▽▷△超短編!大どんでん返しSpecial▼▶︎▲ 澤村伊智「井村健吾の話」

第16話
澤村伊智
「井村健吾の話」
「禿げたな」
「黙れメタボ」
振り返ると男性二人が、グラスを片手に笑い合っていた。禿げた方の名札には「木元浩平」、太った方には「斎藤琢磨」と書かれている。名札を見なければ誰が誰だか分からない。僕は斎藤くんに訊ねた。
「元気?」
「言うなよ。煙草止めたらこのザマだ」
「俺も」と木元くん。
「二人とも吸ってたんだね。知らなかった」
そう言って、僕は語らう二人から離れた。黒板の大きな文字を眺める。
〈〇×中学校第十九期卒業生三年二組 同窓会〉
古びた教室。二十人ほどの中年の男女が、飲み食いしながら語らっている。懐かしい気持ちで僕はあちこちのグループを渡り歩いた。隅で女性数人が身を寄せ合っていて、うち一人が泣いている。僕は声を掛けた。
「大丈夫?」
彼女は手元のケーキを見つめたまま笑顔を作ったが、すぐまた涙を零す。
「三枝ちゃん。盛り上がるん、こっからやで」
関西弁の女性──森さんが言う。
「ごめんね。こ、こんなに楽しくていいのかなって」
三枝さんは目頭を押さえながら答えた。
「僕も楽しいよ。久々に会えて」
「あんた昔から涙もろかったしなあ」
「たしかに、僕にも三枝さん、すぐ泣くイメージがあるよ」
「体育祭の、クラス対抗リレーとか」
「卒業式とか」
「せや、あと調理実習で皿割った時とか」
「覚えてないや。森さん、それどんな流れだった?」
「このスパゲッティ美味しいわあ」
「どんな流れだった?」
「心配かけてごめん。お詫びに芸します」
三枝さんがケーキを一口で食べ、周りが一斉に拍手した。僕がぽかんとしていると、誰かが手を叩いた。
「はい皆さん。改めて永遠の中三、井村健吾くんを偲びましょう」
と、遺影を教壇に置く。学ランを着た、ひ弱そうな少年だった。
井村、イム、井村くん、と皆が口々に呼びかけ、手を合わせる。それが済むと思い出話に花を咲かせる。黒板の隅にいつの間にか〈兼 井村健吾くんを偲ぶ会〉とあった。僕は気付く。記憶が曖昧なこと、みんなの顔と名前が一致しないこと、改めて考えると誰も僕の言葉に反応していないこと、全ての理由に思い至る。
井村健吾は、僕だ。
僕はずっと前に死んでいて、誰にも見えていないのだ。
思った瞬間、僕は虚空に溶けた。
しばらくの間、教室スタジオは静まり返っていた。
「消えた?」「消えたよ」
誰かが言って、誰かが答えた。また別の誰かが口を開く。「よし、これでほぼ確定だ。みんなで同時に偲べば、あいつは帰る」
空気が弛緩し、皆が一斉に片付けに取りかかる。
「今年は写真とだいぶ違ってたよな?」
「見てないよ。学ランは着てたけど、顔は肉っぽい赤で」
「今年は凄く話しかけてきたね」
「せやな。シカトしても食い下がりよった。こんな風にめちゃくちゃ顔近付けて」
「やめてよ」
三枝がまた泣き出す。
「なあ、斎藤」
黒板を拭いていた木元が、傍らの斎藤に訊ねた。
「マジで忘れたんだけど、最初に企画したの、誰だっけ?」
「訊かない約束だぞ」
「だったな」
黒板消しを叩きに木元は窓の方へ向かい、斎藤は胸を撫で下ろした。
自分だった。自分と森と、あと数人で企画したことだった。
久々の同窓会だ。再会を祝うだけではつまらない。卒業間際に死んだ「井村健吾」なる架空の同級生を作って、同窓会で追悼しよう。人物像を作り込み、雰囲気のある教室スタジオを借り「泣ける」同窓会ムービーを作って世界に配信しよう。
反対意見は出なかった。会は盛り上がり、三枝に至っては遺影の前で涙を流しさえした。数百人分の顔写真をソフトで自動合成した、作り物の遺影に。動画の再生回数は微々たるものだったが、いい記念になったと斎藤は思った。
二年後、一同は再び同じセットに集ったが、そこに「井村健吾」がいた。遺影そっくりで人の言葉を話したが、人ではないと肌で分かった。
話しかけてきた。答えた同級生五人はその場で倒れて死んだ。扉も窓も開かず電波も繋がらない。八時間後に「井村健吾」は消えたが、理由は今も分からない
翌年、同級生の親族が次々不幸に見舞われ、大勢が死んだ。「同窓会を開かなかったせいだ」と誰からともなく意見が出て、更に翌年、同じ頃に再び集まった。そこに「井村健吾」が現れた。何時間か共に過ごすと消え、翌年また現れて消え、それが繰り返された。
動画を撮って八年。今回初めて「井村健吾」を帰す方法が分かり、斎藤は安堵していた。
「なあ」
黒板の下の床を拭いていると、木元に声を掛けられた。「どうした」
「これで終わりじゃないよな。来年もやんなきゃだよな」
「ああ」
「何で?」
「当然だろ。帰せたからって二度と戻ってこないとは限らな──」
「斎藤、違う……!」
木元の震え声がして、斎藤は気付いた。全身が粟立つ。
「ねえ、何で?」
いないはずの同級生が、赤い顔を近付けて訊ねた。
澤村伊智(さわむら・いち)
1979年大阪府生まれ。2015年『ぼぎわんが、来る』で日本ホラー小説大賞を受賞しデビュー。19年「学校は死の匂い」で日本推理作家協会賞〈短編部門〉、20年『ファミリーランド』でセンス・オブ・ジェンダー賞〈特別賞〉を受賞。最新刊は『怖ガラセ屋サン』。
〈「STORY BOX」2022年4月号掲載〉