかよりもずっと大物のスキャンダルだよ。いくらで買い取ってくれる?」

 僕は大きく息を吐いてから「ネタを聞いてから決めます」と言った。


小川 哲(おがわ・さとし)
一九八六年千葉県生まれ。二〇一五年に第三回ハヤカワSFコンテスト大賞を『ユートロニカのこちら側』で受賞し、デビュー。『ゲームの王国』で第三十八回日本SF大賞と第三十一回山本周五郎賞を受賞。その他著書に『噓と正典』がある。

〈「STORY BOX」2021年12月号掲載〉

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