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超短編!大どんでん返しSpecial

第11話
織守きょうや
「侵入者」


 好みのタイプの女が通り過ぎたので、後をつけることにした。

 年齢は、三十代前半といったところか。女は、駅とは反対方向に向かって歩いている。時間帯を考えると、仕事を終え、自宅へ帰るところだろう。

 女は途中でコンビニに寄った。レジ袋が透けて、缶ビール一本と、つまみの小袋が見えている。

 すぐに食べられそうなつまみと冷えたビールを今買ったということは、ここからさほど遠くない距離に住んでいる可能性が高い。それに、一人分ということは、おそらく一人暮らしだ。

 女が俺に気づいている様子はない。

 コンビニの先は、もう住宅街だ。人通りも減ってきた。

 女は狭い児童公園のすぐ脇にある小さなマンションに入って行く。

 五階建てのマンションだ。入り口に電気の消えた看板が出ていて、一階に歯科医院が入っていることがわかった。ということは、玄関ロビーまでは誰でも入れるようになっているはずだ。

 女がエレベーターに乗りこむのをガラスドア越しに確認したが、俺の位置からは、角度的に、階数表示は見えない。

 玄関ロビーへの入り口には防犯カメラがある。カメラに映らないだろう角度と距離を意識して再び玄関の様子をうかがうと、集合ポストが見えた。スマホのカメラでズームして確認する。二段目の右端のポストにだけ表札がなかったので、この部屋だ、と確信した。若い女の一人暮らしだと、表札を掲げていないことが多い。

 ポストと部屋の位置が対応しているなら、二階の右端の部屋が女の居室だ。

 俺はマンションの左側に回り、すぐ隣にある公園へ入った。

 思ったとおり、公園からは、二階以上の部屋の窓とベランダが見える。

 右端ということは、ここか──と一つの窓を眺めていると、カーテンが開き、さっきの女が顔を出した。

 窓を開けてベランダへ出てきた女は、上着を脱ぎ、缶ビールを片手に、風を楽しむかのように目を細めている。着替えもせずに、早速飲み始めたらしい。

 俺は慌てて木の陰に隠れる。

 しばらくすると、女は部屋の中に引っ込んだ。窓ガラス越しにカーテンが引かれ、その姿は見えなくなる。

 そのとき、彼女が窓に鍵をかけなかったのを、俺は見逃さなかった。

 あの高さなら、登れる。一階のベランダの柵を足がかりにして、雨どいやパイプを伝って、あの部屋まで行ける。

 思わず口元が緩む。興奮をなんとか押し殺し、マンションに背を向けた。住宅街だから、もう一、二時間もすれば、ほとんど人通りはなくなるはずだ。壁を登って侵入するところを目撃される心配もなくなる。

 駅の近くまで戻って食事を済ませ、百円ショップで滑り止めつきの軍手を買って、俺はマンションへと舞い戻った。

 公園から確認すると、部屋の電気は消えている。カーテンと窓は閉まったままだ。

 俺はマンションの左側面の壁を登り始める。一階の歯科医院はとっくに閉まっていて、ベランダの手すりをよじのぼっても、誰にも見咎められる心配はない。

 俺はものの数分で、女の部屋のベランダにたどりついた。

 胸を高鳴らせ、唇を舐めて、手袋をはめた手で窓ガラスをスライドさせる。やはり、鍵はかかっていない。

 音をたてないよう、そうっと開けた窓とカーテンの隙間から室内に身体を滑りこませ──愕然とした。

 そこは、期待していたような、女の一人暮らしらしい部屋ではなかった。

 何もない。テーブルもソファも、家電の一つも。空っぽ、がらんどうだ。

 一瞬部屋を間違えたのかと思ったが、そんなことはありえない。あの女は、この部屋の窓から顔を出した。その証拠に、窓の鍵は開いていた。

 どういうことだ。

 引っ越したばかりなのだろうか。しかし、段ボールの一つもない。女がいないのは、外出しただけかもしれないが、こんな何もない部屋で暮らしているのだとしたら、あの女はどこかおかしい。

 あの女はそもそも実在するのか、まさかすべては俺の妄想だったのかなんて、馬鹿げた考えまで浮かんでくる。

 俺はただ、その場に立ち尽くした。

 

 マンションを出て歩き、駅が見えてきたとき、ふと、窓の鍵をかけただろうか、と不安になった。

 かけなかったような気がする。仕事に慣れてきた今くらいの時期が一番ミスをしやすいから気を緩めるなと、先輩に言われていたのに。明日、鍵を返す前に確認に寄らなければ。何もない部屋とはいえ、誰かが入り込みでもしたら責任問題だ。

 不動産仲介業の仕事を始めて二年。

 そろそろ職場近くに引っ越そうかと思っている、と社長に伝え、仕事の後で毎日一軒ずつ、よさそうなマンションを内覧させてもらっている。もちろんオーナーも了承済だ。

 本当は、内覧中の室内で飲食はしてはいけないのだが、知らない窓からの風景を眺めながらこっそりビールを飲むのが最近の楽しみになっていた。

 さて、明日はどの物件を内覧しよう。つまみは何がいいだろう。

 彼女は、飲み終わったビールの缶と食べ終えたチーズナッツミックスの小袋を、ビニール袋に入れて口を縛り、駅のゴミ箱に捨てた。

 


織守きょうや(おりがみ・きょうや)
1980年ロンドン生まれ。2012年「霊感検定」で第14回講談社BOX新人賞Powersを受賞しデビュー。15年「記憶屋」で第22回日本ホラー小説大賞読者賞を受賞。著書に『少女は鳥籠で眠らない』『朝焼けにファンファーレ』『花束は毒』などがある。

〈「STORY BOX」2022年1月号掲載〉

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