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超短編!大どんでん返しSpecial

第28話
紺野天龍
「筋肉は裏切らない」


 男、御堂筋肉太郎、四十二歳──我が世の春が来た。

「ナイスバルク! ビッグブラザー!」「キレてるよ! 親の大胸筋が見てみたい!」「そこまで仕上げるために眠れない夜もあっただろう!」

 一身に降り注ぐ大声援。俺は次々にポージングを決めてそれらに応えていく。

 さらに沸き上がる乗客たち。もはや俺だけのワンマン筋肉リサイタルだった。

 今日に至るまでの過酷な日々が脳裏を過り、知らず一筋の涙がこぼれ落ちた。

 

 親の気まぐれで、『肉太郎』などという変な名前を付けられた子ども時代、俺は身体が弱くみんなからいじめられていた。

 ガリガリに痩せていたのに『キンニク』などとあだ名を付けられ、身体が大きいだけの奴らに、よく殴られた。怪我なんてしょっちゅうだったし、病院送りにされたことだってある。

 そんな奴らを見返したくて、俺は筋トレを始めた。

 筋肥大のためには、過酷なトレーニングと過食が必要だった。毎日毎日、涙を流しながらトレーニングに励み、吐く寸前まで胃袋に食物を押し込める。彩りや潤いとは無縁の、地獄のような日々。

 何度ももう止めたいと思った。こんなにつらいならば死んだほうがマシだとさえ思った。

 それでも歯を食いしばって、あらゆる負荷に耐え続けた。

 やがて身体の奥底から筋肉が産声を上げた。努力が必ずしも報われるとは限らないこの理不尽な世界で、筋肉だけは決して裏切ることなく、明確な結果を俺の肉体に宿していく。

 それがとても嬉しくて、さらなる努力に励み──その果てに、俺はギリシアの英雄ヘラクレスをも超える鋼の肉体を手に入れた。

 俺の筋肉はたちまち各方面で絶大な評価を得、そしてついに日本一の筋肉を決める大会『日本ボディビル選手権』への参加を認められたのだった。

 大会はいよいよ明日行われる。俺は、現地に向かうための飛行機に乗っていたのだが……。

 

「ぜ……全員動くなぁ!」

 離陸から三十分ほど経過した頃だろうか。狭い座席に肥大化した自慢の大臀筋を押し込め、窮屈に耐えていた俺の耳に、甲高い男の震え声が届いた。

 俺は破壊せんばかりに手すりに体重を預けながら、通路前方へ顔を覗かせる。

 通路の先に、ひょろりとしたスーツの男が立っていた。男の手には、拳銃のようなものが握られている。

 まさか──ハイジャックだろうか。さすがの筋肉にも緊張が走った。

「ぜ、全員ここで私と死んでもらう……! わ、悪く思うな……!」

 震える両手で銃を握りしめながら、男は叫んだ。怯えはあったが、男の目には激情が覗いている。俺と同じ、覚悟を決めた男の目だ、と思った。

 乗客たちの間に動揺が走った。ざわめきは伝播し、次第に大きくなっていく。

 このままではパニックが起こる──。そう直感した俺は、拘束具を外して立ち上がった。

 途端、ピタリと喧噪が止む。俺の筋肉の威容に抗える人間など存在しない。

 俺は、ランウェイを歩くように、音もなく通路を進み、男の前に立ちはだかった。

 男は俺の肉体を見て言葉をなくしていたようだったが、すぐに銃口を心臓に向け叫ぶ。

「く、来るな! こいつはオモチャじゃない! 3Dプリンタで作った本物だぞ!」

「馬鹿な真似は止せ」俺はゆっくりと諭すように言う。「大方、つらいことがあって自暴自棄にでもなっているのだろう。だが、ハイジャックなどをしてもおまえの悲しみは癒えない」

「う、うるさい!」悲痛な声で男は喚く。「確かに自暴自棄だ! 私は仲間に裏切られてすべてを失った! もうお終いなんだよ! あんたを殺すことだって容易い!」

「──やってみろ」俺は心臓の位置する大胸筋を親指で示す。「ここだ、よく狙え」

 男は、一瞬意味がわからない様子でぽかんとするが、すぐに顔を真っ赤にした。

「ふざけやがって……ッ!」

 激昂した男は躊躇なく引き金を引いた。俺はフロント・ダブルバイセップスで受ける。

 裂帛の気合いとともに怒張する大胸筋。瞬間的に鋼の強度を持ったそれは、傷一つ負うことなく発射された弾を床に転がした。鍛え上げられた筋肉の前には、豆鉄砲など無力だった。

「ば……馬鹿な……」信じられないものでも見たかのように男は呆然として腰を抜かした。

「──筋肉は、裏切らない」俺は男に告げる。「どれほどの裏切りに遭おうとも、己の筋肉だけは裏切らない。筋肉だけはいつだっておまえの味方だ」

 え、と男は俺を見上げた。俺は屈み込み、男の肩に優しく手を置く。

「罪を償ったら、俺の元へ来い。その心と身体を徹底的に鍛えてやる」

「あ……アニキ……!」

 やがて男は滂沱の涙を流しながらその場に頽れた。そして──。

 

「大胸筋が歩いてる!」「肩メロン!」「お母さん、今夜のメニューはカレーに決まり!」

 ハイジャック犯を諫め、乗客の命を救った俺を称える声は鳴り止まない。

 気分よくそれらの声援に応えていた俺の耳に、ポーン、という機内放送の合図が響いた。

『お、お客様の中に飛行機の操縦経験のある方はいらっしゃいませんか……?』

 途端、機内は水を打ったように静まり返った。どうやらハイジャッカーは操縦席ですでに悪さをしていたようだ。当然、乗客から名乗り出る者は現れない。

 万事休すか──。俺は死を覚悟して、走馬灯のようにつらかった人生を振り返る。

 そのとき筋肉が一度だけピクリとわなないた。「行け」と、唯一無二の相棒が背中を押した気がした。

 それだけで覚悟が決まる。俺は何も言わずに、操縦席へ向かって歩みを進める。

 飛行機の操縦経験などあるはずもなかったが……筋肉が俺に期待してくれているのだ。

 決して俺を裏切らない筋肉の期待。俺だって──筋肉は裏切れない。

 


紺野天龍(こんの・てんりゅう)
1985年東京都生まれ。2018年、電撃小説大賞応募作「ウィアドの戦術師」を改稿・改題した『ゼロの戦術師』でデビュー。著書に『シンデレラ城の殺人』『神薙虚無最後の事件』『幽世の薬剤師』などがある。

〈「STORY BOX」2023年3月号掲載〉

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