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超短編!大どんでん返しSpecial

第20話
谷津矢車
「幻景・護持院原の敵討」


 今日は非番ゆえ、日がな一日ここで畑仕事のつもりぞ。はは、なにを言う。あの一件で随分と報奨を頂いたがあくまで陪臣身分、主家から頂く切米で暮らしておるゆえ、内職は欠かせぬよ。今、肥溜めをこさえておって臭うが、許してくれい。

 敵討の話を聞きたい? よかろう。今、休もうと思っていたところだ。

 あの敵討の端緒は、五年ほど前の天保五年、暮れの押し迫った十二月二十六日に江戸で起こった刃傷事件であった。わしの兄で姫路酒井家家中の江戸詰藩士だった山本三右衛門が、江戸大手門下馬札そばの酒井家上屋敷にある金蔵、金部屋で刃傷に遭い、翌十二月二十七日に死んだ。なんでも宿直明けの早朝、急ぎの手紙を持って来たと偽りやってきた男にやられたものという。その頃もうわしは酒井家国家老の本多意気揚様の家臣であったから、江戸のことは文で知った。居ても立ってもいられなかったわしは、意気揚様に暇申し上げ、取るものもとりあえず江戸へ馳せ参じた。

 わしが江戸の土を踏んだのは翌年一月末であったが、呆れたよ。江戸の親族どもは敵討を厭うておったのだ。敵討のために江戸に参じたわしは随分邪険にされたが、三右衛門長女のりよ、その弟で嫡男の宇平はわしの来訪を喜んでくれてな。特に宇平は、敵を討たねば家督も相続できぬと御家中から言い渡されておったそうで鼻息が荒く、わしを助太刀に迎えてお上に敵討の届けを出した。もっとも、りよは女。江戸で留守を預かるよう言葉を尽くして呑み込ませ、わしは宇平と共に諸国を廻ることになった。

 兄を斬ったのは、酒井家中間表小遣の亀蔵なる男らしい。この男を周旋した口入れ屋の言を信じ生国だという紀州にも足を延ばしたが、無駄足であった。その後、日本中を探し歩いて徒に一年を費やした後、名古屋でわしはある提案をした。あれは確か、天保七年の五月のことであったか。

「手分けをしよう。わしは東を探すゆえ、そなたは西を廻ってくれぬか」

 宇平に西国の探索を任せ、わしは江戸へと舞い戻った。その途上で、後に敵討に加わることになる文吉も抱えることになった。確か吉田宿でのことではなかったか。わしが敵討の旅の最中にあると知り、意気に感じたと言うておった。実際この男は、無賃無休で働いてくれた。

 江戸へと戻ったその年の七月のことだった。あれは夕の気配迫る七つ時、わしと文吉が敵を探して両国を尋ね歩いていたところ、大橋を歩く亀蔵に行き合った。神田方面に向かうその背を追いかけ、護持院原ら辺に至った処で、わしと文吉とで亀蔵を虜にした。だいぶ抵抗されてな。その時にも斬り合いとなったのだが、わしは傷ひとつ負わず、かの男は口を怪我してまともに話せぬようになった。ふがふがとなにを言うておるのか判らぬ有様であったが、幾度かの誰何の後、男は亀蔵であることを身振りで認めた。わしは助太刀ゆえ、手続き上、敵討はできぬ。そこで文吉を遣いとしてりよを呼びつけ、その日のうちに敵討となった。

 あとのことは、貴殿も知っておろう。りよは父の敵を見事に斬り伏せ、わしが首を挙げた。この敵討は江戸中に知れ渡り、幾度かの取り調べの後、我らは無罪放免、りよもわしも酒井家御家中よりその功を賞され、山本家は恙なく宇平が継ぐことになった。もっとも、宇平は敵討を遂げたわけではないからすぐに隠居したがな。

 聞きたいことがある? なんなりと聞いてくれい。

 文吉の生まれ? あの男は、生まれも育ちも吉田宿、わしと共に江戸に行くまで三河を出たことがないと言うておった。

 ふむふむ。宇平と手分けする際に、姫路に住んでいたわしが西を受け持たなかったのは不審ではないか、と。金に困っていたからといって、亀蔵が上屋敷の金部屋を襲うのも解せぬところよな。

 左様。文吉も、ついでにいえばりよも宇平も、敵の顔は知らぬはずだ。まあ、世の敵討は往々にしてそういうもの。人相書きは顔に目立つ傷でもない限り、当てにならぬ。

 なのに、なぜわしが両国橋を歩く亀蔵に気づいたか。こう考えたらどうだ。わしと亀蔵が顔見知りだったとな。そう、わしが亀蔵を雇い、兄を殺させたのだ。

 兄に恨みはない。倦んだのだ。休みの日には百姓のように畑いじりに精を出さねばならぬ陪臣の暮らしにな。日陰の雑草ではなく、日向に咲く大輪の花になりたかった。最初から亀蔵は殺すつもりだった。あれを殺すことで、武士としての誉れを一身に浴びたかった。宇平を西に遠ざけたのは、功を独り占めにするためよ。もっとも、あの敵討はりよが大きく取り上げられる仕儀となり、わしは脇役扱いとなってしもうたがのう。世の中、上手く行かぬものだ。

 まさか、今更それに気づく者があったとは。武功話など、得々と披露するものではないな。一つ勉強になったぞ。もう聞いてはおるまいが。

 すまぬが、骨一つ帰せぬな。そこの肥溜めで腐れ落ちて貰おうぞ。

 はは、この期に及んで肥溜めか。つくづくわしは、武士ではないのだな。

 


谷津矢車(やつ・やぐるま)
1986年東京都生まれ。駒澤大学文学部卒業。2012年『蒲生の記』で第18回歴史群像大賞優秀賞受賞。2013年『洛中洛外画狂伝』でデビュー。著書に『蔦屋』『しょったれ半蔵』『絵ことば又兵衛』など。近著に『宗歩の角行』。

〈「STORY BOX」2022年7月号掲載〉

ジェーン・グドール、ダグラス・エイブラムス 著、岩田佳代子 訳『希望の教室』/人間と動物、環境、地球を守るためにグドール博士が発した言葉
◎編集者コラム◎ 『ほどなく、お別れです』長月天音