▽▷△超短編!大どんでん返しSpecial▼▶︎▲ 綾崎 隼「はじめてのサイン会」

超短編!大どんでん返しSpecial

第24話
綾崎 隼
「はじめてのサイン会」


 まだ自分が何者なのかも分からなかった十六歳の夏。

 私は初めて小説家のサイン会に参加した。

 大好きな先生のサインをもらって。同じ空間で、同じ空気を吸って。たまらなく満ち足りた気分になったことを、今でもよく覚えている。

 あれから二十年が経ち、今日、私は自分がサインをする側の人間になった。

 私、夢野由芽にとって初めての、そして、恐らくは最後になるだろうサイン会の定員は、先着百名と告知されていた。しかし、一ヵ月以上、募集期間があったのに、出版社も大々的に告知を打ってくれたのに、申し込み者はわずか十七名だった。

 大勢の大人たちに囲まれ、自分一人だけが席に座り、書籍に為書きとサインを入れていく。

 参加者はたった十七名だ。一人一人と雑談しながら進めていっても、あっという間に終わるだろう。

 みじめな気持ちを覚えないと言えば嘘になる。だが、それよりも、何よりも、主催者である書店と、このサイン会を企画した編集者に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

「夢野さん。実は私、電子書籍でも買って、サイン会の前に読んできました!」

 イベントの参加条件は、三日前に発売された書籍を、この書店で購入することだ。つまり彼女は同じ本を二冊買ってくれたということになる。

「大きな声では言えないですけど、あの言葉に共感しました。『センスは腐ることもあるから、下らない音楽は聴かない方が良い。でも、小説はたとえ面白くなくても学びがある』って」

「すみません。自分なんかが大それたことを……」

「自信を持って下さい。夢野さんの感性を私は支持します!」

 小説家のサイン会に参加する読者は、女性が多いらしい。だが、今日は性別にも年齢にも偏りがなかった。

「初めまして。鹿熊弘道です。お会い出来て光栄です」

 お客さんの中には、壮年の男性もいた。

「夢野さんには何度も勇気をもらいました。これからも活動を応援しています」

 私は自分に需要があるなんて考えていない。それでも、どうしても開催したいという編集者の強い声を受け、批判も覚悟の上で、このイベントに臨むことにした。

 皆が励ましや感謝の言葉をかけてくれたが、自分がそれに値する人間だとは思えない。既に本は発売されているし、編集者と書店員が熱心にイベントを企画してくれたことも理解している。だけど、自分なんかが本を出して良かったんだろうかという気持ちが、やっぱり今でも拭えない。

 最後の一人は、まだ十代にも見える痩身の男性だった。

「客は俺で最後ですか」

「そうみたいですね。お越し頂き、ありがとうございました」

「このイベントを知った時は、耳を疑いました。企画した人間に怒りを覚えたし、のこのこと出てきたあなたのことも軽蔑しました」

 冷めた眼差しが突き刺さり、胸の温度が一度下がる。

「でもね。すぐに気付きました。結局、醜い嫉妬なんです。斜陽の出版業界が、話題になりそうな企画を考えて、書店まで巻き込んでイベントを実施した。だけど、どうせ俺みたいな人間には関係ない。このイベントを知って腹が立ったのも、いつものように自分は無視されると思ったからだ」

 今日、私は、誰に何を言われても受け入れるつもりでいた。関係者からの批判であれば、どんなに辛辣な言葉でも真摯に耳を傾けようと考えていた。

「自分の名前を見つけた時は、本当に驚きました。俺みたいな無名の三流作家をどうやって知ったんですか? 何とか二冊上梓したけど、売上はどちらも悲惨だったし、感想なんてろくに見かけなかった。批判を受けるなら、まだ良い。でも、誰も読んでいないんです。それなのに、あなたは……」

「私、その作家にしか書けない本を読むのが好きなんです。だから先生の本も」

 気付けば、彼の目尻にうっすらと涙が浮かんでいた。

「ずっと、読者なんて関係ねえって、俺が良いと思うものを書くだけだって、理解出来る奴にだけ刺されば良いって思ってた。でも、デビュー作も、三年間書き直しをさせられた二作目も、まったく売れなくて。編集者と営業に、もうお前にチャンスは与えないって言われて、心が折れた。俺が素晴らしいと信じたものは間違っていたんだって。誰にも届かないんだって思い知らされた。だけど、夢野由芽さんがいた。SNSですら本の感想を見かけないのに、長文で、あんなに丁寧に読み込んで……。夢野さん、ホームページを開設してから、三年間、一日も休まずに更新していますよね。毎日、一冊ずつ、あの熱量で感想を上げていたから、こうしてまとめて書籍になった。でも、こんな未来が待っているなんて想像していなかったはずだ。どうしてそんなに頑張れるんですか?」

「だって、先生たちの本が好きだから」

「俺の本は、あなたが感想を書いた千冊の中の一冊でしかありません。それでも、救われました。だから、ここに来た。本の感想を書いてもらった小説家だけが参加出来る、このサイン会に」

 


綾崎 隼(あやさき・しゅん)
2009年、第16回電撃小説大賞選考委員奨励賞を受賞し、『蒼空時雨』(メディアワークス文庫)でデビュー。2021年、『死にたがりの君に贈る物語』が第1回ベストオブけんご大賞に選ばれる。最新刊に『ぼくらに嘘がひとつだけ』。

〈「STORY BOX」2022年11月号掲載〉

◎編集者コラム◎ 『WIN』ハーラン・コーベン 訳/田口俊樹
◎編集者コラム◎ 『タスキメシ 箱根』額賀 澪