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超短編!大どんでん返しSpecial

第23話
蝉谷めぐ実
「飯の種」


 丼を手に持ち、小走りに道を進む一之助は、どうにも笑みが溢れて仕方がない。

 今宵の酒の当てに作った丼の中身、こいつがまあ、うまいのなんの。腑を抜き背に包丁を入れて開きにし、皮ごと薄く削いでいく。タレに漬け込み丸三日、味見した刺身は頬がとろけるほどの美味しさだった。ここのところ熱い日が続いていたから、冷やしたそれがつるりと喉を滑っていく感覚も心地よい。こりゃあ丼四つじゃあ足りないかもしれねえな。一之助はへへへと同期たちの顔を思い浮かべる。

 月に一度、仕事終わりにそれぞれが料理を持ち寄って、独り身の家へと押しかける同期会ももう五回目になる。階は違えど職場も住まいも皆同じ、仕事の内容も似たようなものだから、愚痴は深く頷けるものが多い。今夜も並べた皿を真ん中に置き、囲うようにして胡座を組めば、「こんな異動話、受けなきゃよかったよ」と二郎がため息混じりに口を開く。

「階が変われば前の仕事よりも楽になるかと思ったのに、とんだ見当違いだった」

 この仕事を生業とするものは皆揃って体格がいいのだが、二郎はひときわ体がでかい。その山なりの肩が落ちている様はなんとも哀れだ。

「噂じゃ一番残業が少ない階だと聞いていたが、実はそうでもねえのかい?」

 一之助がそう聞くと、二郎はいや、と首を横に振る。

「確かに残業は少ないさ。だけど、仕事の内容が今までよりずっと手が込んでいるんだよ。覚えることが沢山ある」

 でもよ、と口を挟んでくるのはお調子者の三吉だ。

「前より下の階に異動になったんなら、出世コースには違いねえんだろ。かぁー、羨ましいねえ。こいつなんて、まだ一番上の階でちまちま切り刻んでるばかりだぜ。細切れにしすぎて上司に怒られてんの」

「ちまちまとはなんだ。私はきちんとがつがつ切り刻んでいる」と真面目に答える四平太を笑うのも、いつもの流れだ。

「まあ、そんな上司もいねえ席だ。鬼の居ぬ間になんとやらで楽しくいこうぜ」

 言って一之助がさり気なく畳の上を滑らせた丼に、箸を伸ばした三吉はおっと声を上げた。「こりゃうめえ」三吉の言葉に一之助は「熱い日にはもってこいだろ?」と口端を上げる。二郎も丼に箸を伸ばしたが、「俺はやっぱり蒸しが好きだな」と自分で持ってきた皿に箸先を変えた。

「刺身にすると筋が残るだろ。その点、蒸しはいいぜ。毛さえうまく毟ってしまえば、身も筋もほろほろになる」

「それが面倒くせえんじゃねえか」と唇を尖らす三吉は煮染めが好きだ。「全部、鍋にぶち込んじまえばいいのよ。出汁さえ良いのを使えば、どこもかしこも食えるんだから」

「ガサツなのはいけない」窘める四平太が持ってきた炙りは、火の通りが均等だ。「私たちは命を頂いているんだ。食材に対して、丁寧さをもって調理すべきだ」

「そんなありがたがる食材でもねえだろ」黒光りする爪で耳穴をほじくりながら、三吉は言う。

「ここじゃあそこら中に食材が転がってるんだからよ」

 そのときだ。ギャアア、と人の叫び声が外から聞こえた。続けてびしゃりと肉が地面に叩きつけられる音が響き渡り、三吉はうへえと舌を出す。

「噂をすれば、だ。また飯の種が落ちてきやがったぜ」

「この音の遠さじゃあ、ここから一つ下の階だな。焦熱地獄の金剛骨処とみた」

 皆で耳を澄ませると、先ほどと同じ声がヒィ、ヒィと喉を引き攣らせている。

「いや、この咽び方は俺の管轄だ」げんなりとしている二郎を、一之助は横目で見遣る。

「てえことは、三階下か。今の人間は無間地獄に堕ちたのか」

「無間地獄の野干吼処だろ。燃え上がった牙で噛まれたら、ああいう声が出るのさ」

 へえ、と感嘆を漏らすと、二郎は思い切り顔を顰める。

「明日は一日中、狐の牙に油を塗りたくることになる。これだから無間地獄の責め苦は手が込んでるって言うんだよ」

 残業だ、と頭を抱える二郎の前に、そっと皿を進めてやった。

 人間刺身、人間蒸し、人間煮染めに、人間炙り。全ての料理を平らげれば会もお開きで、一之助たちは膝を叩いて立ち上がる。玄関の扉を開けると、目の前では地獄に堕とされた罪人たちが炎で焼かれ、体を引きちぎられて阿鼻叫喚の様相だ。変わり映えのない仕事場の景色だが、愚痴を吐き出した体はすっきり軽い。おかげで、明日からの獄卒の仕事も頑張れそうだ。鬼の一之助は一つ大きく伸びをした。

 


蝉谷めぐ実(せみたに・めぐみ)
1992年大阪府生まれ。早稲田大学文学部で演劇映像コースを専攻。2020年、『化け者心中』で第11回小説野性時代新人賞を受賞しデビュー。21年、同作で第10回日本歴史時代作家協会賞新人賞、第27回中山義秀文学賞を受賞。ほか著書に『おんなの女房』がある。

〈「STORY BOX」2022年10月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『1795』ニクラス・ナット・オ・ダーグ 訳/ヘレンハルメ美穂
週末は書店へ行こう! 目利き書店員のブックガイド vol.64 八重洲ブックセンター京急百貨店上大岡店 平井真実さん