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超短編!大どんでん返しSpecial

第29話
京橋史織
「指輪物語」


「これ、不幸をもたらす指輪なんです」

 女性は左手薬指につけたダイヤモンドの指輪をそっと掲げ、小さくため息をついた。宝石を売りにきたのが後ろめたいのか、こんな風にちょっとした口実をつける女性は多い。宝石やブランド品を買い取り、付加価値をつけて転売するのを商売とするこちらとしては、私的事情などどうでもいいのだが。

「あの、おいくらくらいで買い取っていただけるんでしょうか?」

「まずは、指輪をお見せいただけますか? ダイヤといいましても、品質に幅がございますので」

 柴崎剛はポケットから鑑定用ルーペを取り出しながら、やんわりと応えた。

 黒真珠のような大きな瞳を伏せて、女性が机上のチラシに目をやった。

「買取価格三割アップ」という赤文字が踊っている。年中うっている広告だが、客の目を引くには効果的らしい。ほとんどの人が宝石の買取価格の基準などわからない。鑑定結果を論理的に述べつつ低めの価格を提示して、計算機で三割プラスしてみせれば、たいがいの人は満足そうにうなずくものだ。

「もちろん、このキャンペーンも適用させていただきますので」

 女性はふっと頬をゆるめたものの、婚約指輪にまだ未練があるのだろう。右手で指輪を愛でるように撫でている。

 柴崎は、遠目に指輪を眺めた。ほっそりとした指に、ラウンドブリリアントカットのダイヤが光っている。数学者でもあったベルギーの宝石職人が、光学的特性をもとに、ダイヤが最も輝くように計算して生み出したと言われるブリリアントカットは、婚約指輪では定番の形だ。

「素敵な指輪だ」

 柴崎のお愛想に、女性はぱっと顔を輝かせた。

「婚約者がオーダーメイドで作って、プレゼントしてくれたんです」

「いいですね。大きくて高価そうだ」

 調子よく甘言を重ねた。オーダーメイドだからといって、高質なダイヤで作られているとは限らない。柴崎のような宝石職人なら、キュービックジルコニアなどの合成石を使って、ダイヤと見分けがつかない指輪を作ることも可能なのだ。早く鑑定させてほしい。

「でも、この指輪をもらってから、いいことないんですよ」

 彼女は急に顔を曇らせた。

「飼っていた猫は、心疾患で急に死んじゃったし、仕事の帰り道でバイクに跳ねられて骨折したし」

「それは重なりましたね」

「それだけじゃないんですよ。家に空き巣が入ったんです。たいしたものを持っていたわけじゃないけど、亡き母親からもらった両親の婚約指輪とか、慶弔用の真珠のネックレスとか、形見のものまで全部なくなってしまって。思い出まで盗まれたんです……」

 こみ上げる感情を抑え込むように、彼女は言葉をきり、唇を引き結んだ。

 勘弁してくれよ、と内心毒づいた。世の中には、似たような不運話は腐るほどあるし、身近でも聞いたことがある。

「ホープダイヤのようですね」

 柴崎は努めて明るくいった。

「ホープダイヤ?」

「所有者は必ず不幸に見舞われるという伝説のブルーダイヤモンドです。かの有名なマリーアントワネットも、ホープダイヤを所有している時に、フランス革命で処刑されたそうです。現在は、アメリカのスミソニアン博物館に所蔵されていますよ」

「そんなダイヤがあるんですか?」

「ええ。ですから不運が続くようなら、手放した方がいいかもしれませんね。まずは鑑定してみましょう」

 柴崎の促しで覚悟を決めたのだろう。彼女はうなずくと、指輪をはずして差し出した。やっと誘導に成功したようだ。

 柴崎は白い手袋をつけ、指輪を受け取った。ルーペをかざし、指輪に見入る。

 だが、一眼でわかった。これは模造品だ。それもひどく精巧な。しかし――。

「いかがですか?」

 なにか察したのか? 彼女が柴崎の顔を覗き込んだ。

「申し上げにくいのですが、この指輪、ダイヤではないようですね」

「やっぱり」

 取り乱すかと思いきや、意外な反応が返ってきた。彼女が白い封筒を差し出した。

「これ、その指輪と一緒に、妹が残した遺書なんです」

「遺書?」

「気付きませんでした? 外出先から猫の様子を見るために設置していた室内カメラがそのままだったんですよ。婚約指輪までもらって信頼しきっていた彼氏が、こっそり合鍵を作って盗みを行い、そのまま疎遠になったことにショックを受けて、妹は……」

 黒真珠のような瞳から一気に光が消えた。彼女がバッグに手をやった。

「どうしても、自分で見つけたかった」

 取り出したのは、磨き抜かれた鋭利なナイフだ。思わず、指輪を握りしめる。

「それ、不幸をもたらす指輪なんです」

 


京橋史織(きょうばし・しおり)
1972年徳島県生まれ。お茶の水女子大学卒業。会社員時代に第39回NHK創作ラジオドラマ大賞を受賞した後、ラジオドラマや舞台等の脚本を手掛ける。2021年新潮ミステリー大賞受賞、『午前0時の身代金』でデビュー。

〈「STORY BOX」2023年4月号掲載〉

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