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超短編!大どんでん返しSpecial

第2話
阿津川辰海
「黒い雲」


 高枝切り鋏を雲に差し込んで、素早く両腕を動かす。今日は曇り空で、高所作業でも汗をだらだらかかなくて済む。

 ぼくの近くには空にぷかぷか浮かんだゴンドラが二つあり、片方には霧吹きを持った男が、もう片方には袋を構えた男が立っている。二人とも仕事仲間だ。

 ぼくの鋏が雲を切る、なめらかな感触が手に伝わった。ぼくが切り出した雲は、ふかふかで、いかにも柔らかそうだった。

 突然命を宿したような勢いで空に躍り出た雲の塊に対して、霧吹きを持った男が素早く液体をかける。すると、袋を構えた男は、空にぷかぷか浮いた切り出し雲を、すかさず袋にしまい、口をしばった。

「なんだか、めでたい気分になるんですよね。これやってると」

 霧吹きの男が言った。

「餅つきを思い出すからじゃないか」と袋を持った男が言った。「ついて、こねて、丸める」

「確かに、餅みたいですもんね、これ」

 二人が笑うのに合わせて、愛想笑いを浮かべる。同僚だが、彼らの名前は憶えていない。

 ぼくには、妻さえいればそれでいい。

 雲は普通、地上に持っていくと霧に変わってしまう。高度が高いから、霧とは質感の違う、あの雲になっているのである。なんとか雲に触れたい、雲の上で寝てみたいという子供じみた夢を叶えるために、わが社は特殊な技術を開発した。男の持っている霧吹きの中には、雲の状態を固定化する薬が入っている。時を止めてしまうだけなので、雲は柔らかいままなのだ。一度固めた雲は、別の特殊な薬液をかけない限り、霧には戻らない。

「今日の雲はぬいぐるみに使うらしい。また子供が喜ぶだろうな。着色料入りの水を含ませれば、色だって自在だ」

「いつも思うんですが、それってどうなんでしょうね」ぼくは言った。「雲は、空気中の不純物の塊ですから。免疫が弱い子供には悪影響を与えませんかね」

 袋の男が大げさにため息をついた。

「ロマンがないねえ」

「お前はあれだ」霧吹きの男が横から詰め寄る。「花火を見て、炎色反応がどうとか言っちゃうタイプだ」

「かき氷のシロップは全色同じ味だって言うのも同じタイプだな」

 ぼくとしては、揶揄する意味で言ったわけじゃなく、ただ事実を指摘しただけなのだが、受け止め方は色々ある。

「でもこんな奴に限って、美人をつかまえるんだよな」

「え、そうなの」霧吹きの男が目を丸くした。「お前、結婚してたのか」

「ええ、まあ」

 霧吹きの男は芝居がかった動きで俯いて、「世の中不公平だ」と嘆き節である。ぼくは苦笑するが、相変わらず、ついていけない。

 早く家に帰って、妻の隣で眠りたかった。

 その日の夜、家で妻と過ごしていると、インターホンが鳴った。出てみると、あの霧吹きの男がいた。手には日本酒をぶら下げている。

「よう、たまにはお前と飲んでじっくり話すのもいいと思ってな」

 ぼくは大いに抵抗した。なぜ家がバレているのか混乱したが、大方、ぼくの妻の顔を一目見ようと、会社で個人情報を盗み見たか、つけてくるかしたに違いない。

 霧吹きの男の力は強く、押し返すことが出来なかった。

「へへっ、邪魔するぜ。おっ──」

 彼はリビングに足を踏み入れて、動きを止めた。

 そこには、黒い雲が鎮座していた。ソファの上にデンと構えて、人間のように座っている。

「お前、こりゃ、大雨の日の雲じゃないか。休みの日に勝手に一人で採ったのか? どうしてそんな危険なことを?」

 彼はニヤリと笑った。

「なあ、こういう危険な場所の雲は、プレミアがついて、好事家に高く売れるんだ。どうだ、俺が伝手を紹介してやるから、その代わり……」

 その瞬間、ぼくは彼を絞め殺した。

 黒い雲を見られた以上、生かしてはおけない。

 雲は大気の不純物の塊だ、と言ったのは、事実を指摘したまでだ。そして、ぼくはその事実にこそロマンを感じている。大勢の人の生きた証、町の記憶。雲を手にすると、そうした営みをこの手で掴んだような気がする。

 だから、三年前、口論の末に妻を刺し殺した時、ぼくは雲の中に妻を閉じ込めたのだ。

 雲は妻の腐食した体と血を──彼女の不純物、その全てを吸って、黒々と光っている。

 


阿津川辰海(あつかわ・たつみ)
1994年東京都生まれ。東京大学卒。2017年、新人発掘プロジェクト「カッパ・ツー」により『名探偵は嘘をつかない』でデビュー。著書に『星詠師の記憶』『紅蓮館の殺人』『透明人間は密室に潜む』。最新刊は『蒼海館の殺人』。

〈「STORY BOX」2021年6月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『安楽死を遂げるまで』宮下洋一
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