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超短編!大どんでん返しSpecial

第3話
一穂ミチ
「恋に落ちたら」


 恥を忍んで言うなら、わたしは彼氏に飢えていた。もう三年以上、彼氏ができなかった。原因が自分にあるのは重々承知だけど、それを直す、というか譲ることはできなかった。わたしという人間の本質に関わる部分だから。

「いや、うまいよまじで」

 なので、久々にできた彼と食卓を挟んで向かい合うわたしは、とろけそうな笑顔だったと思う。彼はサラダをつつきながら「にこにこしすぎ」と苦笑する。

「嬉しくて」

「もう二カ月経つんだから、いい加減慣れてよ」

 彼とは、出会った瞬間に惹かれるものを感じた。ひと目見た時のインスピレーションみたいなもの、友人には「そんな衝動的につき合うからいけないんだよ」と呆れられるけれど、他に知らないのだ。恋の落ち方というものを。幸い、彼もわたしを気に入ってくれたので、交際と同棲がほぼ同時にスタートし、わたしは彼のために朝食とお弁当(休みの日は昼食)と夕食を毎日欠かさず作った。彼が「おいしい」と残さず食べてくれるから、ちっとも苦ではない。

 彼はよく噛んで食べるので、口を閉じていてもその旺盛な咀嚼の動きがわかり、わたしはまた自然と笑みを浮かべてしまう。わたしの手料理をおいしそうに食べてくれる時の彼がいちばん好き。彼は鮮やかなオレンジ色のスモークサーモンをごくりと飲み込んで「驚きだよ」と洩らした。

「これが本物の魚じゃないなんて」

「タピオカのでんぷんと海藻グルコースが原料なの。サラダの生ハムもそうだよ。グルテンとか米粉でできてるの。着色はビーツ。この後は、大豆と小麦でできたお肉を焼くね。すっごくジューシーで、びっくりすると思う」

「へえ、楽しみ」

 お酒が好きだけどあまり強くない彼は、早くも頬をほんのり染めていてかわいい。ワインも、わたしが厳選したワイナリーのもので、不純物を取り除く工程での清澄剤に動物性の材料──卵白や魚由来のゼラチン──を使っていない。

「俺、基本的に肉大好きだからさ、こんな暮らしに馴染めるなんて自分でも意外だった。運命かな」

「わたしも、最近思うの。この人を絶対離しちゃいけないって」

「何だよ、最初っからじゃないの」

「好きは好きだったけど、ほら、猫かぶってるだけの可能性もあるから」

 男の人はたいてい下心を抱いて近づいてくるので、食生活の方向性が同じだと思って油断しているとすぐに尻尾を出す。肉も魚も乳製品も食べないよ、と豪語していたくせに、ビーフ百%のハンバーガーやとんこつラーメンをこっそり食べ、わたしはその動物の臭いを嗅ぎとってしまい、そのたびに「ああもう台無し、信じられない」と別れを切り出した。何人、彼氏未満の男と破局したかもう覚えていない。彼はその点とてもクリーンで誠実。わたしにはもったいないくらい、素晴らしい男性だった。

「でも正直つらいんじゃない? 我慢してない?」

 心配になって尋ねると「してないよ」と快活に歯を見せて笑う。

「三食うまいもん作ってくれてるし、身体の調子もいいんだ。合ってるんだろうなって思うよ」

「ほんと? わたしは、正直言うとたまにすっごくジャンクなもの食べたくなるんだけど」

「え、そういう時はどうすんの?」

「『チートデイ』を作る日もあるよ、たまにね」

「そんなのもったいないな」

 ワインのせいだろうか、彼がひどく熱っぽい目でわたしを見るのでどきどきした。幸せに胸を弾ませながらフェイクミートを焼き、赤ワインを開けた。デザートにベリーのシャーベットまで平らげると、彼はテーブル越しにわたしの手を握る。

「すべすべだよね」

「え? 恥ずかしいよ」

「いや、まじで。肌も髪も。きっと血もさらさらなんだろうし……口に入れるもんって大事なんだなって思う。身体は食べ物でできてるんだから」

 どうしたんだろう、飲みすぎたのかな。彼じゃなくてわたしが。彼のうっとりした口調で、急激に眠気を誘われる。

「──だからさ」

 彼の大きな唇から、舌の先が覗く。ひどく赤く見えるのはベリーのせい? 潤んだ瞳、すこし荒い息は?

「身体にいいものばっかり食べてる女の子の肉って、どこ食ってもめちゃくちゃうまいだろうなって、二カ月楽しみにしてた」

 まぶたが一気に重たくなり、支えきれなくなった。

  

 目が覚めると、テーブルに突っ伏したままだった。シャーベットの器はそのまま残され、赤い色がうっすらと溜まっている。まだめまいがする。わたしは頭を打ち振って上体を起こし「危ない危ない」とつぶやいた。

「薬、多めにしといてよかった」

 テーブルの向こうで突っ伏したままの彼から反応はない。わたしはすこし寂しくなって話し続ける。もっと楽しい会話で終わりたかったのに。

「二カ月経つとね、内臓も筋肉も新陳代謝が大体完了するから、あなたの身体は、わたしが選んだ食べ物だけでできてるんだよ。血液と骨はもっと時間がかかるけど、前回のチートデイから間が空いちゃって、どうしても我慢できなくて」

 わたしは、わたしの大好きな、クリーンでジャンクな食べ物を見つめる。わたしたち、本当に運命的にお似合いだったんだね。ちょっと残念だけど、食欲には勝てない。

 わたしは、彼氏に飢えていた。


一穂ミチ(いちほ・みち)
二〇〇八年『雪よ林檎の香のごとく』でデビュー。BL小説にて圧倒的支持を得る。劇場版アニメ化もされ話題の『イエスかノーか半分か』など著作多数。最新作に『スモールワールズ』がある。

〈「STORY BOX」2021年7月号掲載〉

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